お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

絵についての個人的な話(雑記)

2020-10-29 06:29:38 | 雑記
小学生のとき、母の師匠の日本画家の邸宅に遊びに行って、その絵をみたとき、感動と同時に「自分には描けない」と、子供ながらに大きな挫折を味わいました。その絵には様々な宗教の垣根を超えた「救い」があったように思えたのでした。それから、私は絵を描き続けるも、絵から逃げてきました。水木しげる先生の妖怪を模写したり、ビックリマンシールのようなキャラクターを自分で考えて描いたり、漫画らしきものを描いたりしていました。友人からは「上手だねー」「漫画家になれるよ」などと言われましたが、自分にはストーリーを作る才能が(当時は)ないことを自覚していて、一枚絵で描けて食べていけたら、などと思ったものです。
小学校では文集や旅行や運動会の表紙絵や挿絵などを教員から頼まれて描き、そのとき先生の似顔絵が好評でした。
中学に入っても絵を描き続け、文集の似顔絵などを描きました。
そのときには、似顔絵も写実的になっていて、「万人が顔だと認識できるのは、ある程度写実的なもの」と感じていたようです。
また、当時中学の美術教師であった母からは、「運動部に入った方がよい」というアドバイスを受け、絵をずっと描いていたかったのに、バスケ部に入ってしまいました。柔軟体操と体力はつき、絵を描くためには、精神力ももちろんですが、体力のほうが必要なのだと実感しました。
高校は、進学校に入ってしまいました。そして、大学を視野に入れて行動すればよかったのですが、なんとなしにまたバスケ部に入って、怪我をして不登校ならぬ、不登部になり、つらい思いをしました。とある高校の教員や知人に、成績を見せなければならなくなって、成績だけ見て「よし!」と言われたことで、成績だけで見られているような気がして、勉強する気が全くなくなり、落ちこぼれ状態になりました。そのとき、ゲーム雑誌の投稿に夢中になって、ネタで絵を描くこと、どう描けば載るのかということを学んで、投稿オタクになって、ハガキにキャラクターをずっと描いていました。
高校三年になって、「美大に入ろう!」と突如思い、何年も絵を習っている人たちと混じり、デッサンなども描きはじめました。
そんなにすぐには、画力はさほど上がらず、四度も美大に落ちてしまったのですが、高校のときに国語と英語などの学科をしっかりやっていればと後悔しています。
美大ではデザインを専攻しました。デザイン系の講義もあったのですが、アート系の講義もあり、勉強がものすごく楽しかったのを覚えています。
しかし、デザインの課題で体を壊してしまい、4年では4回しか出席しなかったのですが、2年までで単位を取っていたので卒業はできました。
卒業後はイラストレーターになる夢に向かい、表紙絵などに憧れながら、挿絵(カット)の仕事をしていました。
「似顔絵」が描ければ、状況は改善するのではないかと思い、描き続け、似顔絵の先生にも師事するようになりました。
全くの個人的な曲解かもしれませんが、似顔絵をアートとする集まりがあると知り、自分のなかで、何かが壊れたのを感じました。
母からは、アートを志して死んでいった画家の話はよく聞いていましたし、小学生のときにアーティストになることには挫折していたので、私にとっては、似顔絵をアートにすることは不可能だと思いましたが、同時に画業を志し死んでいった先達の姿が浮かび、アーティストにはなれないながらも、生きているうちにアートを志す必要性を感じました。絵と正面から向き合い、クロッキーなどもはじめました。結果は予想通り、似顔絵よりも安い値段で売れる絵しか描けませんでした。
今、自分の中で、似顔絵、デザイン、イラストレーション、アートの境界があいまいで、整頓できていません。
ただ、「似顔絵はアートである」と自身で主張するのではなく、観る側、受け取る側が、アートだと思ってもらえるように、似顔絵でないアートも目指し、先達の芸術作品、アートに少しでも近づけるように、自分を磨き続け、かつ独りよがりにならないように、作品を発表を怠らぬようにつづけていければと思っています。
長文失礼!
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