(川崎市中原区新城中町)
創立は伝わっていないが、元禄七年(1694)領主中川佐平太重奥侯建立の棟札が残る。当初は神明社と称し、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。昭和12年(1937)社殿改築を機に新城神社に改称された。昭和63年(1988)には境内西側の都市計画道新横浜宮内線(多摩川等々力大橋を経て目黒通りに接続予定)の拡幅により、境内地の縮小、社殿の遷宮が生じている。祭礼芸能として囃子曲持(はやしきょくもち)があり、川崎市重要習俗技芸に指定され、神奈川県民俗芸能50選にも選ばれている。
境内地を削った都市計画道と遷宮記念碑
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます