story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

雪の日の女性客

2015年01月19日 14時40分10秒 | 小説
今冬は暖冬であると秋の終わりころにテレビニュースで気象予報士が言っていたように思うが、1月も半ばにさしかかり雪も時折ちらつき、氷点下の朝もあるなど普段温暖なこの土地には珍しい寒さで、最早テレビニュースでも誰も今冬が暖冬であるとは言わなくなったそんなある日、やはり当地、神戸の西郊でも大雪が降った。
雪が少し積もった事なら昨年も晩冬のころにあり、普段、雪の降らぬ当地では交通というものが全て破たんをきたし唯一の公共交通となった我がタクシー会社では、その日はてんやわんやしてタクシーの営業をしていたのだが、今回の大雪は違った。
思い出せばあれは平成に変わって数年経ったころだったか、大雪が何日も降り続き、当地においては何もかもがすべて停止してしまったようなことがあったのだけれど、今回の大雪はどうもそれに近いものらしい。

最初こそ無線配車も多忙を極め、一瞬の隙には道路端で手を上げる人がすぐに現れて繁忙の極みを呈していたのだけれど、やがて雪が深く、ほとんど町の動きが停止してしまってからは、かえって普段より暇を持て余すようにもなり、せっかくスタッドレスタイヤを履いて全車両を送り出したわが社の営業が事務所で売り上げの低迷に冷や汗をかいているだろう姿すら想像もできるようになった。

僕は日の落ちた道端、大きな交差点角にあるコンビニエンスストアの駐車場で休憩をとることにした。
トイレを借り、夜食を仕入れ、駐車場に止めた営業車の中でそれを貪っていると窓をたたく音がする。
乗客か・・
なんだか、仕事をするのが面倒になってきたころではあったけれど、それでも僕は反射的に車の自動ドアを開けた。
白い雪景色から冷たい風と大粒の雪が飛び込んできた。
誰も乗客はいない・・・錯覚だったか・・・
僕は扉を閉めた。

「あの・・加古川へお願いできますか?」
女性の声がして僕は驚いた。
確かに、誰もいないことを確認してドアを閉めたというのに、いきなり後部座席に座る女性の顔がルームミラーに映っているのだ。
驚いて振り返ると、その女性は細身の、20代に見える妙齢だが、目を引くような薄着、それも白っぽいワンピースを着ていた。
大きな瞳、非常に整った顔立ちの女性だ。
「加古川ですか・・」
それでも、そう反射的に答えたのは僕の職業人的本能のなせる業であるといってよい。
「はい、ちょっと遠いのですが、電車も止まってしまったみたいで」
「ですね・・料金は結構かかりますし、高速道路が通行止めですから時間も・・かなりかかるかと」
「御迷惑でなければお願いできますか?」
「わかりました、ゆっくり安全運転で参りましょう」
僕は料金メーターのスイッチを入れ、ゆっくりと車を走らせた。
コンビニの駐車場を出て、真っ白になった幹線道路に出、ゆるやかに加速する。
「お客さん・・寒くはないですか?」
「いえ、ちょっと暑いくらいです」
ルームミラーに映る彼女は少しはにかみながら、答えてくれる。
それにしてもだ・・薄いワンピース、今にも下着が透けそうな薄さの、夏にはこの手の洋服を着た女性は町中に溢れるけれども、今の時期にこういうスタイルは見たことがない。
「寒さにお強いのですね」
「はい、私は秋の終わりの生まれなので寒さには強いんですよ」
「ああ、そうなんですね・・それにしてもあまりにも薄着でびっくりしました」
「みなさん、そう言われますね。でも、ワンピースは長袖だし、下着は厚手のものですから結構暖かいのですよ」
「なるほど・・見た目とは違って温かいスタイルというわけですね」

彼女はそれには答えず、雪が降りしきるであるだけの窓の外を、時折、曇るガラスを手で拭きながら見つめている。
何やら窓の外に向かって手を合わせているかのようにも見えるが、僕が彼女の様子を見られるのは運転の一瞬の隙の、ルームミラーだけであることは言うまでもない。

