黒染め強要された大阪の女子高生は、歴史を前進させる戦いに挑んでいる――鴻上尚史
― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―
忘れらない写真があります。一人の緊張した顔の若い黒人女性の周りで、ニタニタと白人達が笑っている写真です。
女性の名前はドロシー・カウント。15歳。1957年9月4日。ノースカロライナ州のハーディング高校の入学式の風景です。
彼女はアメリカ史上、最初の高校生になった黒人女性でした。
可愛い孫娘のために、祖母は何日も徹夜して晴れの入学式で着る素敵なドレスを縫い上げてくれたといいます。しかし、このドレスの背中は、学校に来るまでの間に、たくさんの唾や腐った食べ物、石などで汚れていました。黒人差別が当たり前の時代でした。
それでも彼女は登校しました。次の日も、次の日も。
唾を吐き駆けたのは女性達です。男性達は小石や腐った食べ物を投げました。
けれど、学校のロッカーは壊され、自宅にも嫌がらせや脅迫電話があり、身の危険を感じるようになりました。
学校側の要請もあって、結局、4日間、登校しただけで退学し、引っ越しせざるをえませんでした。
入学式で写っているドロシーは、意志の強い顔をしています。周りのニヤニヤと笑っている同級生達とはまったく違う、知性と目の力を感じます。
この写真のことを思い出したのは、大阪のニュースを聞いたからです。
ネットではかなり有名になりましたが、大阪の府立高校に通う高校3年の女子生徒が生まれつき髪が茶色なのに、校則を理由に黒く染めるよう強要されて不登校になったとして、慰謝料など損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こしました。
10月27日開かれた第1回口頭弁論で府側は請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を示しました。
つまりは、自分達はまったく悪くないと主張したのです。
「金髪の留学生でも黒く染めさせる」規則
この女子高生は、入学前に、生まれつき髪が茶色であると学校側に告げると、「その髪色では登校させられない」と黒染めを求められました。
女子高生はその指導に従い、黒く染め始めましたが、1年たつ頃に頭皮が荒れ、痛くなりました。
母親は抗議しましたが、学校側は「黒にするのがルール」と認めませんでした。皮膚は荒れ、髪はボロボロになりましたが、「染め方が足りない」と4日に1度の頻度で注意されました。
また、「母子家庭だから茶髪にしているのか」と言われたり、厳しい指導の際に過呼吸で倒れ、救急車で運ばれたりもしました。文化祭や修学旅行には茶髪を理由に参加させてもらえませんでした。
昨年9月には、「黒く染めないなら学校に来る必要はない」と言われ、不登校になりました。3年生になった現在は、クラス名簿に彼女の名前さえありません。
生徒の代理人弁護士には、学校側は「たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒く染めさせることになる」と答えています。
もう狂っているとしか言えません。これが教育者の言葉でしょうか。トランプ一家の親戚か誰かが何人か転入してくれないかと思います。本気でアメリカ人の髪の毛を染めるつもりなのか。本当に染めたら、間違いなく国際問題です。それを、この府立高校の校長と教頭は受けて立てるのか。そして大阪府の教育委員会も。
ネットでは、「茶髪の生徒が増えると近所が『あの学校は乱れてる』と判断して、評判が落ちるし、質のいい生徒は来なくなるから指導しているんだ」という文章がありました。それと、外国人留学生を黒染めすることは何の関係もありません。
提訴した彼女は、必死の思いでしょう。苦しいと思います。周りからいろいろと言われているかもしれません。
ドロシーさんは、やがて大学を卒業し、育児保育団体でカウンセラーとして働いたそうです。彼女の戦いが愚かな人々を照らし、歴史を前進させました。
大阪の彼女の戦いも同じ意味があると、大げさではなく心底思います。彼女を負けさせたくない。本当に応援したい。
このSPA!の文章が彼女の目に届き、ここにも応援している人間がいるのだと伝えられたらいいと願います。あ、でもエッチな特集があると親は見せたくないか(笑)。
※「ドン・キホーテのピアス」は週刊SPA!にて好評連載中