小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

みすゞと男たち  夫・宮本啓喜

2014-03-20 | 金子みすゞ
夫・宮本啓喜

〈廣告塔〉
さやうなら
さやうなら

汽車のうしろの赤い灯は、
はるかの暗に消えました。

あきらめて、
くるり廻れば
はなやかね、
春のいい夜の空。

廣告塔の赤い灯は、
みるまに青くなりました。


 啓喜は熊本県人吉で酒屋と氷の卸業を営む宮本家の長男として明治34年一月に誕生。両親は実直な人で長男の啓喜を溺愛していたらしい。酒も 煙草もやらない父親の唯一の楽しみは芝居を見ることで、幼い頃から啓喜をよく連れて行ったという。啓喜も芝居が好きで役者の真似をして遊ぶのが好きだった。弟妹にも恵まれ、幸せな子供時代である。だが、小学校を卒業する頃に母親が亡くなって、後妻がきた。継母との折り合いは悪く啓喜は飛び出すように家を出て博多に行った。

 博多は人吉に較べると大都会であった。就職先は株屋で仕事見習いとして入った。株屋は一攫千金を夢見る男たちが集まってくる場所だ。時は第一次大戦のさなかで博多の街は活気づいていた。中学を出たばかりの少年は大人たちから可愛がられ、儲かった金で遊郭遊びなどにも連れて行かれた。やがて、見よう見まねでやりはじめた株で大儲けをする。儲かれば貯蓄に回す、などとは思いもよらず、啓喜の花柳界通いは激しいものがあった。おっさん連中にあって、若く、背も高い二枚目。しかも、金離れもよいときていればもてない訳がない。母の愛に飢えていた啓喜にとってちやほやしてくれる女性たちが、たとえお金のためであると知っていても、その瞬間瞬間を幸せにしてくれれば、それでよかったのだろう。

 しかし、よい時期は長くは続かない。それは、大正七年の第一次大戦の終戦で終わり、深刻な不況の時代がやってきたのだ。株式市場の暴落が続き、若い啓喜はもう、この業界で生きていくことが出来ず、一度は熊本に帰る。父親は次男と熊城園という看板を上げて氷にかけるシロップの製造を始めていた。しばらくは手伝ってみたものの居場所がないこともあって卸し代金を持って華やかな博多に舞い戻る。

 だが、仕事もみつからず将来を悲観して馴染みの芸者と心中事件を起こす。相手は死んで啓喜は生きていた。二人の決意を語る遺書があったので無罪放免となった。
もう、博多にはいられなかった。そこで、関門海峡を渡った。東京に行こうと思っていたのかもしれない。もしかしたら、旅費が足りなかったのだろうか。なぜか、下関の職業安定所を訪ねた。そこで紹介されたのが上山文英堂であった。頭の切れる啓喜はどう動けば気にいられるかということを心得ていて、主人の松蔵の受けも良く信用もされるようになった。数ヶ月で番頭格まで抜擢されている。やっと居場所をみつけたような気分だったのだろう。その思いがさらに啓喜を仕事熱心に向かわせた。

 主人の継子で女将さんの娘であるテルとの縁談を松蔵から打診されたのはその頃だった。文英堂の安い給金では株屋にいたときとは違って花柳界に遊びに出かけることは出来なかったが生来の女好きは直らず人妻や素人娘との火遊びが盛んだったらしい。外泊をきつく松蔵に叱られたりしていた。それでも、松蔵は啓喜の商売熱心を買ってテルの相手に白羽の矢を立てた。
 正祐のテルへの想いが強まっているのを危惧していたのだが、テルの手頃な相手が身近にいなかったのだろう。啓喜としては主人の親戚となるのだから異存はない。いずれはのれん分けしてくれるという約束でもあり、あの正祐坊ちゃんは文英堂を継がないかもしれない。そうすればこの店は俺の物になる。相手の人柄などはどうでもよかった。お金さえあればいくらでも遊べるのだ。ただでさえ女の地位が低かった時代である。詩を書く女などは啓喜の周囲には存在せず理解の範囲を超えた相手であった。

 ま、結婚してしまえばなんとかなるだろう…。それが大きな誤算であったことは結婚して間もなく知ることになる。
大正十五年の二月十七日に結婚式を挙げ啓喜とテルは文英堂本店の二階で新婚生活を始めた。主人代理という立場になった啓喜は以前より一層商売に励んだ。もう、使用人ではない、自分の店のような感覚が仕事に励ませた。ところが、それがいけなかった。坊ちゃんで芸術方面指向の正祐と事あるごとにぶつかるのである。松蔵のやり方を踏襲しようとする啓喜が正祐には阿漕に見えた。そんな男の妻になったテルが可哀相との思いもあった。

 四月に商売でドジを踏んだ正祐は家出をした。理は啓喜にあったのが耐えられなかったのか。それを機会に店は継がないから東京の音楽学校に行かせてくれと松蔵に要望書を出す。正祐に店を継ぐ気がないのであればと啓喜は正祐の不始末を自分のせいにした。
 だが、松蔵は啓喜が正祐をいじめたように思い、首を切る。何人かの女が店に訪ねてくるのも松蔵の不興を買っていた。そして、さすがの松蔵も。首を切るに当たってテルを離婚させようとする。

 しかし、テルは妊娠していた。父親が早くに死んだために幸せとは言えない育ち方をしてきたテルにとってお腹の子供の父親は切り捨てるわけにはいかなかった。だから、ついて行く選択をした。だが、啓喜の方はどうだったのだろうか。
文英堂という宝が掌中から滑り落ちたとき、元の自由な身に戻りたかったのではなかろうか。その反面、一緒に出てくれるということはひどく嬉しかったのに違いない。不運な我が身を嘆きながらテルを連れて文英堂を出ていった。引っ越したのは文英堂から歩いて十五分くらいの距離にある借家。啓喜はこの家から職探しに出ていき、職を転々としたらしい。翌年、長女のふさえが誕生。貧しいながらも家庭というものが成立した。
母親を早くに亡くし、継母との折り合いが悪かった啓喜にとって温かい自分の家庭を持つことは心中によって一度は諦めた「夢」であった。ふさえの誕生は啓喜とテルに希望を与えた。

啓喜はやりなおそうと思ったのか、テルとふさえを連れて熊本の実家に向かった。長男でもあることだし、商売には自信もある。家業を継ごうと思ったのではなかろうか。しかし、順調に発展している家業は父と弟の苦労の結果であった。右に記した「広告塔」という詩には見知らぬ土地へ流れていくテルの哀しみと決意が揺れているように感じてならないのだが、本当のところテルの気持ちはどうだったのだろうか…。

下関での啓喜は評判が悪いが弟妹たちにはやさしい兄だったようで雑誌や教科書などを送ってやったり下関に呼んで観光させたりもしている。だが、父親にすれば極道者で一度は勘当した啓喜に家督を譲るわけにはいかなかった。父親は筋を通す人であった。家督は共に商売に励んできた次男のものである。

やはり、人吉には啓喜の居場所はなかった。一家はひと月あまりで下関に舞い戻った。しかし、期するところがあったのか、下関に戻った啓喜は「辰巳屋」という名の菓子問屋を始めた。射幸心を煽るということで警察の取り締まりの厳しかった籤つきの駄菓子も扱った。これは警察との関係でどうにでもなるもので別段お咎めもなく商売は軌道に乗り始めた。しかし、テルは子供の心を弄ぶようなあたりはずれのある商品を扱うことを厭がった。店を手伝うこともなく、家事と育児の間に細々と詩を作っていた。啓喜はそんな妻が不満だった。

