(鍋山砦 山梨県韮崎市神山町 国指定史跡)
武田八幡宮の背後には、この地の庄官となった武田信義が築いた標高570mの山城がある。
獣避けのフェンスを入り、斜面を上って行くと、城域には三つの郭のほか、地形に合わせた帯(腰)郭があり、それを更に取り巻くように土塁、堀及び堀切、竪堀がみられる。また、隣接する尾根、西側の標高880mの八頭山にムク台(烽火台=のろし)を設け、北側の標高600mの尾根には北烽火台が設けられている。
武田氏の後は、同族である一条氏、青木氏が守り、徳川氏の世となった山寺氏のときの寛文年間(1661-72)に廃城となったという。
武田八幡宮の背後には、この地の庄官となった武田信義が築いた標高570mの山城がある。
獣避けのフェンスを入り、斜面を上って行くと、城域には三つの郭のほか、地形に合わせた帯(腰)郭があり、それを更に取り巻くように土塁、堀及び堀切、竪堀がみられる。また、隣接する尾根、西側の標高880mの八頭山にムク台(烽火台=のろし)を設け、北側の標高600mの尾根には北烽火台が設けられている。
武田氏の後は、同族である一条氏、青木氏が守り、徳川氏の世となった山寺氏のときの寛文年間(1661-72)に廃城となったという。
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