チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

葬の話

2020年02月09日 10時58分29秒 | 日記

続けて葬の話

ごくごく親しい人の別れに「枕辺の別れ」という儀式がある

亡くなってすぐお別れに行くので本当に身内、またはごく親しい人に限られる

枕辺の別れはまだ故人が寝具の中にいて顔をを見てお話ができる、家族の話もゆっくり聞ける、そしてともに悲しみともに偲ぶことができる

深い縁のある方が亡くなると縁が続いている人はかならずその時間に間に合う。神様がそのように計らってくれる

 

最近は葬儀場が混んでいてその日までドライアイスにくるまれてやすんでいる姿はなんとも人工的で悲しい

若い時は枕辺の別れが怖くて遠くからお辞儀をして、もっぱらお茶出しのお手伝いをしていたが、長じるにつれてしっかりと故人とお話しができるようになった

昔はと言っても昭和の時代だが、まだリンポハン(この文字が転換できない、死語なんだ‼)と言ってその町の人たちが繰り出して手助けをする習慣があり、そういう大人たちにあれこれ指示を受けて、子供たちは客人へのおもてなしを覚えた、おもてなしは町の長老の女性、葬儀の進行は町の長老の男性と役割が決まっていて、若い者がそういう一つ一つの儀式を体験の中で教わっていく仕組みが、日本国中のリンポハンにあった。その時に采配上手な子供が誕生し、のちに街の采配者と育って行く

お通夜までは自宅で執り行い、告別式はお寺か教会、神社とそれぞれの信仰によって儀式の場所は変わる。町内会の人たちはどんな場所でも臨機応変に行動ができるように過去の長老たちから教育をされているので、すべてがスムーズにいく。こういう場所での高齢者の知恵や知識、体験が大いに役立っていて、お爺さんやお婆さんがにわかに元気に生き生きとする姿が見られた

 

旅立つ者も顔見知りの人たちに送られて、みんなが故人と語り、故人を偲び暖かく送り出す。その方の生きた道程を祝福できる環境づくりができていたのだと思う

告別式は余所行きのような雰囲気で社会的な送り出しとなり荘厳な雰囲気の中で執り行う。この地球から本当に姿を消してしまうのだなという感覚を人々に与える儀式

祝福の中で誕生し、慰労と尊敬の念をもって送られるのが人生であると思う

 

#告別式 #御通夜 #リンポハン #御もてなし #余所行き #采配者 #中谷比佐子 #臨機応変

 

 

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