チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

やはりアナログ

2023年06月04日 05時37分18秒 | 日記

自分の手で何か作り出す

これからの世界はこちらのほうが「主」だと思う

AIにはかなわない

しかも誰でもがスマホで用を足している

スマホで調べてわかった感じでいる

 

 

電車の中で9割の人がスマホを見ていて外の景色も人の様子も何も見ていない

まるで機械人間だ

 

きものの世界もコンピューターで柄を起こし、色を染める、なんだってコンピューターがきれいに作ってくれる

そういうものと競争しても仕方がない。それはそれ

考えてみれば人間の手を借りなくてもできることはいっぱいある

しかし

人の手でしかできないこともある

その、人の手の伝承こそが文化といえるのだろう

 

今後の社会のことをつらつら考えると

やはり一次産業がどんな時代になっても一番重要だと感じてしまう

 

電車の中でスマホに夢中になっている人々を眺めていてつくづくそう思った

地方へ行くと「瑞穂の国」は健在だと安心するがーー

それにしても「休眠反」が多すぎるよな

 

製薬より薬草に目を向ける人々が増えてきたことがうれしい限り

免疫力の高まる人が増えれば国の力も増す

それにはアナログの知恵が必要だ!

第一人はこの地球に「体験」するために来ているのだもの

 

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櫛稲田姫

2023年06月03日 11時43分43秒 | 日記

奥出雲に「稲田神社」がある

御祭神は「櫛稲田姫」すさのうのみことの奥様

古事記でヤマタノオロチに美しい娘を生贄にしないと、大暴れして田畑を荒らしてしまうという暴れ者おろち

今日はその日だと大泣きして娘と別れる覚悟をしている両親

その話を聞いた「すさのうのみこと」は美しいその娘を櫛に変死させ、その櫛を自分の髪にさして、おろちを退治する

そしてめでたくお二人は結ばれる

 

おろちの尻尾から草薙剣が出てきて、その剣をすさのうの姉君にあたる天照大神に差し上げ、今ではその剣は皇室の三種の神器のひとつ、名古屋の熱田神宮に収められているといわれている

さて

櫛に変身した姫とともに戦ったというのはまさしく一体で難事に取り掛かったということ

深い縁があればこそ

出雲大社はが縁結びの神社として名を成しているけど

チャ子ちゃん先生はこの稲田神社こそ「ご縁」を結んでくれる神様だと信じている

 

奥出雲といってもどこからみて奥というのか、空港からだったら30分もあれば到着

稲田という名前のごとく土地も肥えていて水も清らか、そのためにお酒や豆腐のおいしいこと!何よりこの雲南市は弥生時代の青銅器が大量に発掘された土地でもあり、たくさんの民話が育ち、人々のおもてなしが温かい

農薬や化学肥料と無縁の空気のなんとおいしいこと!頬をなぜる風のやさしさが、こうまで心地よいものかと目を閉じて味わう

 

日本は美しい

この自然を守り育て愛してきたわが先人たちにただただ感謝

 

昭和の初期以前に生まれた女たちが、櫛を大事にしてきた風習は、こういう古事記の話からつながったものだったのだと思う

その櫛も柘植の木が材料

細かいものの細工に適しているというが、湿気があっても乾燥しても決して曲がったり折れたりしない丈夫さが、「しなやかで強い」大和撫子そのものの姿を現しているのかもしれない

 

ほんとうの優しさとは何もかも受け入れてはいるが、自分軸がしっかりしている。ということだと思うが、柘植の櫛にはそれがある。その姿が日本の女のだろう。

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健康であること

2023年06月02日 09時42分30秒 | 日記

もともと健康体で生まれてはいない

幼少のころ二度ほど臨死体験をしている

小学校は延べ一年は学校に行っていない、病床にいた

それなのに今疲れは一晩ぐっすり寝れば消える

心の奥でひそかに自分が健康であることを自慢に思っていた

しかし

今年に入り近い人が3人続けてこの地球から姿を消した

はじめの二人は昭和13年生まれ「二度あることは三度ある」とふと思い、13年生まれの親しい友に

「あなた健康でいてね、自分の体気をつけなさいよ、無理しないでね」

「なによそれ、そっくり比佐子さんに返す言葉だな、一体急にどうしたの?」

「うん何となく」

友の健康であることを確認し、二人でかーるく一杯飲んで

「またね」

と別れた

 

どういうわけか出雲に行くとき「ああ携帯持っていこう」(いつもは不携帯)

「シルク時空を超えて」の上映会が大成功しほっとして宿でくつろいでいたら、携帯が鳴り名前を見ると甥からだ。もう10年位会話をしていない、なに?

「姉がどうも亡くなったらしい」

「えっ、先月電話で話したけど」

「すぐ行って確かめて連絡します」

 

姪はやはりなくなっていた。63歳だ。広い家に一人で暮らしていてまめまめしく掃除や庭の整理、町内の取りまとめなどに明け暮れていた

甥の連絡によると眠ったまま逝ったらしい。冷蔵庫も満杯で、翌日着るらしい洋服がそろえられていたという

 

「死」が突然身近になった

誰にも来る「死」何時逝ってもおかしくない。

自分自身を大事にしなければと思うと同時に、出会う人には心を込めて対応をしようと深く思った。まさしく「一期一会」

 

姪の親しい人が「あの注射をして気分が悪くなり、それ以来調子が悪いのよ」と言っていたと甥に話してくれたらしい

残念としか言いようがない

 

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