冨士大石寺顕正会 一国諫暁

 顕正会は、末法の御本仏・日蓮大聖人の御遺命たる
国立戒壇建立を見つめて戦う唯一の仏弟子の集団です。

折伏(しゃくぶく)とは何(なに)か

2020-01-01 | 仏法(ぶっぽう)の実践(じっせん)

 
 末法の仏道修行は勤行と折伏に尽きる。
 勤行とは御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱え奉る修行であり、これを人に勧めるのが折伏である。
 勤行は自身の修行であるから「自行」といい、折伏は他人を教化し救う修行であるから「化他」という。
 末法、ことに広宣流布以前の謗法充満の世においては、自行と化他が車の両輪のごとく相俟って、始めて完璧な仏法の実践となる。
 大聖人は自行化他にわたる仏法の実践について「南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧んのみこそ、今生人界の思出なるべき」(持妙法華問答抄)
 「我もいたし、人をも教化候へ」(諸法実相抄)
 「唯我れ信ずるのみに非ず、又他の誤りを誡めんのみ」(立正安国論)等と御教示下されている。
 
 
折伏(しゃくぶく)とは何(なに)か

 
 仏法(ぶっぽう)を弘(ひろ)める方法に「摂授(しょうじゅ)」と「折伏(しゃくぶく)」の二大潮流(にだいちょうりゅう)がある。
 摂授(しょうじゅ)とは摂引容授(しょういんようじゅ)といって、たとえ相手(あいて)が低劣(ていれつ)な法(ほう)を信(しん)じていても、これを容認(ようにん)しつつ次第(しだい)に正(ただ)しい教(おし)えに誘引(ゆういん)していく弘教法(ぐきょうほう)である。
 一方(いっぽう)、折伏(しゃくぶく)とは破折屈服(はしゃくくっぷく)の義(ぎ)で、相手(あいて)の間違(まちが)った思想(しそう)・信仰(しんこう)を破折(はしゃく)し、唯一(ゆいいつ)の正法(しょうほう)に帰依(きえ)せしめる剛(つよい)い弘教法(ぐきょうほう)である。
 いかなる時(とき)に摂授(しょうじゅ)を行(ぎょう)じ、いかなる時(とき)に折伏(しゃくぶく)を行(ぎょう)ずるべきかは仏法上(ぶっぽうじょう)の重大問題(じゅうだいもんだい)で、もしこれを撮(と)り間違(まちが)えると成仏得道(じょうぶつとくどう)も叶(かな)わない。

 大聖人(だいしょうにん)は
 「凡そ仏法を修行せん者は摂折二門を知るべきなり、一切の経論此の二を出でざるなり」(如説修行抄)
 「設い山林にまじわって一念三千の観をこらすとも、乃至、時機をしらず摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離るべき」(開目抄)
 「仏法は摂受・折伏時によるべし、譬えば世間の文・武二道の如し」(佐渡御書)
 「修行に摂・折あり、摂受の時折伏を行ずるも非なり、折伏の時摂受を行ずるも失なり、然るに今の世は摂受の時か折伏の時か、先づ是れを知るべし」(聖愚問答抄)と。

 では、いかなる時(とき)に摂受(しょうじゅ)を行じ、いかなる時(とき)に折伏(しゃくぶく)を行(ぎょう)ずるのかといえば、釈迦仏法(しゃかぶっぽう)の利益(りやく)のおよぶ正像二千年間(しょうぞうにせんねんかん)は摂受(しょうじゅ)であり、末法(まっぽう)は折伏(しゃくぶく)でなければならない。
 なぜかといえば、正像二千年(しょうぞうにせんねん)の衆生(しゅじょう)は「本己有善(ほんいうぜん)」といって、過去世(かこせ)にすでに下種(げしゅ)を受(う)けているので、あるいは小乗経(しょうじょうきょう)を縁(えん)とし、あるいは権大乗経(ごんだいじょうきょう)を縁(えん)として法華経(ほけきょう)の悟(さと)りに入(はい)ることが出来(でき)た。
 ゆえに種々(しゅじゅ)の教(おし)えを一応(いちおう)は認(みと)め、漸々(やくやく)と法華経(ほけきょう)に誘引(ゆういん)する摂受(しょうじゅ)が、正像(しょうぞう)の時機(じき)には適(てき)していたのである。
 しかし正像二千年(しょうぞうにせんねん)を過(す)ぎて末法(まっぽう)になると、衆生(しゅじょう)は「本未有善(ほんみうぜん)」で、未(いま)だ下種(げしゅ)を受(う)けたことのない三毒強盛(さんどくごうじょう)の荒凡夫(あらぼんぶ)ばかりとなる。
 この本未有善(ほんみうぜん)の衆生(しゅじょう)にとって成仏(じょうぶつ)の叶(かな)う大法(だいほう)は下種(げしゅ)の南無妙法蓮華経以外(なんみょうほうれんげきょういがい)にはない。

 ゆえに上野抄(うえのしょう)には
 「今末法に入りぬれば、余経も法華経も詮なし、但南無妙法蓮華経なるべし」と。

 末法(まっぽう)においては、成仏(じょうぶつ)の大法(だいほう)は南無妙法蓮華経以外(なんみょうほうれんげきょう)にはない。
 よって「一切(いっさい)の邪法(じゃほう)を捨(す)てて、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)えなさい」と勧(すす)めるのが、末法(まっぽう)の折伏(しゃくぶく)である。
 また折伏(しゃくぶく)は「讃嘆行(さんたんぎょう)」ともいわれる。
 日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の絶大威徳(ぜつだいいとく)・大慈悲(だいじひ)を、御本尊(ごほんぞん)の功徳(くどく)を、歓喜(かんぎ)の心(こころ)で讃嘆(さんたん)すること自体(じたい)が、相手(あいて)の心(こころ)を動(うご)かす折伏(しゃくぶく)となっているのである。
 このように折伏(しゃくぶく)こそ末法(まっぽう)の時(とき)に適(かな)う仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)であり、人(ひと)を救(すく)う最高(さいこう)の慈悲(じひ)の行為(こうい)なのである。
 
 
折伏理論解説書 日蓮大聖人の仏法 浅井先生講義

 
 
三毒(貪欲-餓鬼界・瞋恚-地獄界・愚癡-畜生界)強盛の大衆に仏法を理解させるための理論を解説
 
基礎教学書 日蓮大聖人の仏法
第一章 日蓮大聖人とはいかなる御方か
一、 末法濁悪の世を救い給う御本仏

 
 
基礎教学書 日蓮大聖人の仏法
第一章 日蓮大聖人とはいかなる御方か
二、三大秘法を以てお救い下さる ~ 五、 末法下種の主・師・親、大慈大悲の御本仏

 
 
基礎教学書 日蓮大聖人の仏法
第二章 人生の目的と幸福論

 
 
基礎教学書 日蓮大聖人の仏法
第三章 十界論

 
 
基礎教学書 日蓮大聖人の仏法
第四章 三世常住の生命

 
 
入信勤行の栞
 
冨士大石寺顕正会々長浅井先生 著
 

遙拝勤行の仕方
冨 士 大 石 寺 顕 正 会

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