工房八重の部屋

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東京滞在、旧岩崎邸に財閥の財力を感じる!

2016年06月29日 | Weblog
最後に訪ねたのが、旧岩崎邸でした!

旧岩崎邸は三菱創業者の岩崎家の旧本邸で

敷地全体は国指定の文化財で、洋館、和館の

内部が見学できます!

芝生の庭は広く、それでも今の敷地は以前

あった敷地の三分の一とか!

2001年(平成13年)岩崎邸は東京都に移管、現在は都立公園として開園されています!

この旧岩崎家を見学して岩崎家の財力のすごさを感じました!

今回の東京滞在で9か所の庭園めぐりしましたが

そのなかで素晴らしいと感じた、六義園や清澄庭園

は岩崎家の所有だった庭園で、それを寄付し

六義園
(1938年(昭和13年)に六義園は東京市に寄贈され、
以後一般公開されるようになりました。)

清澄庭園
(1924年(大正13年)三菱3代目社長の岩崎久弥は当時の東京市に清澄庭園の
東半分を公園用地として寄贈。
市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設などの整備を進め、
1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園した。
1973年(昭和48年)に東京都は残る西半分の敷地を購入。
1977年(昭和52年)に開放公園(清澄公園)として追加開園した。)

その寄贈が戦前に行われたのはすごいです!




現在の旧岩埼邸の地図


以前の岩崎邸の敷地 現在の部分はグリーンの部分で
今の敷地は以前あった敷地の三分の一です!


百合の花が咲いていました


岩崎邸の洋館が見えてきました


旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家(現在の新潟県上越市高田)
の中屋敷であった。
明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、1878年(明治11年)に
三菱財閥初代の岩崎弥太郎が牧野弼成から邸地を購入したものである。
現存する洋館、大広間(かつての和館の一部)などは、
岩崎財閥3代の岩崎久弥によってジョサイア・コンドルの設計で建てられ、
1896年(明治29年)に竣工したものである。
太平洋戦争以降1945年(昭和20年)GHQが接収、諜報機関「キャノン機関」本部となる
(岩崎家は和館の一部に居住)
1947年(昭和22年)に財産税の物納として国有財産化




玄関入口


ジョサイア コンドルが設計しました



階段



















2階からの庭園の眺め




和館の内部














和館から洋館が見える


見学コースは洋館から和館へ行き 和館から出て
芝生の庭に出ます! 洋館の裏




この建物はビリヤード室です




ビリヤード室の内部


ビリヤード室の窓