雪の道を走ると、車は不思議に静かで乗り心地が良いし、スタッドレスタイヤのおかげで車の姿勢は安定しているが、フロントガラスには大粒の雪がこれでもかと迫り、車線も標識も信号も識別が難しくなってきた。
ルームミラーで時折見る女性の横顔は目が覚めるほどに白く、整っていて美しい。
明石市の中心部、すでに商店のほとんどが早仕舞いになって、雪にまみれる看板だけが明るく光る中を、僕は車を右折左折させ、歩行者の存在に気をつけながら、ゆっくりと通過していく。
「今日は殆んど、早仕舞いのようですね」
女性は答えない。
ルームミラーの彼女は一心に窓の外を見ている。
「こんな日は仕方ないですよね・・お店の方々も早く帰りたいだろうし」
やや間があって「え・・なにか、おっしゃいましたか?」と女性が訊いてきた。
「いえいえ、ひとり言のようなものですよ」
「ごめんなさい、雪があんまりきれいで、我を忘れるというか・」
女性はちょっと笑った。
その表情は可愛いのだが何故か冷たい風が女性の唇から噴き出てきたような気になった。

カーブをゆっくり曲がるとやがて山陽電鉄の線路の脇に出て、ここからしばらく、加古川市の手前まで道路と線路が並行する。
ゆっくりと反対方向への銀色の電車がすれ違う。
「電車、動いているみたいですね」
「でも、ずいぶんゆっくりでしたね」
「この辺りでは鉄道会社も雪には慣れてないですからね」

ラジオでは鉄道のダイヤも無茶苦茶だと報じていた。

クルマをゆっくりと転がせる。
真っ白になった道は時折、アイスバーンの様相を見せ、タイヤが滑るところもあるがこれくらいなら、予想の範囲内で淡々と進んでいく。
女性は相変わらず、窓の外を一心に見ている。

「運転手さん」
いきなり、女性が僕に声をかけてきた。
「はい・・」
「信じてもらえるかどうかなんですが・・」
「なんでしょう?」
彼女はちょっと息を飲み込んだようで、一瞬の間をおいて話し始めた。
「わたし、今日が命日なんです・・」

彼女はきっとふざけているのだろう・・僕はそう思い、こう返した。
「命日なんですか??だったら、今、乗車されているのは幽霊さんなんでしょうか」
すると、彼女はちょっと明るく返してくれる。
「幽霊・・似たようなものですが・・」
僕はおどけるように聞いてみた。
「じゃ、その幽霊さんがどうしてこんな雪に降る日に神戸の西から加古川までタクシーに乗車されているのですか?」
「不思議ですよね・・」
女性はまた悪戯っぽく笑う。
「不思議ですねぇ・・」
僕はまだこの時点では彼女を少しからかいながら、この、見た目からは窺えない冗談が好きな女性と楽しく会話してみようという意思があったのだ。

「運転手さん、さっき、わたしが乗ったコンビニのあの交差点、23年前の今日、大きな事故があったのを覚えておられますよね」

23年前の今日・・
僕は背中が一瞬で凍えるような寒さに襲われた気がしていた。

大雪の日、そう、確かに今コンビニがあるあの交差点、当時、あそこはちょっとしたドラッグストアがあり、確かにそのストアの前で、赤い乗用車が雪で滑ったのか、反対車線に飛び出し、電柱に突っ込んだ事故を目撃した。

「どうして、お客さんは、私があの事故を見たことを知っておられるのでしょう?23年も前の話ですが・・」
女性は何も答えないでルームミラーを通して僕を見つめている。
「私はあの頃は、写真関連の営業の仕事をしていて・・」
その言葉は僕の独り言のように消えていく。

ややあって、女性はこう切り出した。
「わたしが悪いんですよ・・いわば自業自得・・」
「は??自業自得ですか?」
「あの日、わたしに妹が出来たんです・・」

**********

お父さん、早く行こうよ・・
深雪(みゆき)、今日はやめておこう・・あまりに雪が強いから、明日にしようよ。
いやいや、絶対に今日じゃなければ嫌なの、赤ちゃんも早く来てほしいって、それにお母さんだって
いや、深雪、今日は下手に動いて事故でも起こしたら大変だよ
ゆっくり走ればいいじゃない・・事故なんてないって
ねぇ・・深雪、やめておこうよ・・
いや、絶対に行くの!!


母の実家近くの産婦人科病院、そこであの日、まさに赤ちゃんが生まれたんですよ。
だから私はどうしても、父にその病院へ連れて行ってもらいたかった。
本当は、子供心にも今日はやめておいて、雪が止んでからにした方が良いってことくらいはすぐに分かりました。
でも、自分を構うわけではないけれど、あの年頃・・五つか六つくらいの女の子って、全てが自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなること・・ありますよね。
まさにその状態。

わたしがあんまり無理をいうものだから、父が根負けしたんですよね。
加古川の自宅から、雪の中をそれこそ慎重に、父はクルマを走らせてくれました。
わたしの名前、みゆきっていうのですけれど、深い雪と書くんですよ。
生まれたのは富山県の、石動と言うところで、当時、父が製薬会社の営業をしていて、おなかの大きな母を連れて転勤したその先で生まれたそうです。
冬の、ものすごい雪の日に生まれたから深雪・・深い雪とかいて「みゆき」と読む名前になったらしいのです。

名前がそうだからか、それとも生まれた土地が雪国だからか、私は雪の好きな子でした。
でも、加古川では雪は降ってもちらちらするだけ・・雪が積もるなんてこと、なかったものですから、あの日の雪は本当にうれしかったなぁ・・

父が一生懸命に運転するクルマから見る雪景色は本当にきれいで・・
見とれていました。
「深雪、あと少しで、お母さんの病院だぞ」
「うん!!」
「ね、・・お父さん、赤ちゃんは女の子でしょ、何て名前にするの?」
「まだ・・名前まではなぁ・・」
「じゃ、わたし、赤ちゃんの名前考えたんだ」
「ほう、どんな?」
「小雪、わたしが深雪だから、小雪・・」
「おいおい、みゆきとこゆきって、まるで漫才コンビみたいじゃないか」

そう、父が笑った時でした、青信号のはずのあの交差点、赤信号のはずの交差道路からバイクが飛び出してきたんです。
父はとっさの急ブレーキ、凍結している道路ですから、とても停まりきれるはずもありません。
クルマはスリップして操作不能になって電柱に突っ込んで行ったんですよ。

わたしが生きているときに見たのはその電柱が最後・・
赤ちゃんに会えなくなったことが残念で、それが本当に悲しくって、なんだか、抗えない力に抑えられたのか・・わたしはその交差点にずっと居たというわけなんです。

********

お客さん、あの時の女の子でしたか・・私はあの事故を反対車線から目撃してしいました。
赤い車が電柱に向かって突っ込んできて、大破でしたね・・
わたしはすぐに自分のクルマを降りて、走っていきましたよ。
あぁ・・そうなんですね、お客さんがあのとき、助手席に乗っておられて、フロントガラスに頭から突っ込んで亡くなってしまった、あの、白い洋服の、あの女の子だったんですか・・
じゃ、いましがた、お客さんのことを幽霊と言ったのは申し訳ございません・・幽霊ではない、あの時の女の子が今、どこか別の世界から大人になって乗ってくださった御縁あるお客様ということですね。

あの事故は悲しかったですよ。
私は一生懸命に、あの時の女の子、すなわち今のお客さんに声をかけたりゆすってみたりしたのですが、もう、びくとも動いておられなくて・・
今の私にも娘がありましてね・・ちょうどあの事故のちょっと後に生れたものですから・・あの時の女の子と重なってしまって・・
娘を見ると、あの事故で亡くなられた女の子を思い出すということが続きましたね。
そうそう、あの事故で大怪我をなされたお父様はどうなされたのですか?

********

幽霊には違いないですから、幽霊でいいですよ・・

運転手さんにもいろいろ影響を与えてしまったみたいですね。
ごめんなさい・・全てが我儘な私のしでかしたことで・・幽霊ながら反省しています。
父は、あの事故で大怪我をしましたが、二か月で職場に復帰して、あとは、定年まで勤め上げました。
長女、つまり・・わたしですが、わたしが死んだのを自分の責任のように自分で責めて苦しむのです。
わたしは時折、父の夢に出て、父を慰めようとしました。
でも、無理ですね。
所詮、夢だもの・・
わたしの夢を見て、かえって苦しむみたいで・・

でも、母には夢でこう言ってあげました。
「お父さんに罪はないよ、わたしが我儘を言って、お父さんが仕方なく付き合ってくれたのだから、お父さんを責めないで」
母は、たぶん、それから父を責めたことは一度もないはずです。
それに、妹の小雪に手がかかるし、その手がかかるのが還ってわたしを忘れることが出来て、母は嬉しいみたいでした。
もちろん、母も心の奥では、わたしのことでは苦しんでいましたが・・

********

クルマは雪の降りしきる旧街道をゆっくり走る。
横の線路上には電車が停止したままになっている。
雪はまだ止む気配を見せない。

「運転手さん・・」
「はい・・」
私はいつのまにか涙声になっていた。
「もうすぐです・・私の実家・・」
対向車も見当たらない。
雪の降らぬ国の大雪は人々を自分の家に閉じ込めてしまったようだ。
「ね・・お客さん・・」
「はい?」
「どうして今夜、この雪の中、ご実家のようですが、その加古川へ向かわれるのですか?」
「あぁ・・それは、やっとお許しが出たからなんです」
「お許し?誰に許してもらったのですか?」
「誰か・・ちょっと名前は存じ上げないのですけれど、大きなお方です。そのお方がわたしを許して、あの場所に居たままになったわたしを、わたしが帰りたい家族のもとへ行っていいよと・・」
「それは神様ですか?」
「そうかもしれません。よくわかりませんが、わたしはあの場所に留め置かれました・・その鎖が解けて、一番行きたい所へ行きなさいと」
「大雪の中ですか・・」
「わたしの心の奥には雪があります、やっと、この地にも雪が積もったのですから」
「なぜ今、ご実家なんですか?今度はそのご実家で住み着かれるわけですか?」
「いえ、やっと、その時が来たんですよ。妹が結婚したんです・・」

なんだかよく分からず、けれど、僕はクルマを彼女の言うままに走らせた。
加古川の臨海工業地帯ほど近く、新幹線の線路が通過する少し北側に彼女の、目的地があった。

「ここです・・ありがとう・・23年も一瞬出会っただけのわたしを覚えていてくれて・・ありがとう・・」
彼女の、幽霊が礼を言うのに、僕の口から出た言葉は、タクシードライバーの本能そのままの言葉だった。
「いえいえ、ですが、料金はいかがしましょう・・このおうちの方が下さるとは思えませんが」
そういう僕に、幽霊の彼女は悪戯っぽく笑った。
「きちんとお支払いしますよ、ありがとうございました・・このお札は消えたりはしませんから・・」
彼女は、幽霊は、そう言って紙幣を手渡してくれた。
「おつりはいいですから・・本当にありがとう、お嬢様に素敵なご縁がありますように・・」
女性はそう言って僕がドアを開ける前に姿を消した。

雪明かりに照らされる瀟洒な戸建て住宅の前だ。

ルームランプを付け、あの女性がくれた紙幣を手に取ってみると、それは聖徳太子の印刷された旧紙幣の一万円札二枚で、冷凍庫の中から取り出したかのように冷たかった。


それから10カ月以上経っただろうか・・
次の冬の初めだ。
僕は出勤前に妻・娘と朝食を摂っていて、何気なく地方新聞の記事を見ていた。
地域版の隅の方、「お誕生!!」のコーナーに目をやるとひときわ丸々と太った赤ちゃんが目に入った。

垂水区、Aさんの長女、深雪(みゆき)ちゃん、12月24日生まれ。

しげしげと、その写真を眺めた。
この大きな瞳はまさに深雪ちゃんやな・・

深雪ちゃん、教えてくれてありがとう・・
僕にはこの赤ちゃんが二十歳代になったときに、何処かで会えるような気がしていた。



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