my music life

私の好きな音楽の話を綴ります。

461オーシャン・ブルー・ヴァード

2010-01-31 | ロック


私は「エリック・クラプトン」の「461オーシャン・ブルー・ヴァード(1974年)」のアルバムが大好きだ。

「エリック・クラプトン」1945年3月30日イングランド リプリーで生まれた、ロック・シンガー&ギタリスト。
すでに65歳になるロックギターのカリスマ。

「461オーシャン・ブルー・ヴァード(1974年)」をリリースする以前の経歴はあまりにもスゴイの一言。
 ヤードバーズのギタリストから始まり、ブルースブレイカーズ、クリーム、そして若くしてロックギターの神様になってしまった。

その後デレク・アンド・ザ・ドミノスのバンドを結成して有名な「いとしのレイラ」で名盤まで創り上げてしまった。

しかし、この後彼は親友「ジミ・ヘンドリックス」「デュアン・オールマン」の死に接して、ヘロイン中毒になり3~4年もの間、活動を中止してしまう。

Eric Clapton - Motherless Children


オープニング曲「マザーレス・チルドレン」

Eric Clapton - "Give Me Strength"


「ギヴ・ミー・ストレングス」

そして待ちに待った復帰作がこのアルバムなのです。
 タイトル名はマイアミのレコーディングスタジオの住所。
ジャケットには「クラプトン」他メンバーのリラックスした写真と温暖な気候のマイアミのスタジオ周辺の写真が載っていて、レコーディングがリラックスしながら、スムーズに行われた事を表している。

 さて内容はというと、よれよれの「クラプトン」が、一言一言、言葉を噛みしめるように、力の抜けたリラックスした歌と演奏を繰り広げている。


Eric Clapton.  I shot the sheriff


レゲエを世界に広めたボブ・マーリーのカバー
「アイ・ショット・ザ・シェリフ」



ボブ・マーレーのオリジナルで!

オープニングのマザーレス・チルドレンのタイトな演奏に気だるいクラプトンの「母のない子、母が亡くなるとつらい思いをする」と歌が加わり、一気にテンションが上がる。

そしてギヴ・ミー・ストレングスで「俺に力をくれよ、神様」とアコースティック&スライドギターをバックにゆったりと歌う。
私はもうこれで昇天してしまいます。

世界的にレゲエを広め大ヒットしたアイ・ショット・ザ・シェリフ(ボブ・マーリー作)のリズミカルな躍動感もたまらない。

 アイ・キャント・ホールド・アウト(エルモア・ジェームス作)のブルースも独特のアレンジでルーズさもイカす。

 レット・イット・グローでは「岐路に立ち、行く手を決めかねている。どの道を行けばよいのか…」と自分の現在の感情を発露する。

ステディ・ローリン・マン(ロバート・ジョンソン作)ではギターのアドリブも出しゃばらずに程よく、アレンジも最高にイカしたブルースを堪能出来る。

Let It Grow  (live) 1974  Eric Clapton


「レット・イット・グロー」

 ブランクからすんなりレコーディング出来る様に、プロデューサーのトム・ダウドが集めたベテラン、ミュージシャンのおかげで、 リラックスしているのに実にタイトな演奏が繰り広げられる。

精神状態が優れない当時の「クラプトン」の本音が見え隠れする好アルバムだ。

Steady rolling man


「ステディ・ローリン・マン」

I'm A Steady Rollin' Man [Remastered] ROBERT JOHNSON (1937) Delta Blues Guitar Legend


本家「ロバート・ジョンソン」の「ステディ・ローリン・マン」


 このアルバム、発売当時、リラックスしすぎている、ハードさが足りない、ギターをあまり弾いていないなど否定派と、これは最高のレイドバック・アルバムだという肯定派の賛否両論があったが、 売り上げ事態は全米第1位となり「クラプトン」の復活を決定づけた。

