授業で使う教材を作る作業は結構難しいと言うことは、教師を経験した人であれば、誰でも感じていることだろう。まして、一人で教材を作っていると、思いこみや独りよがりの部分があって、偏った物になってしまいがちだ。複数の教員でどんな教材がいいかと言うことを話し合っていると、自分の考えも及ばなかった提示の仕方や展開の仕方が出てきて、とっても勉強になる。
日本語教育に限らないとは思うが、教員養成で必要なのは、こういう作業なのではないだろうか。
多分、今、日本語教育の世界を目指して勉強している人たちは、音声学や日本語学、教育学など様々な分野に触れ、のめり込むほど好きになる分野や丸暗記するしかないとあきらめるほどわからなくて途方に暮れる分野があるだろう。それはそのひとの向き不向きで、気にすることはないと思うのだが、視点を変えてみて取り組んだらどうだろう。
たとえば、日本語が全く話せない学生に教えるとしたら、とか、知っている外国人タレントを頭に浮かべて、あの人の日本語教育を今任されたらとか、具体的な「学生像」を描いて、その学生に何が必要かを自分で考え、それをするためには何が自分の知識や技術に足らないかを書き出してみる。すると、今まで丸暗記するしかないとあきらめていた物でも、意外と、とっかかりが見つかるかもしれない。そして、どれだけ本を読んでも、どこにも書いていないこと、書かれていないことが多いことに気がつくだろう。
どんな学問でも技術でも、今手元にある物はもう過去の物で、完成した物ではないということは常に頭に置いておくべきこと。自分の考え出したことが、もしかしたら、一番効率が良くて、一番理解しやすくて、一番学生が日本語を使うために必要なことかもしれないという自信や自負を持つことも必要。
ま、そんなこんなで、今日は終日教材作りをしていました。くたびれた~
日本語教育に限らないとは思うが、教員養成で必要なのは、こういう作業なのではないだろうか。
多分、今、日本語教育の世界を目指して勉強している人たちは、音声学や日本語学、教育学など様々な分野に触れ、のめり込むほど好きになる分野や丸暗記するしかないとあきらめるほどわからなくて途方に暮れる分野があるだろう。それはそのひとの向き不向きで、気にすることはないと思うのだが、視点を変えてみて取り組んだらどうだろう。
たとえば、日本語が全く話せない学生に教えるとしたら、とか、知っている外国人タレントを頭に浮かべて、あの人の日本語教育を今任されたらとか、具体的な「学生像」を描いて、その学生に何が必要かを自分で考え、それをするためには何が自分の知識や技術に足らないかを書き出してみる。すると、今まで丸暗記するしかないとあきらめていた物でも、意外と、とっかかりが見つかるかもしれない。そして、どれだけ本を読んでも、どこにも書いていないこと、書かれていないことが多いことに気がつくだろう。
どんな学問でも技術でも、今手元にある物はもう過去の物で、完成した物ではないということは常に頭に置いておくべきこと。自分の考え出したことが、もしかしたら、一番効率が良くて、一番理解しやすくて、一番学生が日本語を使うために必要なことかもしれないという自信や自負を持つことも必要。
ま、そんなこんなで、今日は終日教材作りをしていました。くたびれた~