実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

あいさつ/部活  実戦教師塾通信五百九十三号

2018-03-30 11:35:22 | 子ども/学校
 あいさつ/部活
     ~「学校的合理性」を越えるために~


 ☆初めに☆
証人喚問、皆さんの予想通りではありませんでしたか。
「訴追(そつい)の恐れがある為……証言できません」
とは、「黙秘権の行使(こうし)」と言い換えさせてもらいます。ここでの黙秘権行使の目的は、
「逃げきれる」
「今を逃げきれば、なんとかなる」
と、相手が判断したことを意味します。場所が裁判に変われば、もうおしまいです。結審の時には世間の「熱が冷めて」いると分かっているのです。原発事故の事故調査委員会を思い出します。あれだけ「危なかった」報告が出たのですが、報告が出た時点で、読む人はもう少なかった。
 ☆ ☆
今年も桜がありがたいですね。春はいいな、日本はいいなと素直に思えます。雨にもたたられない今年の桜、ラッキーでした。

        手賀沼の土手、これは木蓮です。

        北柏ふるさと公園。
春は年度末/年度始めの季節です。今回は、この時期、必ずと言っていいほど職員会議で取り上げられることを考えます。この話題自体は、思い出したようにいつでも頭をもたげ、私のところに寄せられます。職員会議で悩む「流されてたまるか」な教師に答えます。



 1 「先生のこと嫌いみたいですよ」
「あいさつは出来る方がいいに決まっている」
という紋切り型の考えを多くの教師が持っている。まさにその通り、な「学校的合理性」はどこが変なのだろう。
 「こんにちは」「行って来ます/ただいま」、そして「ありがとう/すみません」、これらのあいさつは、私たちに大切な生活習慣であることは間違いない。小さいうちに習慣づけておくことで、これらが子どもたちに何らかの力になることも間違いない。
 しかし、これがなかなか習得できない。大人になっても難しい。そこにいろいろな事情が絡(から)むからだ。でも、体調や家庭の事情や性格や、そして相手と自分との距離やの、様々なことを「乗り越えて」するのが、あいさつの本分でもある。そうすることで、それらに変化をもたらすことも事実なのだ。だが、それら諸事情は考慮されないといけないし、何より、どうするかの最終的選択は、相手(子ども)が決めることである。相手(子ども)が今どんな状況にあるのか、そのことを見極(きわ)めることを、私たちは「生徒理解」と言っている、はずなのだ。その上で考えれば、
「あいさつは出来る方がいいに決まっている」
とは、思考停止状態と言っていい。そういう状態で、
「こっちがあいさつしてんのに!」
「元気がないなあ、もう一回だ!」
という姿が露出してしまう。
 老婆心(ろうばしん)ながら言っておくと、こういう原則論を戦わせることでは「信念」を持った人たちに通じません。子ども(相手)が、
「先生のこと嫌いみたいですよ」
「なんか、あいさつどころではないみたいなんです」
等と、様々なバージョンのあいさつ不調理由を説明し、当の「生徒を理解する」よう促(うなが)す方が賢明です。

 2 「ウチはにぎやかですけど、きれいなんですよねえ」
 掃除も同じことで、
「黙って掃除をすることのどこがいけないのか」
などと言う。教室をきれいにすることに集中し、黙ってやるのがいいに決まっている、という。
 このようにたった一点だけに活動や目標を絞(しぼ)ることは、子どもたちに集中することの「大切さと効用」を教える。しかしその一方で、そこから多くのものをこぼれ落とす。掃除の場合だったら、楽しい会話や、ひとり考え込む時間、そして友達との約束をつける時間等々。それらを手放す「副作用」を伴う。大体が、こういう「黙動」(業界用語ですね)を演説する人は、学校が、
◇楽しい/わくわくする
ことを積極的に考えられず、
◇正しい/真面目な
ことを重視する人である。
 そこで「楽しい」と「正しい」どっちが大事?みたいな議論や、黙動の効用かその副作用かという議論は、やはり原則論を戦わせることになるので、
「ウチはにぎやかにやってますが、きれいるするんですよねえ」
「静かな中だと、掃除中だけは私のそばに来て何かと話しかけるA子は、どうなっちゃうのかなあ」
等と、これも出来るだけ多くのバージョンを引き合いにして、生徒理解の「広さ」を指摘する方が生産的と思う。

 3 部活の複雑さ
 あいさつ/掃除で考えたように、
① 何事にも、バックに諸事情が控えている
② 何事もやり過ぎるといけません
なわけである。実は、部活がクローズアップされた大きな要因として、この②があげられる。誰も部活がいけないとは言っていない。たとえば、掃除中のおしゃべりは、部活に言う、
「(土)日曜ぐらい休ませてくれよ」
なのだ。
「そんなことさえダメなのか」
というぼやきである。スポ根時代、部活は「心身鍛練」「非行防止」「ヒマ防止」、ついでに「内申書のデコレーション」等と、キラキラ輝いていた。ついでに言えば、子どもも燃えてたんですよ。
 時代とともに子どもも変わった、というのが正確なところ。しかし、メディアの伝達は、不正確なのである。伝わって来るのは、
「子どもは苦しんでいる」
「教員もまさにブラック企業」
ほぼ一色と言っていい。でも①の「諸事情」が部活動の現実の中にもある。たとえばそれは、
◇どんな部活であれ入っていれば、放課後、校内でブラブラしていても、「用もないのに、学校に残っていてはいけない」
と言われない。
◇「家に帰してもらっても、家には誰もいないし」
という家庭も、たくさんある。
◇「部活中」を理由に生徒指導を避ける教員もいる。
現実を、それぞれ正直に語りぶつけないといけない。

 結論。「そんなカッコいい話ではない」んだぞ、ということです。


    我が家の木蓮と花モモ。にぎやかです。


 ☆後記☆
まことにカッコがつかない貴乃花です。謝罪会見、見ましたか。ああいうのは反省や謝罪とは言いません。
「警察の捜査に支障が出るかも知れないので話せません」
とは、財務局の佐川みたいに言ってた貴乃花です。なぜ、という疑問に応(こた)えて反省/謝罪が出来るのです。しかし出てくる言葉は、無内容な「深く反省」ばかりでした。
それじゃダメなんだよ、という親方衆の追求だったと言います。おそらくは「謝る理由が分からない」ということだったと、私には思えます。
貴の岩暴行事件の真相が明らかに出来るチャンスでもあるわけで、協会はそこまで分け入って欲しかったですね。
日馬富士、復帰出来ないかな。

     これは我孫子側の「親水(しんすい)公園」。

     向こうに見えるのは河童(かっぱ)です。
 ☆ ☆
大谷、やりましたね。イチローが初ヒットした日のことを思い出しました。今日が伝説の始まりだといいです。


 藤井君は残念。

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