flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

一宮の大堀

2007-10-22 00:00:50 | 水のほとり
(愛知県豊川市一宮町)
 この場合の「大堀」は、災害と治水の両面を持つものである。それは大雨により、川が水嵩を増して氾濫したときに水害をもたらすが、その後氾濫分流したいわゆる「野水」といわれるものが、次第に「水みち」としてまとまり始め、それを人の手によって掘削、浚渫を施し、放水、分水、排水路としての役目を持たせたのである。よって人工の川ということで俗に「大堀」と呼ばれた訳である。この場合での大濠は、城郭の周囲に掘られた防御のための堀と造られた理由は異なるが、後に排水大堀を利用し、写真にある一宮砦横の大堀のように城郭を構えた場合もある。
 一宮の大堀は、標高789mの本宮山から発する豊川支流宝川が、宝川支流の白鳥川合流付近の小南口原(こなこうばら:一宮中学校裏手付近)から分流し、吉田往還(伊那街道)に沿って流れ、砥鹿神社の社叢の間を流れて、後の一宮砦横で豊川(とよがわ)に注いでいたようである。然し、次第にその用途は無用のものとなり、人々から忘れ去られていった。往時の痕跡は早くから失われたようだが、戦時中の開墾前までは、所々名残として存在したようである。
また、一宮砦横の谷の深さから推察して、垂直方向に存在する帯川(足山田町から佐奈川に注ぐ川)の旧流が、大木地区の条理を築く以前に、この場所に注いでいたのではないかとも想像できる。
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