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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

石巻山

2007-07-16 23:30:13 | 城郭・城下町

(愛知県豊橋市石巻町)
 赤石山脈弓張山地の一つに、標高358mの石巻山がある。
石巻山多米県立自然公園の一部であり、山腹から山頂にかけて石灰岩が露出し、独特の岩場を造り出している。
昔話に、対岸の本宮山(789m)と背比べをし、負けた石巻山の神々が石になったというものがある。
岩場の中には、侵食によって蛇穴と呼ばれる小洞窟や、ダイダラボッチの足跡と呼ばれる石灰岩の凹凸等をみることができる。
   
 山腹には石巻神社山上社(麓に山麓社)があり、大己貴命(オオナムチノミコト)を祀るが、石巻山の形状から起こった自然神信仰、山岳信仰も合わせ持った霊山となっている。
    
 南北朝時代になると、南朝方の美濃土岐氏がこの地に移り、高井と名を改めて石巻山に城を築き、麓に館(高井城)を築いたという。
然し、南朝興国五年、北朝康永三年(1344)北朝方足利勢に攻められ落城、城主高井主膳正はこの地で自害したといい、家臣は主膳正の子と共に峠を越え、遠江国引佐郡へ落ち延びていったと伝えている。
      (対岸の本宮山遠景)
 山頂岩場は物見として利用したことは十分考えられ、岩場周囲の郭とみられる地点にも何らかの施設があったと考えられるが、明確な遺構ではない。
山頂付近の郭跡から、やや下がった地点にも郭跡と考えられる平坦地がある。
「三河国二葉松」には「石巻山半腹古城」としており、中腹の石巻神社山上社及び奥の院このしろ池付近や数軒の旅館が建っている地点を、城の主体部とみる方が自然かもしれない。

 その数軒の旅館は、私が最初に訪れた昭和53年頃には、全て営業していて、その他に売店や食堂もあり、中華そばを食しながら下界を望んだことを思い出すが、現在は一軒を除き全て廃業してしまい、非常に閑散となっている。


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