精神世界(アセンションについて)

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高橋信次  魂(意識) 魂の本体と5分身 

2008年09月23日 | Weblog
魂の本体と5分身

信次によれば、人の魂は、1人の本体と5人の分身からなるとされ、その組成には

1.男本体1、男分身5
2.女本体1、女分身5
3-1.男本体1、男分身2、女分身3
3-2.女本体1、女分身2、男分身3
の、3系列があるとされた。
本体と分身は、正確的長所や欠点について同じような特徴を持っているとされ、
本体は自らに加え、各分身が作り出した「カルマ」までも解消する役割を持つとされた(分身は自身の「カルマ」解消のみでよいとされた)。
これらを、信次は「魂の兄弟」と呼んだ。
6人のうち1人が地上に出た際には、残りの5人のうち1人が守護霊をつとめるとされる(肉体先祖がつとめる場合もあるとされる)。

「魂の兄弟」とは別に、地上の人間が就いている専門の職業について、実在界から指導する霊を指導霊と呼ぶとされ、これは、それぞれ物理学なら物理学、法律なら法律といった地上にいる人各々の専門分野に応じた霊がつとめるとされる。
その指導は努力に比例し、絶対に不平等はないとされる。

※これに対して動物の魂は本体1分身5、植物は本体1分身4、鉱物は本体1分身は各元素の原子番号の数(すなわち原子核中の陽子数ないし核外電子数)とされた。

※精神はエネルギーそのものであるとされ、魂の、中心(心)の波動は細かく(周波数が高く)、次元を下げて、その表面に近づくほど荒く(周波数が低く)なっていくとされた(実在界・現象界等の外界の次元も同様であるとされる)。

※「神の精」は「神仏の精」とも表現されたが、如来界、宇宙界の人々の魂の構造一般をも包括して説明するため、ここでは前者で統一している。

※「神」を大地、「魂」を樹木、「心」を樹木の根にたとえるとすると、
大地(「神」、「神の精」、「神仏の精」、個の意識の母体)から生えた樹木(「魂」個の意識の全体)において、その枝(「心の機能」、人間が普段体験する「感情」、「意志」等のこと)は、根(「心」意識の中心、根源。
神につながる部分)を起点として、9次元、8次元と、魂の表層へ向かって幹(「潜在意識」意識の90%に相当するとされる)が伸び、3次元(「表面意識」表層の意識。日常生活の中での五官を介した意識。全体の10%程度に相当)に至って、6つの枝(領域)に分岐する。
この6つの領域を、信次はそれぞれ「想念」、「本能」、「感情」、「知性(智性)」、「理性」、「意志」と呼び、これらはそれぞれ個別の心的作用を持っているとした(これらは、ほぼ字義通りにとってよい。
「知性(智性)」は体験を通して学んだ気付きの総体。
「理性」は「本能」や「感情」に対する制御機構、ブレーキ、暴走を食い止める)。
これらの相互作用により、想念、行為が発生する。
このときに生じる各領域の不調和(感情なら怒り等)が、個別のカルマを形成し、苦楽の人生を形作るとした。
これらの調和をはかることが「八正道」であるとされた。
表面意識と潜在意識は想念帯という想念が記録された壁によって(想念「帯」という名のとおり)さえぎられているが、
「八正道」に基づいた日々の生活によって表面意識と想念帯が浄化される(これが八正道の効果とされる)と、
想念帯の壁が崩れ、心の内部の潜在意識が表面意識に流れ出し(「霊道」)、
これまで学んだことのない過去世の言葉や智慧が生じてくるとされ(摩訶般若波羅蜜多、すなわち内在された智慧)、
また上記の節で説明されたように、不調和なカルマ(自然の法則に対しての不調和な想念行為とその影響)を造らないため、内面、周囲の環境ともに調和された結果が生じはじめるとされる。
表層においては分岐し、独立して働いている心的作用の6領域は、心の根源部分においては統合、すべての領域が調和され、慈悲、愛、智慧、建設、義務、責任、使命といった神の子の己に帰り人間と大自然の仕組みが理解され、神の恵みを心から受け取ることができると信次は表現した(信次は最晩年の講演『太陽系の天使達』でこれを「心の眼」、「心の耳」等と表現した)。
「宇宙即我」の大我(真我、以下参照)とは心の根源部分に表面意識がつながり、発現された姿であるとされた(釈迦、モーセ、イエス・キリストの悟り)。
信次は、「自我」を、通常の字義通り、主体と客体とを区別し、主体として自覚される「自分」という意識として用いている。
信次はさらに、この自我を「偽我」、「善我」、「真我」と区分し、上記の6つの領域のうち「本能」、「感情」、「知性」、「理性」のいずれかが、単独で「意志」に結びついたときに「偽我」として現れ、各々個別の欠点として現れるとされる(霊視者には各所に凹凸のあるいびつな心として観察される。これは理論や思想ではなく、事実であるとされる)。
また、「反省」によって、欠点を修正した時に心の各領域は調和され(霊視者には丸い心として認識される。このときに、柔らかい金色のオーラ・後光が出ているとされる)善我を自覚できるとする。
さらに、現象の世界においては別々であっても人と自分は本来一つであり、神の心の中で生かされていることを自覚する「宇宙即我」(梵我一如)を悟った「真我」があるとされる。
このようにひとくちに「自我」といっても、「心」、「潜在意識」、「想念帯」、「表面意識」の相互作用のあり方により、「偽我」、「善我」、「真我」の三つの相(あり方)を持つとされる。

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