紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

都会人の寂寥:リアリスト画家・エドワード・ホッパー

2005-08-25 10:06:43 | 芸術
アメリカの美術館を見て回った時、印象派の絵が多いことをやや意外に感じた。初めてニューヨークの近代美術館に行った時、カンディスキーや、クレー、アンディ・ウォーホル、キース・へリングなどはいかにも現代美術だなあと思ったのだが、それらと並んで、セザンヌやルノワール、モネなどの「保守的」な絵も少ないながら展示されていたのが印象に残ったが、シカゴのアート・インスティテュートなどは全米でも有数の印象派のコレクションを売り物にしていて人気を集めていた。印象派のわかりやすいが写実的過ぎないところが、美術に触れたという程々の満足感を与えてくれるのかもしれない。アメリカの文学や芸術は西欧の亜流のイメージが強く、ブログでも時々取り上げている詩の世界でも芸術的なイギリス詩からどう独立して個性を発揮するかで苦闘したようである。絵画の世界でも確固たる伝統をもつ西欧絵画の歴史に挑戦するために、アメリカ絵画が抽象画やポップアートの世界に活路を見出していったのは自然な流れだったのだろう。

西欧絵画の伝統に対抗する上でアメリカの画家たちが選んだ一つの方向性は、アメリカの特徴の一つである雄大な自然をリアルに描くことだった。イギリス生まれでハドソン川の風景に衝撃を受けてその自然を描いたトーマス・コールとその弟子たちは、「ハドソン・リバー派」と呼ばれる、雄大な自然を細密に描く画風を確立した。フレデリック・E・チャーチの『ナイアガラの滝』、アルバート・ビーアスタットの『ヨセミテ渓谷の日没』など、いかにもアメリカ的な風景をリアルに描いた古典的絵画である。

一方で都会人、現代人の孤独を写実的に描いたのがここに挙げた『ナイト・ホークス(1942)』の画家エドワード・ホッパー(1882~1967)である。彼はいかにもアメリカ的な画家で、人気も高く、前述のシカゴ美術館でも充実したホッパー・コレクションを備えていたが、アメリカの主要都市の美術館に行けば、必ず一枚は彼の絵を見ることができるだろう。この絵をごらんいただければ余計な説明は不要だと思うが、深夜のダイナーを描いた、一見何の変哲もないリアリズムに徹した絵でありながら、都会生活の寂寥感を実に説得的に表現している。リンクをたどって彼のほかの作品も見ていただきたいが、郊外の明るい日差しを描いた絵でもどこか満たされない寂しさや倦怠感のようなものが伝わってくる絵が多い。しかしなぜか心を惹かれる絵ばかりである。

ホッパーはニューヨーク市郊外のナヤックという小さな町で生まれたが、絵を習ったのも活動したのもニューヨーク市であり、亡くなるまでニューヨーク市で過ごした都会派である。最初は広告などの商業画家としてスタートしたが、のちに芸術家に転じて、アメリカで最も人気のある画家の一人となった。ホッパーの絵を見ると、上手く表現できないが、アメリカ都市のもつドライな質感、競争社会で生きるアメリカ人の寂寞たる心が正確に捉えられている気がする。彼が活躍したのが大恐慌から第二次世界大戦までの時代だったのが彼の作品とその登場人物たちに影を落としているかもしれないが、そこで描かれた心象風景は今日のアメリカ人や全ての都会人にも通じるものがあるだろう。その意味でとてもわかりやすい絵画だが、アメリカしか生み出せない、一つの表現を構築した画家だったのではないだろうか。