AWA@TELL まいにち

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今日は授業初日

2005年04月12日 | 日本語教育
 ある国に留学して、その国の言語も文化も知らずに帰国することのデメリットは結構多い。
 日本へ来て研究するのに日本語はいらないですよというと日本語学習に費やす時間をなくし、学生に理解できる言語で教育をするという、一見、学生にとっていいことのように見える。
 でも、その背景には日本語が学習しにくい言語だという幻想と、知日人物、親日人物の育成をさぼっていることと、その言語に通じた研究者の元でしか指導が受けられないという視野の狭さがあって、気がつかないうちにそれを学生に与えているんじゃないかな。
 以前、エジプトから来た学生が、こういった。指導教員とは英語でコミュニケーションがとれるので問題はないが、日本語で話を聞くときと英語で話を聞くときとでは、教員の態度が異なると。
 たしかに、僕だってほかの言語で授業をするとなると、知っている語彙、表現の範囲内でしか説明ができないだろう。聞く学生の方に微妙なニュアンスがわかるかというと、それは無理な場合が多い。でも、どうだろう。母語話者であれば、そのニュアンスがとても大切だと思えば、いろいろと言い換えたり説明したりして伝えようとできる。

 もちろん、学習者の母語で研究を指導すると言うことのメリットも多い。それは、来日に際しての最大の心理的障壁である言語の問題をあっさりとクリアするからだ。同じ指導の場にいる日本人学生にも、その言語に接する機会を与えることができるという意味での教育的効果は高い。

 どっちを優先するかというのは、実用に耐える自動翻訳・通訳機が登場するまではおあずけかな。

 何にしても、日本人は(日本の植民地支配を受けた韓国も同様だが)言語に対する先入観が非常に大きいように思う。未だに日本語は世界でもっとも難しい言語の一つだと公言してはばからない人が多い。日本語でやっかいなのは、表記面だけ。そして、表記は言語の必須のモノではないということは、もう言語学の分野ではとっくに決着がついていることだ。
 まあ、英語だってフランス語だって発音と表記の乖離ははなはだしいですな。そういった意味では、日本語の方がやや楽・・・かな。
 

 話が大きくそれてしまったけど、今日は日本語研修コースの授業初日。
 日本語が全く通じない学生、しかも、母語は全員異なり、英語だって十分に通じない。今日の4.5時間分の準備はとりあえずできたけど、何が起こることやら。ああ・・・
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