 「いとしのレイラ」のアルバムはリリース当時、聴きすぎて一時聴きたくなかった時期もあったが「461オーシャン・ブルー・ヴァード」は何回聴いても新鮮な気分にさせてくれる。

「いとしのレイラ」とは対局にある「461オーシャン・ブルー・ヴァード」は、じわじわと伝わってくる自分の弱さをさらけ出したクラプトンの最高のブルース・アルバムだ。 (このブルースとは形式のブルースではなく、彼の生き様という意味で使っています。)

 私はジャケットを見る度にホッとした気分にさせてくれる、このよれよれ「クラプトン」のアルバムが大好きだ、最高にイカした隠れた名盤だと思う。

「エルモア・ジェームス」と「ザ・スカイ・イズ・クライング」

2010-01-22 | ブルース


「エルモア・ジェームス」(1918年1月27日~1963年5月24日) ミシシッピー州生まれのブルース・マン。

 彼のワイルドなエレキ・ギターのボトルネック奏法(スライド)は、今で言えばヘビー・メタル級!
この奏法は、指でなくスライド・バーで弾く、簡単に言えばハワイアンのスチール・ギターの音をワイルドに歪ませたと言えば分かるかな(笑)。

 1951年に「ダスト・マイ・ブルーム/Dust My Broom」(「ロバート・ジョンソン」の楽曲。)が大ヒットしたおかげでトレード・マークとなったこのリフは、あまりにも有名。

ロック・ミュージシャンに多大な影響を及ぼしたボトルネック奏法の革命的存在ですね!

 初期の「フリート・ウッドマック(1967年~)」在籍「ジェレミー・スペンサー」もこのリフでギターをかき鳴らしていた。

ギターだけではなく彼のボーカルもエモーショナルにビンビン私のハートを突き刺します。偉大なブルース・シンガーでもあります。



「ダスト・マイ・ブルーム」
スライド・バーでコードを3連リフでかき鳴らすイントロ。
このスタイルを『ブルーム調』と呼んだ。




本家「ロバート・ジョンソン」の「ダスト・マイ・ブルーム」


 彼は他の曲でも同じリフを弾いていた為、「エルモア・ジェームス」と言えば「ダスト・マイ・ブルーム」のリフしか知らない人が多いが、彼の曲には日本人泣かせの名曲がある、「ザ・スカイ・イズ・クライング」!



空が泣いている。通りに涙が流れていく。
空が泣いている。通りに涙が流れていく。
俺はおまえを探している。おまえはどこにいるのか。

俺はある朝、おまえを見た
そして、おまえは通りを歩いていた 。
俺はある朝、おまえを見た
そして、おまえは通りを歩いていた。

そう、おまえは知っているのか、おまえは俺を傷つけたことを。
 俺の貧しいハートの鼓動をはね回した。
さあ、行こう、俺のために愛してくれ。
俺はバッド、バッド・フィーリング。
おまえは、もう私を愛してくれないのか。

空が泣いている。涙が俺の鼻を伝う。
空が泣いている。涙が俺の鼻を伝う。

 空が泣いている。通りに涙が流れていく。
 俺はおまえを探している。おまえはどこにいるのか。

(私の訳詞はいい加減なので、こんな雰囲気です(笑)。どなたかきちんとした訳詞があれば教えてください。)



要するに彼女に振られた曲なのだが、この曲聴いちゃったら、薄っぺらいポップスなんか、吹き飛んじゃうね!

 歌といいギターといい、この説得力は何なのだ、「エルモア・ジェームス」の生き様が凝縮されているようだ。

 この曲は「ホームシック・ ジェイムス」が作った曲らしいが定かではない。
 とにかく彼にまつわる証言やインタビューがないので彼の詳しい歴史はよく解らないらしい。

1963年、シカゴで心臓発作で45歳という若さで亡くなっている。

偉大なブルース・マン、ロック・ミュージシャンもそうだが、まるで自分の命と引き替えに才能を与えられたように短命だった「エルモア・ジェームス」。

「ロバート・ジョンソン」とも会っていることから、もしかしたら「ロバート」に教えられて、十字路で彼も悪魔と出会い、魂と引き替えにギターの才能をさずかったのかもしれない。



「エルモア・ジェームス」の「ザ・スカイ・イズ・クライング」
格好良くて参っちゃうね!



