(浄土宗松本山高祖寺 愛知県岡崎市細川町根古屋 1985年8月)
永正七年(1510)加茂郡大給(おぎゅう)初代城主、松平乗元が城内にあった仏堂を再建し、称名院としたのが始まりである。乗元の死後、松明院と改称され、天正八年(1580)五代真乗のとき、大給から現在の細川の地に移されている。訪れたときは、 文政九年(1826)八代乗羨(のりよし)によって再建された鐘楼門の修繕が行われているときであり、庫裏にて住職から色々と伺った。
三十三観音
元治元年(1864)天狗党の乱(水戸尊皇攘夷派の争乱)の折、天狗党の大挙上洛に備えて岡崎藩が出兵、この松明院に駐屯したため、土塀に銃眼が開けられている。
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