(稲生城 愛知県蒲郡市形原町東古城 市指定史跡 1990年5月16日)
三河湾稲生浜を見下ろす高台に、久安五年(1150)方原師光によって最初に城が築かれたという。長享年間(1487-89)松平与副(まつだいらともすけ:形原松平家祖)が旧形原城の跡地に改めて城を築いている。その後、四代松平家広のとき、桶狭間の戦いによって今川義元が討死して松平氏が今川氏から離反したことを理由に、義元の子氏真によって家広の妻子が城前の稲生浜で殺害されたという。また、天正九年(1581)五代家忠の子又七郎(後の六代家信)が北条氏直臣明鳥佐馬之助によって暗殺されようとした際、乳母のお妙が身代わりになったという言い伝えがある。その家信も天正十八年(1590)家康の関東移封によって上総五井に移り、形原城は廃城となった。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます