手話通訳者のブログ

田舎の登録手話通訳者のブログです。

手話通訳者研修会で苦痛なこと

2016-02-14 07:01:39 | 手話
地元では、ろう協と手話通訳者たちの合同研修を行っている。
頻度は少ない。
こういう場に出かけていくと、顔馴染みのろう者たちに会う。
研修は分科会みたいな形をとることが多い、
すぐ近くで、相手の顔がよく見える状態で話し合うわけや。
同じグループになったろう者と議論していて、いきなり、同席の手話通訳者から叱られる。
「たいしさん、声!」
手話で話していると、自然に声が出なくなる。
正確に言えば、昔むかしは、普通に喋りながら手話を表すのが当たり前で、苦痛でもなんでもなかった。
しかし、ある時点から、手話を使う時は声を出すことをやめた。
やがて、それが体に染み付いた。
ふと気がつくと、昔のように喋りながら手話を表すことが苦痛になった。

ええやんか。声なしで。
喋りながら手話を表すの、苦痛なんや。


相談

2016-02-13 06:05:17 | 手話
「相談に乗ってもらえませんか?」
と言われて、断ったことはない。相談を持ちかけられる、ということは信頼の証であり、ありがたいこと、と考えている。
この話、外の世界(手話とは関係ない一般世界)では、ごく普通のことだと思う。

ところが、手話世界、特に手話通訳者の世界では、全く違う。
「困ったことがあったら、いつでも相談に乗るで!」
こういう態度が、主流派手話通訳者たちには気に入らないらしい。

「たいしさん、手話通訳者の仕事は通訳することです。コンサルタントでもないのに、下手に相談に乗って、何か問題が起こったら責任とれないでしょう? 手話通訳者として、自覚を持ちなさい」

彼らの言うことは、一応、正論である。しかし、彼らの言う通りにする気はさらさらない。
誰かに相談を持ち掛けられた時、「何かあったら責任とれるか」なんて考えていたら、親身になって相手の話を聞くことができるだろうか。

もちろん、相談に乗る以上、何等かの責任が発生するのは当然のことである。
覚悟を決め、できる限りのことはしよう、という気持ちで相手と向き合う。
ろう者と真剣に向き合うこともできない者が、手話通訳者と言えるんか?



身につけた手話を壊す

2016-02-12 04:56:48 | 手話
今回の話も、若い人たちにとっては「なんのこっちゃ」という話やろね。

昔は手話講習会で手話を習うと、教えてもらうのは日本語対応手話だった。
「私」 「名前」 「○○」 「です」
という手話表現。
当時、手話講習会で勉強した聴者が手話で話すと、上記の「です」をたくさん表したものだ。

当時の手話講習会は、1回だけの単発だったり、手話通訳者を目指している人が受講するものでも、週に1回、2時間の講座が1年間、という程度のものだった。

手話講習会を受講したものの・・・・・
ろう者とちっとも会話ができない。
駄目だこりゃ・・・
当時、手話を勉強した聴者は、一様にこのような思いを抱いたと思う。

ある時、「身につけた手話を壊してしまおう」と決心した。
ろう者と話す時、声を出すこともやめた。
口もほとんど動かさない。
頭の中から「文章」を消さなければならない、と思った。
手話は、ろう者から盗もう。
ゼロから、やり直し。

あれから30年。

これから手話を学ぼうとしている聴者から、
「手話を身につけるには、どれぐらいの年月がかかりますか?」
と聞かれる。

わからんなあ。
何しろ、今でも勉強中やから。




なんで笑うんや・・・

2016-02-11 06:55:55 | 手話
地元ろう者と話していて、
「はははは! たいし、ろう者みたい」
と、突然、爆笑されることがある。

なにがおかしいんや?
「今の手話、表情、ろう者みたい」
ええやんか。手話通訳者なんやで。
「でも、おかしい」
なんで笑うんや。ろう者みたいな手話。ええことやろ。褒めてくれるならいいけど、なんで笑われなあかんねん。
「まあ、気にすんな。はははは」

さらに突っ込んで聞くと、
「顔がおもしろい」
と言う。失礼やな。