チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 362

2020年08月06日 11時19分45秒 | 日記

今日は広島の原爆記念日

何故記念日というのか何の記念なのかよくわからないあれから75年

この年に生まれた方も後期高齢者

あの夏の暑い日原爆の中心地で木綿の着物を着ていち早く水をかぶった人が無傷だったという話を聞いたことがある

広島にはこれから100年は草も生えないと言われたが一週間もしたらハコベが顔を出した

 

日本の土地のエネルギーの高さが世界に不思議がられた

 

同じようなことが「和綿」

オーガニックの木綿といううたい文句があるがチャ子ちゃん先生が自著の「きものという農業」を書いている時、いろんな現地取材をした

日本の綿の生産量はその当時「ゼロ」だった

初めて歴史に木綿の字が出るのは平安時代で、その時インドから来た船が難破して、三河に木綿の種を置いてったがその種は日本では育たなかった

室町時代に入り日本でも木綿の栽培をするようになった。その種は中国からの物だった。そうするとその木綿の種は日本の土地に合って、みるみる日本の各地で綿の栽培が盛んになり、庶民の布地として愛された

 

しかし敗戦後化学繊維の衣類が幅を利かし、木綿の栽培は一気に少なくなり、昭和60年代でたえた。

アメリカやインドのでは木綿のっ栽培が盛んだが、その木綿は虫がつくので農薬を使うし、収穫の時は枯葉剤を使う

「まあ真っ白でコットンボールがいっぱい」

と送られてきた綿畑の写真を見て歓声を上げたら

「農薬ですよその白いのは」

と静かな声で諭されてしゅんとなってしまった

 

植物たちも原子爆弾と同じように命の危機を迎えているのかと思い胸が痛んだ

それから日本はどうなのかと探し探しやっと千葉の鴨川で和綿を栽培している方に出会った

「和綿の種を見つけるのに数年かかったけどやっと見つけて植えたら虫が全くつかない、日本の綿はいいわけです」

 

日本の土地のエネルギーはその土地に住む微生物たちの力なのだが、命を尊ぶ微生物たちが植物に力を注いでいる

取材の折り、袂にそっと隠した木綿の種をわがスカイガーデンに植えてみたら、本当に虫がつかなかった

日本の土のエネルギーは半端ではない

土の上を歩く習慣を一時間でも持ちたいとつくづく思う

 

日本を信じたい広島の緑

 


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