実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

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13歳のSOS(上)  実戦教師塾通信四百五十二号

2015-07-17 12:16:32 | 子ども/学校
 矢巾町中学生自殺事件(上)
     ~担任/学校は生徒を見殺しにしたのか~

 ☆☆
本論に入る前に、安保法案のことに触れます。関連法まで含めて11という馬鹿げた数の法案が、とうとう衆院を通過してしまいました。自民長老たちも遅すぎとはいえ、この体たらくを前に立ち上がりました。
山本哲士が昨日のブログで、なぜ徹底して「自衛」について論議されなかったのか、という残念な気持ちを書いています。スイスがよそに出向くことなく、一国で自分の国の平和をどうやって守って来たのかと書いてます。一考すべきことと思います。


 1 初めに

 この事件に関して私はレポートする気はなかった。従来通りに書くこととなるからだ。でも、あちこちから催促があったので、と言い訳めくが。
 まずいつも通りのこととなってしまうが、学校(校長)が、事故/事件直後に、
「現段階でいじめと断定出来ない」
と言ったこと。おそらくはメディアの、紋切り型でしょうもない、
「いじめはありましたか」
という質問/詰問に応えたものだろう。
「報告は受けてないが、今はこの子の不幸を思うことで精一杯だ」
と、そんなことが言える管理職をいつか見たいと思っている。本当なら、そんな状態に置かれているはずなのだ。いや「本当なら」と言ったのは、実のところ、
「こんなことになってしまって、どうしよう」
という胸の内がホントと思えるわけで、それで「本当なら」なのである。

 町教委の話では、昨年の調査ではいじめは「ゼロ」だったという。責任ある立場の人間だったら「調査やり直し」を指示するはずだ。私の知るところでは、ある市の教育長は、昨年のいじめ報告は1000に上るという。
 では、私の現場感覚で考えてみよう。まずだが、いじめは必ず起こっている。私の経験したクラスでも、必ずそれはあった。ないはずがない。起こらないはずがない。消しゴムを隠すというレベルから集団的抹殺/暴力/恐喝まで、ケースは様々だ。そしてそのケースの分、対処も様々だ。
 「たかが消しゴム」だが、それは恐ろしい事件に膨れ上がるし、「たかが消しゴム」だからという初動対応も必要なのである。ただ、いじめは必ず起こっている。それでいいのか、ではない。これは、警察がよく言う「一体、家出捜索願いがどれだけあると思ってるのか」という言い方に似ているのかも知れない。
「三日したら戻ってきた」
「友だちの家にいたという」
「家からその報告を受けたのではない」
「こちらがその後に問い合わせたらそんな返事だった」
という警察の苦り切った顔は、ホッとした顔でもあった。
 子ども同士の問題は、子ども同士で解決出来るように、私たちは力を注がないといけないと思っている。サポートは必要だが、それが子ども同士の問題だからだ。今回はどこで間違ったのだろう。

 2 親の気持ち
 読者の多くが感じたように、この村松君には母親の影が薄い。今週の『週刊文春』によれば、母親はDVシェルター避難の身の上で、岩手にはいない。夫婦がともに連絡を取り合っていたことから、そういう緩(ゆる)い位置づけの避難だったようだ。その後、村松君の直訴(じきそ)で、母親が自分の避難先まで本人を連れて来たこともあった。さらにその後には、祖父母・父が心配という、これも本人の希望で、岩手に戻っている。幼少から村松君の受けて来た「傷」は大きかった、と見て間違いない。
 こういう時、子どもを失った当事者は、自分を責めるか他人を責めるかで葛藤する。この母親は、記事を見る限りでは「父親」を標的としていた。父親は、自分と学校を責めつつ揺れているように見える。
 あらかじめ、ここでひとつ断定することをお許し願いたい。いつも私が言っていることだが、子どもが自殺する原因は、学校でのいじめだけではない。本人に「安心出来る/帰れる場所」があれば、小中学生はまず自殺しない。
 しかし、10日に中学校側が、
「いじめが自殺の『一因』だったことは間違いない」
と言ったことは大切である。「あった/なかった」という、不毛で不誠実な対応による混乱は回避されたと見ていい。今後、学校側の真摯(しんし)な対応があることが約束されたはずだ。
 もう何度かこのブログ上で書いたことだが、確認しておく。大津の事件や、群馬の上村明子さんの事件、そして千葉の館山の事件は(本当はそれだけではない)、こういう常識的対応がされなかった。群馬の事件は、第三者委員が市側の推薦だけで進められ、最初はメンバーさえ非公開で、知らない間に開催されたりと悲惨なものだった。それらを知らぬ存ぜぬで通した市側の態度はそのままに、加害者生徒が遺影(いえい)の前で謝罪するという判決が出た。学校/行政と関係のない裁判所が決めたものだ。とても解決とは思えないもので幕が下りている。そして館山の事件は、かつて真っ黒だった会議の開示資料が、ようやく日の目を見始めている。しかし、市側は相も変わらず、第三者委員の遺族側推薦委員の承認をしぶっているという有り様である(『泥子のブログ』6月23日号)。
 ちなみに、いつもメディアのせっかちを罵(ののし)る私だが、いじめ隠蔽に関する告発を彼らがして来たことは、積極的に認めるものである。館山に関しては、遺族と支援する方々はもちろんであるが、隠蔽に奔走(ほんそう)する当局の姿を暴(あば)いたメディアの役割は大きい。

