工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

京都非公開文化財特別公開 妙法院国宝の庫裏、ポルトガル国インド福王信書、

2011年11月14日 | Weblog
京都非公開文化財特別公開で (2011年10月30日(日)~11月6日(日))、

三十三間堂本坊の妙法院が拝観出来るとのことでした。

通常は非公開で、よく京都国立博物館に行くときに、門が閉まっているのを拝見し、

中を拝観してみたいものだと、思っていました。

妙法院は、青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた

名門の門跡寺院で、また、後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院としても知られて

いる寺院とのことです。

近世には、方広寺(大仏)や蓮華王院(三十三間堂)を管理下に置き、広大な敷地の寺院

で、現在は、かっての20分のⅠ位の敷地とのことですが、それでも、

今でも広い敷地の寺院でした。

三十三間堂は、近代以降も引き続き、妙法院所管の仏堂となっていますので、

京都国立博物館やハイアット リージェンシー 京都の敷地は、明治時代に廃仏毀釈が

おきるまでは、妙法院の敷地だったのですね!

豊臣秀吉が、方広寺千僧供養を行った遺構とされる桃山時代の建築の国宝庫裏の内部は、

広くて、棟までは高く、梁が太く、豪華な台所でした。

大書院(重文)は、東福門院(後水尾天皇の中宮)の御殿を移築したもので、雅やかな

江戸初期の建物で、その前にある庭園が美しかった。

本尊普賢菩薩像をはじめ、国宝の羊皮に書かれたポルトガル国インド福王信書等の

珠玉の寺宝を拝見し、静寂に満ちた寺内は、緑多く心が休まりました。

写真撮影が禁止されていましたので、外部のみ撮影出来ました。


看板




看板の写真による。 本尊普賢菩薩像は1頭の象が支えている。


看板の写真による。  本尊普賢菩薩像


看板の写真による。  江戸時代の本堂は小さなお堂のような本堂でした。


妙法院の塀


いつも閉まっている門が開いていました。


国宝の庫裏  
庫裏内に豊臣秀吉が方広寺千僧供養を行った遺構とされる桃山時代の建築の台所が
あります


玄関


北側の武田病院のパーキング入口から、妙法院の駐車場に入れる門がありました!
車で行けるのですね!