(神奈川県小田原市国指定史跡日本100名城23番日本の歴史公園100選85番)元々この地には小早川氏が住んでいたという。その後応永の時代には、上杉禅秀の乱によって小田原は上杉氏臣大森氏の縄張りとなった。然し明応の時代になると、北条早雲のものとなり、惣構えの築造が始まった。北条氏康の代の永禄四年(1561)上杉謙信が攻め入り、永禄十二年(1569)には武田信玄が攻め入ったが、その構えもあって回避できたという。天正十八年(1590)豊臣秀吉は近隣早川の笠懸山に石垣山の城を築き、大軍を率いて小田原城を攻めた。そして徳川家康の領土となり、臣大久保忠世が四万五千石で入った。忠世の子忠隣のとき改易となり、元和五年(1619)上総大多喜から阿部正次が入った。元和九年(1623)に正次は武蔵岩槻に移り、寛永九年(1632)まで...小田原城