「スティーヴィー・レイ・ヴォーン」と「アルバート・キング」の共演。
「スティーヴィー」もスゴイけれど「アルバート」も大迫力です。
途中から、得意の音外しで「BBキング」の乱入です。
ハープは「ポール・バター・フィールド」



よれよれ「エリック・クラプトン」も最高ですネ!
歌詞を改作して歌っていますね。


「花のサンフランシスコ」とフラワー・ムーヴメント!

2010-01-12 | ロック


スカパーTVの「ミュージック・エア」を見ていたら「スコット・マッケンジー」の「花のサンフランシスコ」のミュージック・ビデオが流れていた。
1967年、世界的に大ヒットした楽曲だね。

「スコット・マッケンジー」は1939年10月1日の生まれのアメリカのミュージシャン。
彼はこの楽曲の作者「ジョン・フィリップス」とは幼馴染みで「ジャーニーメン」というフォーク・グループにふたりは在籍していた。
 解散後「ジョン・フィリップス」は「ママス・アンド・パパス」を結成、彼はソロ・シンガーとなり、「ジョン・フィリップス」の楽曲「花のサンフランシスコ」をリリース。
 これが大ヒット!一躍時の人となった。



「スコット・マッケンジー」の「花のサンフランシスコ」

 初めて映像は観たのだが、懐かしさと当時の雰囲気が蘇ってきた。
60~70年代はラジオが唯一の洋楽の情報源で、暇な時はラジオにかじり付いていたが、この曲を聴いた時は透き通る歌声からくる独特の浮遊感と小気味よいポップ感が私を虜にした。

 「ザ・ビージーズ」の「マサチューセッツ(1967年)」「ホリディ(1967年)」「ママス&パパス」の「夢のカリフォルニア(1966年)」(作者が同じ「ジョン・フィリップス」)などの当時ヒットした楽曲もそうだが同じ匂いがしたね。
 


「サンフランシスコに行くのなら、髪に花を飾って行こう」
「サンフランシスコに行くのなら、やさしい人々に出会える」
「夏にはラブ・インがある」
 「国中を揺るがす、この不思議な動き」
 「人々は動き出す。新しい世代が…」



要約するとこのような歌詞ですが、当時のフラワー・ムーヴメントをメランコリックにズバリ歌っている。
この楽曲は当時60年代中期にサンフランシスコから発祥したフラワー・ムーヴメント(ヒッピー)の事を歌っている。
 当時フラワー・ムーヴメントとロック・ミュージックとは密接な関係を築いていた。

これから世界が変わるのだという「ラヴ&ピース」の幻想は世界を駆け巡り「ウッドストックフェスティバル(1969年)」の「ジミヘン」で終焉を迎えた。

 この曲はフラワー・ムーヴメントのプレリュード(前奏曲)だったんだね。

「モントレー・ポップ・フェスティバル(1967年)」のためのテーマ曲だったという説もあるが定かではない。

 ミュージシャン「スコット・マッケンジー」は正直このヒット曲以外は知らないし、その後も知らない。
 しかし「花のサンフランシスコ」を聴くと「スコット・マッケンジー」の名前とフラワー・ムーヴメントのことを思い出してしまうのは私だけでないはず。

 私の心の奥底には今も「ラヴ&ピース」がたたずんでいるような気がしてならない。



フラワー・ムーヴメントの象徴「ママス&パパス」の「夢のカリフォルニア」




「ビージーズ」初期の名曲「マサチューセッツ」