story・・小さな物語              那覇新一

小説・散文・詩などです。
那覇新一として故東淵修師主宰、近藤摩耶氏発行の「銀河詩手帖」に投稿することもあります。

秋の鬼無里

2020年11月18日 10時24分30秒 | 詩・散文

念願の、秋の鬼無里へ行く機会が作れた。
長野県小諸市での所用が続く中、信州との不思議な縁をくれた紅葉さんに、どうしてもお礼がしたかったからだ。

縁の始まりはこの拙作だ。
「鬼無里の姫(紅葉狩伝説異聞」
・・https://blog.goo.ne.jp/kouzou1960/e/024431232941a5be703d9203156ae500
・・https://blog.goo.ne.jp/kouzou1960/e/54632ee9e6a7ffc512a9edc8ddf51ef6

夜行バスで長野市に入り、11月とは言えすでに冬の気温の長野駅前の寒さに驚きながら・・・
始発バスを待つ。
鬼無里へのバス路線はアルピコ交通が運行しているが、ほぼ毎時一本と昨今のこの手の路線にしては、充実している。
7時過ぎの路線バスで鬼無里へ・・・
長野市街地は10分ほどで抜け、紅葉の盛りを過ぎた山の中へ・・・

だが、朝の光の中で見る山々は美しくため息が出る。
路線バスは狭隘な区間もある国道406号を走るが、時に新道を外れ旧来の街道筋の集落へも入り込んでいく。
長野からの乗客は男女一人ずつ、途中の山の中で女性が一人乗ってきて、先に乗っていた女性と親しく会話を始める。
どうやら、鬼無里中心部の施設へ通勤する人たちのようだ。

長野駅前からちょうど一時間、鬼無里の「町」にある「旅の駅・鬼無里」がこの路線バスの終点だ。
鬼無里資料館前だが、わざわざ始発バスに乗ったのはここから先に行きたいがため。

旧鬼無里村営バス→現長野市営バスがここから平日に限り日に3本、鬼無里のさらに奥と村の中心を結ぶ。
そのバスに乗りたいのだ。

バスは銀色のマイクロバスでほかの乗客はおらず、乗ってすぐ運転士さんに「加茂神社前まで行きたいんです」と伝える。
「あそこまで何か御用ですか?」
「いえ、東京・西京を散歩したいのですが、東京口から加茂神社の強烈な坂が・・・」
「なるほど、確かにそうですね~~」
そこから運転士さんとよもやま話をしながら山の中のマイクロバスの旅。

といっても距離的には5キロほどで、10分弱でバスは裾花川沿いに走り、強烈な坂を上って加茂神社前に着いた。
「30分ほどでもう少し奥で折り返すから、よかったら帰りにもどうぞ」と言ってくれたが、30分ではとてもみたいものを見ることができそうになく、「ありがとうございます!ただ、30分では時間が足らないのでたぶん歩くことになるかと」と答えた。
「調べたいもの、見たいものが全部見れればいいね」
愛想良く運転士さんは銀色のバスを走らせた。

鬼無里、加茂神社前から見た景色。
日本の里だ。

すぐ近くの加茂神社。
都を懐かしがる紅葉姫のために、村人たちが地名を京風に変えたと言われる一つでもある。

本殿。
村の文化財に指定されているそうだ。

「ねずこ」の木(右)。
ねずこと言うのは木の種類だが、今流行りの「鬼滅の刃」に出てくるヒロイン、竈門禰津子をイメージするという、しかもここは「鬼」無里であり、地元の放送局が飛びついたそうだ。
だが、大正時代を背景にしたアニメ作品とは異なり、こちらは平安時代が舞台、スケールが違うというものだ。

神社の氏子総代という人が話しかけてきた。
どうやら、朝早くからカメラを持っている人がうろうろしていると聞いて、様子を見に来られたらしい。
来意を説明し、神社のこと、貴女紅葉のこと、いろいろお話をした。
「今日、半日くらいは歩き回らせてもらいますね」というと「半日でも一日でも、好きなように歩き回って写真を撮ってくれ」と笑った。
すると通りがかった軽トラックの兄さんが「俺もを撮ってくれ」と・・・
お互い、笑い飛ばして兄さんはさっさと自分の仕事場へ向かう。

鬼無里の秋・・
東京(ひがしきょう)は一条から十六条まであるという。
そう言えば、先ほどのバスの運転士さんも東京出身だと言ってくれた。
心が澄み渡るような里の風景だ。