詩を作る妻。従順だけど、どこかで自分を蔑んでいる妻。
 テルはかって勤めていた商品館気付けで投稿仲間との文通を続けていた。筆まめなテルの手紙は相当数あるらしい。手紙を書いているときのテルは楽しそう、そんな顔を向けられたことのない啓喜は家庭がくつろぎの場ではなかった。ふさえは可愛かったが、妻は別の世界の住人だった。金を稼ぐということがどんなに大変かを知らずに金を蔑む妻であった。あの正祐とは文英堂行けば、今もブンガクや音楽などの話をしてるらしい。それも、面白くなかった。商売がうまく行き始めると啓喜は無条件に自分を受け入れてくれる遊郭へと通い始める。丸ごと包み込んでくれるような女たちの中に母がいた。妻にはないあたたかさがそこにはあった。

 しかし、そこにも落とし穴があった。知らない内にとんでもない病気をうつされていたのである。淋病だ。
それは、テルの発病によって発覚した。テルは、そのことを周囲に隠し抜き、啓喜を責めることもしなかった。まだ、騒ぎ立ててくれた方が、非難してくれた方がどんなに救われたことか。啓喜は妻に詩作と文通を禁じた。そのくせ、自分は遊郭に逃げ込む。家庭は地獄となっていき、啓喜の外泊がふえた。

 啓喜が家を空ければテルの時間がふえる。妻が、自分の詩集を手書きで作り始めたことを啓喜は知らなかった。悪化していく妻の姿が自分を責める。順調にいっていた辰巳屋が音を立てて崩れていく。ふさえを鎹としたガラス細工のような家族であった。立派な店舗は人手に渡り、二年の間に三度もの引っ越し。下関にあった一番格の低い遊郭のまわりばかりを転々と、家賃の安い家へと移っていった。

 ついに、妻から離婚を申し出られる。テルは病状を隠していたこと…経済的なことからかなり悪化していた。まともに歩けないほど…。当然の成り行きではある。啓喜はあっさりと離婚を承諾した。だが、こうなってしまったのは、啓喜一人のせいなのだろうか。
 妻子が出ていった後で啓喜は考えた。このままでは死ぬしかない。せめて、ふさえが居てくれたら立ち上がれるのではないか。親権は自分にある。ふさえを取り戻そう。父親としての思いに偽りがあったとは思えない。だが…迎えに行くと伝えた日の朝、テルは自殺してしまった。

「あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって心の糧ではありません…」啓喜にはむごい遺書が遺されていた。「命を投げ出してみすゞは娘を守った」と後世の人が語り継ぐほどに啓喜は悪人にされてしまった。だからこそ、なんとかしてふさえを自分の手で育てたかった。啓喜は頑張った。法律を味方につけた啓喜の願い。一度は上山家も折れたものの、松蔵と父親の話し合いの結果ふさえは取り上げられてしまう。 もう、こんな所には居られない。啓喜は上京した。それと同時に、資料の中から姿を消すのである。
 七年後の昭和十二年に再婚。子供にも恵まれて、やっと平穏な家庭を築いたようだ。

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3 コメント

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Unknown (桃)
2020-12-03 12:31:38
今みすゞについて調べております。夫、啓喜さんについて他の人とは違い良いところをちゃんと書いてくださりありがとうございます。夫のことを悪い人ではないということを聞き、悪い情報だけでないいい情報を探しております。この文献も参考にさせてもらいます。ありがとうございました。
桃さんへ (akigasumi)
2021-01-07 14:38:32
桃さん、はじめまして。
著作権の所有者である矢崎氏の主張が一般論とされています。意に沿わないみすず論は著作権を盾に排除されるようです。ですので真実が明らかになるまではまだ時間がかかるでしょう。啓喜さんを追い込んだのはご本人の弱さもあったでしょうが周囲の人たちだったようにも思います。
Unknown (通りすがり)
2021-12-06 10:40:00
夫は悪い人ではないかもしれませんが甘ったれですね。母親の女房をママの代理にするのもね。
早くに母を失くしたって?それを言うなら、みすゞだって早くに父を亡くしてますよ。

良いところを書いたって?
言い訳にしか思えませんね。
結局再婚後も女遊びは改められなかったんだから。

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