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感動と尊敬

先日、ある講師の先生が教員免許取得のための実習で、院内学級に行ってきたそうです。その時に感動した、そして尊敬できる人に出会った、そんな話を聞かせてくれました。

院内学級ですから、病気を抱えている生徒さんがたくさんいらっしゃいます。その中には、残念ながら病気などの関係で、話し掛けてもすでに反応ができない状態のお子さんもいるそうです。そんな生徒さんに対しても、院内学級の先生達は他の生徒と同じように話し掛け、同じように行動をするのだそうです。 もちろん、芳しい反応があるわけではありません。でも、時折、笑ってくれたように見えた、実習に行った講師の先生は、そんなふうに話してくれました。

反応はないかも知れない、そう知っているのに、なぜ先生達は話し掛けるのか、その光景を見て、実習に行った講師の先生は、いろいろと考えたそうです。 反応はない、でも反応できないだけで、本当は私たちの言ってること・行動・表情をきちんと理解しているのかも知れない、そう思う気持ちが、院内学級の先生達を動かしているのかも知れません。 「反応がないから」と簡単にあきらめてしまうのではなく、いつか笑顔を返してくれるかも知れない、いつか声を出して答えてくれるかも知れない、そんな思いが院内学級の先生達を動かしているのかも知れません。

そんな院内学級の先生達の様子を見て、実習に行った講師の先生は、そのような考え方や行動に感動し、院内学級の先生達は本当に尊敬できる人達だ、そんな思いを抱えて実習を終えたそうです。

実はここにこそ、教育の一つの原点が隠れている、そんなような気がしてなりません。

生徒の皆さんの中には、いわゆる反抗期も手伝ってか、親や先生の言うことを素直に聞けない人もいるように思います。 そんな時に私たち大人は「言ってもダメだから…」と言ってあきらめるのか、それとも「いつかは反応して理解してくれるかも知れない」と考えて、粘り強く接していくのか、そんなことについてこのエピソードは明確な答えを与えてくれるように思います。

もちろん、毎日のように言い続ければ逆効果かも知れません。しかし、適切なタイミングを計りながらも、繰り返し、粘り強く話をしていくことは大切なことだとこのエピソードは教えてくれているように思います。

「勉強をすることの大切さ」や「人との約束を守ることの大切さ」などは、繰り返し訴えていくことが大切なのだと思います。 生徒さんもここにくるまで十数年の積み重ねがあります。その中で培われた考え方や性格は、私達が2・3回話したからと言って、すぐに変わるものではないとも思います。 だからこそ、粘り強さが大切なのだと思います。大切なことは、繰り返し繰り返し何度でも説く、そういう心構えが大切だということをこのエピソードは教えてくれていると思います。 たとえまだ、今すぐに生徒さんの心に届かなくても、いつかは反応してくれる、いつかは理解してくれる、そんな望みをもちながら諦めないで取り組んでいく、そんなことの大切さを教えてくれているのかも知れません。

たとえ今は反応がなくとも、正しいことはきちんと説き話していく、それも諦めずに繰り返して…

言うのは簡単ですが、でも実際は難しい、でもだからこそ大切なことなんだ、実習で講師の先生はそんなことを学んだようです。

先生という仕事をしていると、時々「何故こんな大切なことを分かってくれないんだろう?」と思うときがあります。 そんなときでも諦めずに、院内学級の先生のように粘り強く何度でも話していく、その大切さを改めて感じました。

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