チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

戦争体験 1

2021年08月16日 10時20分13秒 | 日記
チャこちゃん先生は今まさに世界は戦争中と受け止めている
武器は持たないが細菌兵器を使われていると思う

敗戦日が9歳だったので大人たちの動きをかすかに記憶している
父は戦争反対の意思を早くから公に唱えていたらしく、我が家には毎朝憲兵さんが出勤?していた。まだ若いお兄ちゃんで私とすっかり仲良くなり、よく遊んでくれていた。まるっきり私の家来のように仕えてくれていた。(戦後も訪ねてきて世話焼き母さんは、彼の結婚相手も見つけて親戚付き合いになった)

姉と兄は軍事工場に駆り出されていて、父は幽閉の身なので書斎にこもりっきり、お手伝いさんたちは空襲が激しくなったので皆生家に戻り、母は一人で家の掃除や洗濯、食事作り、保存食を作ったり大忙しだった。それで庭に防空壕を作るのもその憲兵さんがほとんど一人で作ってくれた。近くに力になる若い男はみんな戦地に赴いていたのだ

我が家も上二人の姉がもし男の子であったら、年齢からいって戦争に駆り出されていたであろう。兄は14歳だったので、少年兵としては一つ年が足りなかった。その性別と歳のおかげでわが家族は戦争で1人も欠けることがなかった

ある日父と兄それに憲兵さんと私は父の恩人の屋敷に行き、そこでお昼をご馳走になり、帰途に就いた。そこへ空襲警報発令、近くの林の中に逃げ込んで隠れた。兄が「B29だっ!」と叫んだら憲兵さんが「しー」と声出すなと合図。飛行機まで声が聞こえるのだと感心した

真っ青な空に銀色の機体が美しいなあと私は見とれていたら、機体がいきなり光りばばばーんと、耳をつんざく激しい音
「動かないで!機銃照射だからっ!」
息を凝らして地に伏せる。よそ行き用のワンピースが汚れるのが嫌だと強く思う私
暫くして音も消え、機体もいなくなったら、空襲警報解除のサイレンが鳴り私達はその林を出て道に戻った

「警戒警報もなくいきなり爆撃だから、もう戦争も終わりだな」と父がつぶやく。それは昭和20年の6月の終わりだった。後でわかったのだが、私が林と思っていたのは実は大麻の畑だったそうだ。街中に住んでいても、ちょっと足を延ばせばあたりは畑が一面に広がっていた戦前の風景

家に帰っても、土に伏せた怖さより、機体の美しさを口早く母に告げる私の頭を父は黙って撫ぜていた





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