 3 担任そして大人
 一体、村松君の担任は、いま何をしているのかと思う向きもあるだろう。箝口令(かんこうれい)が敷かれているのではないかと思う人もいるに違いない。半分は当たっていると言えても、半分は違う。
 6月29日の村松君最後の記述は、
「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」
とある。そして、担任の返事が、
「明日からの研修たのしみにしましょうね」
である。ニュースは、この村松君の最後のSOSと、それに対する担任の能天気を取り上げるのだが、この村松君の最後のSOS前の、
「……先生からたくさんの希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます」
という部分にはあまり注目しようとしない。一方、報道で見る限り、生活ノートに記録されている担任のコメントからは、村松君が「希望をもらえる」ようなものは見当たらない。つまり、担任は「なにかあった?」という質問を村松君に投げかけたあと、実際に聞き出していると考えていいと思われる。でないと「希望」は発生しない。
 それでも疑問は残る。担任が「なにがあったかこのノートに書いてみて」という「ノートでの対面」の仕方は疑問となる。そこから私たちが導く答えは、村松君が担任から見て、
「さほど深刻とは思えなかった」
である。実際、村松君は○○を相手にケンカしていて、その後は「いじめはなくなりました」ともある。担任は村松君を、
「それほど弱っている/弱いとは思えなかった」
のではないだろうか。いじめアンケートの結果、面談の必要ありの生徒中から、村松君が最優先とされなかった事情も、そのあたりだと思われる。「まさか死ぬとは思わなかった」担任は、現在まったく動けないはずである。
 報道は、学校側の、
「多忙を理由のアンケート実施の延期」
「職員に、いじめに関する町教委の指示をしていなかった」
などと細部にわたって指摘しているが、こんな「完璧さ」に出口も入口もない。
 村松君は、
「家でも学校でもひとりだった」
のである。これは、
「いじめがあったかどうか」
よりもはるかに大切なことだ。誰に責任があったのかという道筋から、「近くにいる大人」がどんなことを出来たのかという道筋に、私たちは移らないといけない。
 川崎の事件の時もそうだった。
「実は母親には愛人が」
なんてことは、事件を「責任問題」として道筋をつけようとするから出て来る。
「大人はつましく/美しく」
「そして常に子どもに『目』を注ぎなさい」
なんていうコピーの後ろには、窮屈な社会が待っているだけだ。


 ☆☆
さて、子どもたちの「死にたい/死ね」は、実はそんなに珍しい言葉でないことを、特に現場の皆さんはご存じですね。それがどんなことを意味する現象で、私たちがどんなことが出来るのか、次号で書きたいと思います。

 ☆☆
やっとこさ、「石鹸箱のような」(ひるおびの室井ユウ月)国立を見直す動きが出てきましたね。安保法案が通過後というタイミングは非常に不愉快ですが、これをこんな大問題として提出出来たのは、どうやら槇文彦たち重鎮の提案/疑問だったようです。「こんなにもずさん」な計画が「事前に」明らかになるのは、公共事業では珍しいことだったのですね。私の知る大手建設のエライさんが、いつも、
「大工事で大切なことは、情報が公開されるかどうかなんだ」
と言っていたことを思い出しました。

 ☆☆
いよいよ今日で一学期も終わり。朝、ゴミ置きの時に会った、向かいの女の子に「嬉しい?」と聞いたら、はれぼったい目で「は~い」と笑ってました。みんなお疲れさまでした。夏休みバンザ~イ!

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2 コメント

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学校内での情報の共有が大切では (福島 五夫)
2015-07-23 17:18:20
 実は、私も、催促こそしませんでしたが、矢巾の事件を、琴寄さんがどう受け止めたのかを知りたかったので、このレポートはありがたかったです。
 村松君が学校でどのような状況に置かれていたのか。特に、現担任と前担任、学年主任、副校長、校長との間で情報が共有されていなかったのはどうしてか。その辺りは、学校側の反省材料として徹底的に検証されるべきだと思います。
 「報告は受けてないが、今はこの子の不幸を思うことで精一杯だ」と、そんなことが言える管理職をいつか見たいと思っている、という琴寄さんの願いは、そのまま私の願望でもあります。
 お時間があれば、私のURLに目を通していただければ幸いです。
 琴寄さんおレポートを間違って理解していたら、遠慮なくコメントで指摘してください。;^^
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ありがとうございます。 (琴寄)
2015-07-24 10:36:29
矢巾は市ではなく町です。事件の矢巾町の中学校は、各学年が5クラスなんだそうです。大きいとしか言いようがない。小さな町に大きな学校。みんな遠くから通って来る。
近くで見ていた大人はどれだけいたのだろうと思います。担任は「もっと大変そうな子を先に面談」しました。
矢巾町は、今年の夏祭を「自粛」したそうです。地元の新聞で知りました。そんなことは今まで「いじめ自殺事件」があった中で、おそらく初めてのように思います。きっと小さな町です。
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