(愛知県蒲郡市竹谷町今御堂 2007年4月30日)
社伝によると、久寿二年(1155)三河守に遷任された藤原俊成が竹谷(たけのや)の地を開拓し、翌年、加賀国白山比咩神社より海岸である雀ヶ森(字油井)に勧請したのが始まりという。明応八年(1499)大津波により社殿が流潰し、現在地に再建された。永禄四年(1561)竹谷松平氏祖信光と、慶長元年(1596)竹谷松平六代家清か社殿を造営している。
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(愛知県蒲郡市竹谷町今御堂 2007年4月30日)
社伝によると、久寿二年(1155)三河守に遷任された藤原俊成が竹谷(たけのや)の地を開拓し、翌年、加賀国白山比咩神社より海岸である雀ヶ森(字油井)に勧請したのが始まりという。明応八年(1499)大津波により社殿が流潰し、現在地に再建された。永禄四年(1561)竹谷松平氏祖信光と、慶長元年(1596)竹谷松平六代家清か社殿を造営している。
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