(京都市左京区八瀬野瀬町)
平治元年(1159)平治の乱で平清盛に敗れた源義朝が東国への逃亡の際、延暦寺の僧兵に襲われ高野川に転落した。馬と共に転落した義朝は無事であり、それは観音菩薩の加護によるものだと感じた義朝は、岩に鏃で観音像を刻んだという。岩に刻まれた観音像はその後も信仰されたが、立地が険しかったことから、昭和8年(1933)現在地に真言宗の寺院が建立された。
アクセス | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 512 | PV | |
訪問者 | 419 | IP | |
トータル | |||
閲覧 | 6,180,165 | PV | |
訪問者 | 1,608,455 | IP | |
ランキング | |||
日別 | 1,990 | 位 | |
週別 | 2,506 | 位 |