story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

向かいの席の女性

2022年05月12日 22時31分17秒 | 詩・散文

姫路を八時二十九分に出た播但線和田山行きは古臭い客車だった
季節はまだ秋だというのに肌寒く、列車には暖房が入る
播州の長閑な田園地帯を抜け、やがて山々の中に分け入り
列車は各駅に停車しながら淡々と進むが、行くほどに秋が深まる
生野峠をトンネルで抜けたあたりから白いものが降ってきた
初雪になるのだろうか

長い編成で僕はゆったりとボックスを占領して旅を楽しむ
今宵の鳥取での蟹宴会に参加できれば良いのだ
仲間たちは特急か急行あるいはクルマで鳥取にくるだろうが
僕は連中から離れて鈍行乗り継ぎを選んでいる
乗り継ぎと言っても姫路からなら和田山で一度乗り換えるだけだ

客車列車特有のスチーム暖房は体の芯まで温まる気がする
ワンカップ酒を何本かあけて意識が朦朧とする

居眠りしているのか、起きて景色を眺めているのか
自分でも判然とせず、列車はやがて但馬の盆地に入り速度を上げる
ディーゼル機関車の甲高い警笛が聴こえる
窓の外には鳶が舞う

姫路を出てから二時間近く、和田山で列車を乗り換える
普通列車の出雲市行きだという
この列車はどこから来たのだろう、大阪か京都か
いずれにしてもかなり長い距離を丁寧に各駅に停まりながら走る列車だ

思ったほどに編成は長くはなくせいぜい四両ほどの客車と前のほうに
郵便車や荷物車が繋がっている
列車の編成が短いからか車内は案外混んでいる
どの座席にも厚着をした地元の人たちが座っていて
暖房は効きすぎて気持ちが悪いほどだ

だが僕は座席を探さねばならない
この列車で呑まねばならないのだ
編成の前のほう、荷物車のすぐ後ろの車両は幾分空いていた
ボックスに女性が一人だけ座っている席を見つけた
乗り換える時に駅弁売りから買った缶ビールを持ってそこに座る
まだ呑むかと自分でも呆れるが
今宵の職場の懇親会でのそこに居ることが耐え切れないような
あの雰囲気を想像するだけでもっと呑みたくなる
だが、安物のカップ酒はもういい
駅弁売りの持っていた籠にサッポロビールがあるのを見つけたのだ
果たして、よく冷えていた

先に進行方向窓際に座った女性には悪いが
僕はその反対側の通路側の座席で列車が後ろへ流れる感触を楽しむ
列車の旅では何も進行方向に座るだけが能ではない
だが、窓側なら粗末な小型テーブルもあるし、窓框にも飲み物を置けるが
通路側だとそうはいかない
止む無く先客の女性に「失礼・・」と言ってテーブルの半分を使わせてもらう

列車は警笛も甲高く、そして大き目のショックとともに走り出す
構内の複雑な配線を抜ける

向かいの女性は窓の外を見る
僕は窓を見ていてもどうしても女性と視線が合ってしまうので
時に窓を見ながら、時に通路上の通風器を眺めながら
時に天井からぶら下がる田舎のスーパーの広告を眺めながら
また時に通路を挟んで反対側の窓を眺める

だがこれもまた旅の醍醐味でもある
その路線沿線の匂いを感じながら開けるビールの味わいもまた格別だ
冷たいビールは暖房で火照り、カップ酒でさらに熱くなった体を少し絞めてくれる

列車が少し長く停車する駅では向かいの女性は辺りを見回す
だが、殆どは田舎の小駅だ
豊岡に着いた
窓からホームの様子を見ていた女性は立ち上がる
「すみません」
女性が僕に声をかけてきた
「電話をしてきますのでちょっとここ、見といていただけますか」
「ああ。いいですよ、どうぞ」
だが列車の停車時間はわずか六分だ
女性の荷物を見る僕は少し不安でもある

かなりの乗客が降りて同じくらいの乗客が乗ってきた
ほかのボックスにもいったん空いてまた埋まるところがある
窓際の席へ移りたいが女性の荷物を見ておかねばならず、動けない
ちょうどホーム上を駅弁売りが歩く
これ幸いと窓を開け、缶ビールの追加と駅弁を買う
冷たい風が車内にも入ってくる

発車ベルが鳴る
女性はようやく席に帰ってきた
「ありがとうございました」
「いいえ」
返事をしながら、女性を見る
ソバージュの髪、肩パットの入った上着はあくまでも大人の雰囲気だが
意外に若いのではないか、歳の頃は三十を出たころだろうか

列車は走る
十数分で城崎に着いた
女性はやはりホームを眺めてまたこういう
「ちょっと、またすぐに戻ってきますので」
荷物を見ていてという事だろう
僕は快諾してサッポロ缶ビールを開ける
ここでも駅弁売りがいた
窓を開けるとさっきの豊岡より数段冷たい空気を感じる
「ビール三本」と叫び、うまく手に入れ、窓を閉める
この路線のビールはサッポロばかりだ

発車間際に女性が座席に帰ってきた
「ありがとうございます、たびたび申し訳ありません」
「いえいえ・・お電話をされてたのですか?」
「はい・・」
女性はそういったかと思うと俯いた
「なにか、お辛いことなのでしょうか」
「いえ、特に」
そう言ったものの女性は俯いたまま涙を流しているようだ