東京四条バス停。
名前からする印象と現実の景色の違いはすでに気にもならなくなっていた。
ここは鬼無里である。

黄色く色づく木があった。
鮮やかな黄色で銀杏かと思ったがよく見るとモミジか、いや、モミジに近いカエデの一種か。

先ほどのバスが南鬼無里で折り返してきた。
バスの運転士さんが軽く手を振ってくれる。
バスの乗客はいない。

裾花川を見下ろす。
紅葉姫、こういうところに住み着いたのは案外、彼女にとって良かったのかもしれない。
たぶん、姫の出身地である猪苗代よりずっと山深く見えただろう。

里の秋・・
鬼無里へ来るとこういう風景がごく当たり前に存在する。

内裏屋敷跡の遠望。
せめてもと、地元の人たちが植えたモミジが美しい。
だが、すれ違った女性には「先週来ればよかったのに、すごく綺麗だったわよ」と残念がられた。
こればかりは、ここを目的としての信州訪問ではないのでどうにもならない。

内裏屋敷跡。
ここで村の人たちに読み書きを教え、医師としても活躍したという紅葉姫、彼女は悪しざまに描く伝説よりずっとこの地を愛していたのではないだろうか。

ここは、もう一つ遺跡があり、「月夜の陵」と呼ばれている。
詩人、田中冬二の碑文。

碑が浸食され読みづらくなっているが、碑文はこうなっているという。
「信州戸隠や鬼無里は はやい年には
十一月に もう雪が来る 鬼無里に月夜の陵といふ古蹟がある
白鳳の世に 皇族某(なにがし)が故あって
此処に蟄居したが その墳墓(ふんぼ)と云はれてゐる
その史実はもとより伝説さヘ 日に日忘却されやうとしてゐる
月夜の陵 何といふ美しく また悲しい名であろう」

一説には紅葉姫の腰元とも言われる「月夜」という女性の墓がある丘で、夏に来た時は藪に阻まれ、そこへたどり着けなかった。
貴女紅葉の碑の後ろの山、数分歩いたところにひっそりと石の墓があった。


貴女紅葉供養塔そばのモミジを・・
盛りは過ぎているものの、かえって大人の風情ではないだろうか。

そのモミジを正面から。

ぶらぶらと西京、春日神社へ歩く。
鬼無里の空気を吸っていると、心底、ここが自分の故郷であったならとも思う。
春日神社、ここも紅葉伝説で社名を変えたと言われるところだ。


本殿、この控えめな感じがまたいい・・・

ここから「町」へ5キロを歩くことにした。
お天気は良いし、少し風は冷たいが歩くにはかえって都合がよい。

途中から国道を離れ、裾花川対岸のもう一本の道を行く。
十二平集落付近からの眺め。
白髭神社が有名だが、計算するとあまり時間がなく、今回は割愛した。

北アルプスが見えた。
穂高か、鹿島槍か・・

村の中心部(町、松尾あたり)の向こうに聳える山が「新倉山」で、紅葉伝説では「荒倉山」とされているところだ。
山の北側に紅葉のものとされる洞窟があり、一見の価値ありだそうだが、徒歩ではかなりきつい・・・

松厳寺もモミジが美しい。

本堂。

なにやらマンガチックな看板が・・・・
近づいてみるとまさに貴女紅葉の絵で、松厳寺はじめ村の方々で作り上げたキャラクターのようだ。
他所から持ってきた鬼滅の刃などよりこっちのほうがずっといい。
可愛い・・・

この寺院創建には紅葉の事件が関わっているのだが、ここは木曽義仲との縁も深い寺院で、次回にはきちんと訪問しようと思う。
今回はいきなりなので写真だけで失礼。

ここにはかの川端康成の碑もあり、大文豪も貴女紅葉の伝説に深くひかれていたそうだ。
惜しむらくは文豪の紅葉狩伝説記が日の目を見なかったことだろうか。

紅葉の墓所。
大禅定尼の戒名、途絶えない火や供物、土地の人の貴女紅葉への想いが感じられる。
ここで僕は信州との縁をいただいたことを感謝し、紅葉姫の名誉が挽回されるように祈った。
「まあ、古いお話ですから・・」紅葉さんが笑ったような気がした。

松厳寺の紅葉。
「来てくれてありがとう、またもっとゆっくりおいで下さいね」
ふっと、紅葉姫の声を聞いた気がした。
何度でも来たくなる場所、何度でも会いたくなる伝説の姫。

午後の光に裾花川が浮き上がって見えた。
まもなく午後のバスが出る。

 

鬼無里の姫には完全な創作の外伝もある。
会津の黄葉」https://blog.goo.ne.jp/kouzou1960/e/3c19aa773ef86a1e9d44ec2174780802

信濃の鬼武」https://blog.goo.ne.jp/kouzou1960/e/56cb76b62267a1bf36fb4e714fc3d4f6

前回訪問時の旅行記https://blog.goo.ne.jp/kouzou1960/e/416920eba478421df8a2d81d38692f74


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