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百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する

2015-06-29 13:48:40 | 沖縄

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=121681

百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する

2015年6月27日 11:56
 
・1925年当時、普天間飛行場の土地は村役場もあり、住民は約9千人
・沖縄戦中、住民が収容所に入っているうちに米軍が占領し建設した
・沖縄防衛局によると、地主の75%は軍用地料収入が200万円未満
 
戦前(1944年)の宜野湾村と普天間飛行場の重ね図
 
軍用地料の金額別の割合(2011年度)
 
 
 

普天間飛行場、もとは田んぼ→戦前は9千人超生活

 百田尚樹氏が「田んぼで、何もなかった」とする米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。

 最も大きかった宜野湾は村役場や宜野湾国民学校、南北には宜野湾並松と呼ばれた街道が走り、生活の中心地だった。

 飛行場は、まだ沖縄戦が終結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。

 市立博物館の担当者は百田氏の発言に「人々が戦争で追い出され、何もなくなるまでの過程が抜け落ちている」として認識不足を指摘した。

 

■地主の年収 何千万円→100万円未満が半数超

 百田尚樹氏は「基地の地主はみんな年収何千万円」と発言した。しかし、地主の75%は200万円未満の軍用地料しか得ておらず、実態は百田氏の発言した内容と大きくかけ離れている。

 沖縄防衛局が発表した2011年度の軍用地料の支払額別所有者数(米軍自衛隊基地)によると、地主4万3025人のうち100万円未満の地主が全体の54・2%に当たる2万3339人で最も多い。

 次いで100万円以上~200万円未満が8969人で20・8%を占め、200万円未満の割合が75%にのぼった。

 500万円以上は3378人で7・9%だった。

 軍用地料は国が市町村含む地主と賃貸借契約を結び、米軍自衛隊に土地を提供する。地主に支払われる賃貸料は自衛隊基地を含み11年度は918億円だった


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