自他動詞、日本語教育の中で、ちと厄介な項目で、
単純に、
「窓 を 開けます」
「窓 が 開きます」
なんて、助詞が違うよー、とか、動詞が変わるよー、とか、そういう授業をしてもあまり意味がないわけで、
前にも書いたけど、
「先生、どうして窓が開けてありますか?」
「先生、どうして窓が開いてありますか?」
のような文につながっていって、いわゆる目上の人に対してその人の行為を直接言うことを避ける、もっとわかりやすい例文だと、
「先生、どうして授業を休みにしますか?」
「先生、どうして授業が休みになりますか?」
といった文化的な背景を伴っての使用実態ということまで理解させて使えるようにしなきゃいけない、と思っていたんだけども、
夜間中学校での先生の発問を聞いて、
あ、これ、自他動詞が使えなきゃダメじゃん
と気づいたことがありました。
先生が、
「主人公が、このとき、何をしましたか?」
「そうですね、窓を開けましたね。」
「じゃあ、今、窓は?…」
「窓はどうなっていますか?」
と生徒さんに尋ねます。これは仮のものです。実際は別の発問です。
生徒さんたちは、
「主人公が、このとき、何をしましたか?」
「窓、窓、」
「そうですね、窓を開けましたね。」
「開けました、はい、窓、開けました」
「じゃあ、今、窓は?…」
「開けました。窓、開けました」
「窓はどうなっていますか?」
「開けました。あー、開けています? 」
「はい、窓は、あ・い・て・い・ま・す、ね」
てなやり取りがあって、先生の質問に合わせて、自他動詞を入れ替えつつ応えなければならない場面だったんですよ、。
これ、すごく厄介。いや、何気ないことなんだけど、よく考えたら、結構大変な作業なんですよね。
授業が終わってからも、とったメモを見つつ、「窓が開けてあります」じゃ、まずかったかしら?と思ったり。
こんなところで、自他動詞が求められる、ということを知ったのが新鮮でした。
やっぱり授業は見なくちゃねー
単純に、
「窓 を 開けます」
「窓 が 開きます」
なんて、助詞が違うよー、とか、動詞が変わるよー、とか、そういう授業をしてもあまり意味がないわけで、
前にも書いたけど、
「先生、どうして窓が開けてありますか?」
「先生、どうして窓が開いてありますか?」
のような文につながっていって、いわゆる目上の人に対してその人の行為を直接言うことを避ける、もっとわかりやすい例文だと、
「先生、どうして授業を休みにしますか?」
「先生、どうして授業が休みになりますか?」
といった文化的な背景を伴っての使用実態ということまで理解させて使えるようにしなきゃいけない、と思っていたんだけども、
夜間中学校での先生の発問を聞いて、
あ、これ、自他動詞が使えなきゃダメじゃん
と気づいたことがありました。
先生が、
「主人公が、このとき、何をしましたか?」
「そうですね、窓を開けましたね。」
「じゃあ、今、窓は?…」
「窓はどうなっていますか?」
と生徒さんに尋ねます。これは仮のものです。実際は別の発問です。
生徒さんたちは、
「主人公が、このとき、何をしましたか?」
「窓、窓、」
「そうですね、窓を開けましたね。」
「開けました、はい、窓、開けました」
「じゃあ、今、窓は?…」
「開けました。窓、開けました」
「窓はどうなっていますか?」
「開けました。あー、開けています? 」
「はい、窓は、あ・い・て・い・ま・す、ね」
てなやり取りがあって、先生の質問に合わせて、自他動詞を入れ替えつつ応えなければならない場面だったんですよ、。
これ、すごく厄介。いや、何気ないことなんだけど、よく考えたら、結構大変な作業なんですよね。
授業が終わってからも、とったメモを見つつ、「窓が開けてあります」じゃ、まずかったかしら?と思ったり。
こんなところで、自他動詞が求められる、ということを知ったのが新鮮でした。
やっぱり授業は見なくちゃねー