
(岐阜市柳ヶ瀬商店街)
私がこの地に初めて訪れたのは、小学一年生のときであった。その当時から比べると、明らかに衰退して行っている岐阜一の繁華街。「岐阜で店を出すならば先ずはこの地で」というのも過去の台詞となり、訪れる度に様相が変わって、遺跡が如く使われなくなった空間を次々と排出している。
岐阜近鉄は、昭和5年(1930)京都物産店岐阜店として開業し、間もなく丸物と商号変更、昭和52年(1977)再び変更し、京都近鉄百貨店岐阜店となった。然し平成11年に閉店となり、昭和13年(1938)築造の旧館と、新館共に解体され、中日新聞社岐阜支社のビルとなった。
(丸物空襲被災壁)
岐阜センサは、昭和40年(1965)タマコシ岐阜店として開業した、RC造5階建、別館を合わせた延床面積は5639㎡の中堅スーパーであった。その後業態変えをし、最盛期には88店のテナントが入り、ファッションビル・センサとして営業を続けていたが、次第に客足が離れ部分閉鎖が始まった。そして平成16年グランドタマコシが民事再生法により平和堂に営業譲渡した際、老朽化を理由にこの岐阜店は受け取られなかった。
柳ヶ瀬ビルは昭和45年(1970)に開業した延床面積2324㎡の商業ビルで、ユニーや近鉄アミコ等大型テナントが入っていた。然し、それら撤退後は小規模のテナントが入居していた。柳ヶ瀬北地区第一種市街地再開発事業により平成21年内にビルは解体され、翌22年度内に10階建ての住居商業複合ビルが建設される予定になっている。
長崎屋岐阜店は、昭和50年(1975)に完成した、5階建、延床面積4900㎡の柴田会館ビルに入居していた準大手スーパー(当時)であったが、直営の食料品部門を持たなかったこと、尼崎店火災事故によるブランド低下、そして岐阜市街地の空洞化により平成14年に閉店となった。
岐阜メルサは、丸宮百貨店を引き継ぐかたちで先ず名鉄ショッピが開業し、平成2年にSRC造9階建、8254㎡の増床(名鉄第一徹明町ビル)を行い、メルサファッション館として業態変えをした。360席のホールを備えながらも、岐阜市内線の廃止、新岐阜百貨店、パルコ、ダイエーの閉店と、市街地空洞化によってテナントの閉店が始まり、更には名鉄グループの小売店部門再編により平成20年には不動産が売却された。そして、近鉄、タマコシ、長崎屋の後に続くかたちで平成21年中に閉店することになったのである。
他の小売店も目まぐるしく変わり、岐阜の現状を如実に現している。
どうなるのかな岐阜?
今はバルタンさんがお住まいの地域の方が繁栄してますよね?