列車が城崎の温泉街を通り抜け、短いトンネルを抜ける
冬に向かう田畑が車窓に広がるがそれもすぐに次のトンネルにさえぎられる
古い客車は最近の電車のような明るい車内ではない

女性は暗い車内で俯いている
泣いているのだろう
これ以上立ち入っては駄目だと僕は自分に言い聞かせるが
酔った頭は言葉が出ていくのを抑えられない
「やはり、お辛いお電話だったのですね」
女性は俯いたまま頷いた
「どちらまで行かれるのですか?」
その問いにややあって女性は顔を上げた
列車は淡々とレールジョイントを響かせる

「浜坂までです」
「そちらへは何か大事な御用で?」
列車は山の中を走る
やや沈黙が流れ女性はこぼれている涙を拭いた
「ごめんなさい、見ず知らずのお方の前で」
美しい女性だ
「いえいえ、僕がぶしつけで失礼な質問をしていたらごめんなさい・・さっきからずっと酔っているので」
ちょっとお道化たようにそう言うと、少し笑ってくれた
「ずいぶん、お召し上がっておられますものね」
「はい、この列車でビールを三本呑んで、まだ二本残っています」
「あら・・いいですわね」
女性は泣きあがりの笑顔を向けてくれる
「しかも、乗り換える前の播但線でワンカップを三本」
自分でそれが可笑しくて僕が笑うと件の女性も笑ってくれた
「おつまみは食べないのですか?」
「はい、僕は呑むばかりで‥さっき、豊岡で買ったお弁当にはまだ手を付けてないです」
女性は「駄目ですよ~」と少し呆れた表情をしながらいう
「ちゃんと、アルコールは食べ物と一緒に摂らないと、肝臓や胃腸に負担をかけます」
「分かってはいるんですけどね」
「今は良くてもやがて年とともに体を壊す原因になります」
「すみません」
「いえ、謝るのは私にではなく、ご自身のお体に・・」
「あなたは病院の関係の方ですか」
思わずそう言った
女性はハッとしたようで一瞬黙ったが続けてこういう
「私、浜坂の病院に勤めに行くのです」
「それは転勤?」
「いえ、宝塚の病院を辞めて、浜坂へ」
「えらい遠くへ転職されるんですね」
「切らなければならないこと、人生にありますよね」

列車は竹野を過ぎた
幾分か、車内が空いてきていた
「海の見える方へ移りませんか」
僕は女性を誘い、通路を挟んだ反対側のボックスへ移る

荷物ももちろん一緒だが、女性は鞄一つで身軽なのに対し
僕は呑んでしまったビールの空き缶とこれから呑むビールの缶と
まだ食べていない駅弁があるのでかなりややこしい
僕の下手な動きを見て女性が苦笑している

竹野から先、浜坂までは列車は海岸沿いを走る
だがこの区間、トンネルも多く車窓風景は半分ほどだろうか

暗いトンネルを囂々と走り抜けると日本海が窓いっぱいに広がる
「すっかり冬の日本海ですね」僕が海を見て呟く
「ほんと、なにか大きな黒い力が迫ってきそう」
「迫ってくるんですよ、冬将軍が」
ややあって女性が話し出す
「宝塚の病院に居られなくなって・・でも、私、出身は福井のほうなんですが、そこに帰るのも憚れて・・」
「ああ・・」
「募集の出ていたちょっと遠そうな病院に行くことにしたのです」
「失礼ですが、あなたが何か悪いことをされる人には見えないですが」
「悪いことをしたという思いはないのです、成り行きでそうなってしまった」
「なるほど、人生、時に自分の想いの寄らぬ周囲の反応などもありますね」
「悪いのは私です、向こうの人も悪いけれど、口車にのってしまって、本気になって」
「それは、僕のようなただの酔っぱらいには想像もできないことです」
「あなたは、なんだかとても正直に生きておられるように見えますわ」
「でしょうか、たぶん、汽車に乗ってこれ幸いと酒を呑むような男に悪いのはいないかもですね」
僕がそういうと女性はクスッと笑ってくれた
トンネルの中を走っているときは、列車の騒音が激しく話ができにくく
それゆえ、青の間は次の会話への準備になるのだろう
言葉を選び、想いを言葉に乗せるにはこの路線はとてもいいかもしれない
「わたし、それでも未練を捨てきれず、彼と話がしたくて何度も電話をしたんです」
「人間、簡単に未練を断ち切れるほど強くはないですね」
僕にも経験はある
一人の女性を追って苦しみぬいた数年が
「今ふっと楽になりました」女性がしみじみそう言う

トンネルを抜けると大きな空と海が広がる
余部鉄橋だ
「すごい!」
女性は感極まって叫んでいる
「これを見られてよかった、もしあなたが居てくださらなかったら僕は今日のこの景色を見ずに酔っ払って寝ていたかもしれません」
女性が笑ってくれる
列車は走る
間もなく浜坂に着く
「あの、僕は鳥取での宴会に向かうのですが、明日、またここを通って帰ります」
「はい」
「よければその時、浜坂の駅で会っていただけませんか」
「え・・」
女性は頬を赤くした
美しい女性だ


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