チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 81

2019年01月15日 15時52分25秒 | 日記
1月15日は女正月とも言われている
専業主婦の多かった時代はおせち料理や新年の接待などで女たちが疲れていてこの15日はせめて一日女たちで楽しもうという行事今で言う「女子会?」かも

それぞれ自分たちの手料理を持ち寄りおしゃべり会が始まる
男も子供も参加できない女だけの楽しみの会

この女正月の日に33歳の厄年を祝う会があると聞いた(のちに2月1日)
内容を調べると女たちが島田を結って黒留袖を来て集まり神社で厄年の払いをしたあとみんなで飲み会になるのだという
早速取材にでかけた
行き先は秋田県大館市
いましたいましたその日は生憎の雪景色だったが島田を結った角巻き姿の女たちが雪下駄を穿いて40人近くが全員黒留姿
壮観この上ないもない

一人ひとりが丁寧に厄を落としていただく儀式(私のFBに写真あり)

女の大厄は33歳男のそれは42歳
この厄を落とすということとそしてこの歳の数字は天武天皇の時代に祭祀修祓という形で儀式化している

昭和時代の女の33歳は娘から嫁へそして母になり急激に意識が変わり体調も変化していた
そのために未来を見据えて33歳のこの歳をきちんと人としてすごす事に努力をする
そんな思いを込めた厄払いでもあるらしかった

厄を嫌うのではなく「冠」として祝うという日本人の知恵が素晴らしい
島田を結い黒留袖を着た女たちの集団は圧巻
一人ひとりに取材をしたが全員が自分の留め袖で(貸衣装なんて)と言われていてしまった
島田も自毛で結いたいと2年前から伸ばしていたと笑っていた
この頃は33歳ともなればほとんどの人が結婚をしていったことも今の時代からみると隔世の感がある

今の時代「成人式に振り袖」とばかりに思い込んでいるが
昔の日本人は筋目筋目に着物を着て祝うことを知っていた

例えばこれは松坂だったが19歳の厄年は振り袖、33歳は訪問着か紋付き 61歳は紋付きで先祖の墓参りをしたあと厄を祝う会をするという時代もありこちらも取材をした
その時親しい人たちを招いての宴会になるのだがお祝いはなにか身につけるものと決まっていた
それはみんなから身を守っていただいているという意味があったようだ

今だったらお金を包んで終わりだが相手の身を思いやる愛の気持ちが尊いと思う

こういう風習が平成に入って殆ど行われなくなったのは
地域連帯感が薄くなったせいかもしれない

近々節分会もあるひな祭り、端午の節句着物を着て集まる節目の祭祀を見直したいものだ

#祭祀 #厄年 #黒留袖 #着物 #天武天皇 #チャコちゃん先生

お知らせ

1月26日1時30分から3時30分 「比佐子つれづれ」会費無料 どなたでもぜひいらしてください 
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