くろちゃんの甲府城つづり

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甲府勤番のお話

2012年03月05日 | 甲府城歴史エトセトラ
最近、古写真が発見されて
注目をあつめている甲府勤番

今日は甲府勤番のしくみについて、ちょっとだけご紹介しますね


甲府勤番は享保9年、柳沢氏移封後の甲斐国につくられた制度です
以後幕末にいたるまで、甲斐国は幕府の直轄支配を受けました。


編成ですが、追手・山手の2名の勤番支配がトップでした
勤番支配はそれぞれ100名の勤番士を統率し(内2名が組頭となりました)、
この下に与力と、同心が配置されていました



         甲府勤番制度
     追手組        山手組

上から、勤番支配、組頭、勤番士、与力、同心


トップである甲府勤番支配は幕府の重要な役職で、
石高3000石クラスの大身旗本が任命されていました

勤番士支配および勤番士に任命された人物たちは、
甲斐国にゆかりのある家の旗本がとっても多いんですよ
先祖のゆかりの地に任ずる、といったところでしょうか。

両組は、月交代で城内の警備し、武具や城米の管理・城下の政務を担当していたそうです
勤番士の日記など当時の記録には、勤務に関する注意事項などがかなりこまかく
記されています

○まじめにつとめなさい
○遅刻厳禁
○あそびにふけらないように
○のみすぎちゃだめ!
○城内の清掃や備品についての注意事項

などなど
読んでみると勤番士たちのつとめぶりを知ることができます
現代に生きる私たちと同じ部分もあり
勤番士さんたちをとっても身近に感じます

コメント
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