(臨済宗瑞龍山太平興国南禅禅寺 京都市左京区南禅寺福地町 国指定史跡)
南禅寺が創建される以前、この地には後嵯峨天皇の離宮、禅林寺殿が存在した。その離宮内に建てられた持仏堂を南禅院と称した。正応二年(1289)亀山上皇が禅林寺殿を寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けている。そして、正安年間(1299-1302)に現在の寺号に改められた。また、正中二年(1325)には夢窓疎石が南禅寺に住している。然し、明徳四年(1393)、文安四年(1447)、応仁元年(1467)に伽藍を焼失し、衰退する。江戸時代になってようやく再興され、徳川家康の側近で、一色秀勝の子、僧崇伝によって現在の姿になった。崇伝は黒衣の宰相と呼ばれた政治家でもあった。
(勅使門 寛永十八年) (高徳庵)(本坊) (国重文 三門 寛永五年)
(関連記事:南禅寺の紅葉 琵琶湖疎水水路閣)
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます