「なずなちゃんの笑顔」

絵本「なずなちゃんの笑顔」を通して
人と人が出会う場所です。

美和ちゃん誕生

2006-11-08 21:57:36 | おはなし
平成18年6月18日
命の源、水野豊かな梅雨の季節に
なずなちゃんはお姉ちゃんになりました。
なずなちゃんのパパとママの元に
なずなちゃんの面影を残したかわいい女の子が誕生しました。
いつも和やかに、心の美しい優しい女の子になってほしいと
「みわ」と名付けられました。

パパとママがお姉ちゃんには
月のきれいな秋に生まれた女の子に
「春の風のように優しい子になってほしい」と願ってつけた名前「なずな」
そのなずなちゃんが紡いだ人とのつながりを育てるのがみわちゃんなのでしょう。

なずなちゃんは、優しい風になりました。
新しい家族の一員、みわちゃんのことを
そして私たちのことをふんわり優しく包んでくれるにちがいありません。

そしてなずなちゃんの妹、みわちゃんは
なずなちゃんの分も生きるのではなく
なずなちゃんと共に生きていくのです。
強く、たくましく・・・・・そして優しく。
みわちゃんのそばでは風になったなずなちゃんがかならず
笑っているにちがいありません。

みなさんの周りに優しい風が吹いたら
それは、なずなちゃんがあなたのまわりにやってきているのです。
かわいい笑顔とあたたかいハートを伝えに
風になったなずなちゃんが来ているのです。
そっと話しかけてみてください。

りょうたに贈る言葉

2006-11-06 20:10:10 | 生きる
りょうちゃんの告別式で仲良し組さんの一人が弔辞を読みました。
生きている間にりょう母から頼まれていたのだそうです。
許可を頂いたので、ここに記させて頂きます。

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 りょうピー、せっちゃん、俺らは君のこと、そう呼んで一緒に遊んだな・・
いっぱい、いっぱい遊んだな
りょうピーとの思い出はたくさんありすぎて、今何から話せばいいか俺には
わからない。毎日が俺たちにとってかけがえのない時間であり、思い出だった。

 りょうピーに初めて会ったのは、保育園の年長の春だった。
みんなより頭ひとつでかくて、びびったぞ!
でも、すぐに仲良くなって一緒にカナヘビをつかまえたね。
窓ガラスを割ってしまて、手に大けがをしたこともあったよな~。
運動会も発表会も年齢別も一緒にがんばったよな~

 小学校に入ってからは、いつも帰り道が一緒で、めっちゃ道草しまくっとった!
色んなとこ登ったり、高いとこからジャンプしたりしてさ。そんでさ、2年のころ
帰り道でケンカして俺がりょうピーの頭にケガさせちまって。そのことで家で
「自分で転んだ」って言ってくれたのを後で知った。めっちゃうれしかったんよ。
今さらだけど「ゴメンな!」そして「ありがとう・・・」。
他にも何度も気づかってくれたよな・・・。小学校の宿泊では、全部同じ班で、
マジはっちゃけた。すっごい楽しかった。なんかりょうピーでなきゃ感じられない
あったかさがあったよな・・・バスケもドッジも何をするときも一緒で、遠くに遊びに行ったり、二人乗りで8丁目かっ飛ばしたり、すげーやばかった!あとケンカもしたな~悪いのはいつも俺で、勝つのはいつもりょうピー・・・
 
 そんな楽しい小学校を卒業し、りょうピーはF中へ俺らはK中に入学した。1学期が終わり、卒業アルバムをもらいに小学校に集まった時も、りょうピーは来たのに、その次に会ったときは明日から金沢の病院で大変な病気と闘う覚悟のりょうピーだった。それでも君はニコニコして、俺んちで15にんぐらい集まって激励会をしたんだ~つらい抗ガン剤治療を半年がんばった間は、みんなでメールを送った。
そして肋骨にできたガンが小さくなって手術ができると聞いたのは、もう次の年になっていた。2月24日に手術・だけど手術後大出血をおこし、りょうピーの心臓は一旦止まりかけた。病院へ駆けつけ、初めてICUのりょうピーに会ったとき、俺はがんがんに泣いてしまった!涙が止まらんかった!家に着いてずーっと考えてた。「なんで、りょうピーなんやろ・・・りょうピーじゃなくて俺が病気になればよかったのに・・・」って。でも、神様はりょうピーを選ばれた。それはりょうピーにしかできないことがあったからだ。

 あの厳しい状況の中から、毎日三回しか家族も会えない中から俺らも毎週毎週行ってもたった1時間しか会えない中から、りょうピーはみんなの声や思いをしっかり受け止め、反応さえもできない最初の頃から、手を握ることしかできない俺たちのことをわかってくれてて、少しずつ回復し、6週目にはなんとICUから脱出することができたんだ!

 そして、4月23日、りょうピーの14才の誕生日にはみんなで生還を祝うことができた~「俺からの揚げミッチェルが食っちまった」と怒ってくれたよな~そしてその後もりょうピーは体の全部を使って、

いのちがどんなに大切でどんなに重たいものか

いっぱいいっぱい伝えてくれた・・・6年生の時の授業でアメリカで交通事故にあって命が危なかった大学生のshihoさんから、そして心臓の病気で何回も手術して、一生懸命生きたなずちゃんのご両親から命の授業を一緒にうけた俺らに、今度はりょうピーが命の大切さを教えてくれたんだ・・・残念で悔しいけどりょうピーのガンは肺に転移してしまっていた。夏までと言われていたのに、9月30日には最後の力を振り絞ってなんとか外泊してくれて、みんなでカレーパーティーしたよね・・・それがりょうピーに会った最後になってしまった。こんなにすさまじい闘いはだれにもできることじゃない!りょうピーだからできたんだ!

ほんまにすごい!

最後は天国の神様の所に「ほんなら、先行っとるぞから」と旅立ってしまったけど、マジ、たくさんのとてつもない思い出を残してくれた。

「りょうピーありがとう・・・いつまでもいつまでも、りょうピーは俺たちの心の中で生きとるからな・・・」

今頃天国で自由な体をもらって、大好きなバスケしとるんやろうな~いつか一緒にしような・・・あの頃の小学校のメンバー全員で!!
                 See you again~
              
               2006年11月4日  N小学校同窓生代表
  
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心のこもった長い長い手紙である。
告別式の朝は、みんなで5時半に集まり、りょうちゃんとバスケをして見送ったそうだ。
様々な事件が報道される中学生。しかし、その一方でこんな深い絆を作り上げているのもやっぱり同じ中学生なのだ。

みなさん、読んでくださってありがとうございました。

この手紙の掲載を承諾くださったKちゃん。ありがとうね。
君たちと出会えたことも私にはとっても嬉しいことです。
これもまたりょうちゃんからのギフトなんだろうと思います。

読んでくださった皆さんへ・・・感謝をこめて

2006-11-04 23:55:47 | おはなし
絵本「なずなちゃんの笑顔」のおはなしをアップするにあたり
いろいろアップする順番を考えたのだけど
できることをできる範囲でをモットーにしていきます。
グッドアイディアがある方はどうぞ、教えてください。

今回は、なんといわゆる後書きをアップします。
どんな経緯でこの絵本が出来上がったか
分かって頂けると幸いです。

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牧なずなちゃんのことを初めて知ったのは、津幡の水野スウさん宅で行われた
山元加津子さんのお話会でのことでした。
ママの千なみさんは、なずちゃんを見送ってまだ半年という頃で
涙をこらえて自分のことを話しされたのをはっきりと覚えています。
それから半年以上の歳月を経て富山のほっころろんの家のまゆさんに導かれて
なずなちゃんのことをパパとママが語る場に娘(当時5才)・寛子とでかけました。
初めて耳にした「チャージ症候群」という障害を持ってこの世に生を受けた
なずなちゃんとの1年8ヶ月の日々のことを、抱きしめるように語ってくださいました。
私は寛子を膝に抱きながら、二人でタオルのあちらとこちらで涙をふいていました。
5才の娘が涙を流したことにも驚きました。

そのことを自分のブログ(由美子流・枕草子のことです)に書いたことがきっかけで
友人の明彦さんが「絵本か紙芝居を作ってみてはどうか?絵は中学生が描いてくれないかな?」との提案。
本なんて書いたことも、作ったこともないのに迷うことなく「やってみよう!」と思ったのは
今となっては不思議な力に動かされたとしかいいようがありません。

今年の6月になずなちゃんの三回忌を迎えました。
それと同時に牧家になずなちゃんの妹、美和ちゃんが誕生しました。
なずなちゃんのことを知る誰もがこの日を待ち望んでいました。
そして、時を同じくしてこの絵本を生み出すことができました。感謝しています。

素直なタッチで優しい絵を描いてくれたのは、私のクラスに在籍する中学三年女子トリオ。
大きな身長、すらっと伸びた手足でグランドを颯爽と走り、頼りになる陸上部キャプテンのみほ。
素敵な感性と、まっすぐな心、そしてホルンをこよなく愛する吹奏楽部のちはる。
何事にも誠実に丁寧に、そして優しくみんなをリードしてくれる吹奏楽部のくみ。
この三人が止まりそうになる私の絵本作りをしっかりと支えてくれました。
本当にありがとう。

そして、できあがる前から読みたいと言ってくださったたくさんのみなさんに
心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

                     2006年7月   由美子

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こうやって、この絵本は誕生しました。
部数が少ない関係で一部1500円になりましたが
たくさんの方に読んで頂くことができました。
本当に感謝の一言に尽きます。

みなさん、どうもありがとうございます。

*写真は、有機野菜無農薬野菜を作ってがんばっている
 山下家の農園のある内川町のたんぼの風景です。

心の中に

2006-11-04 07:19:46 | 生きる
りょうちゃんのお通夜に行って来ました。
たくさんの人・人・人・・・・人の波

玄関では父と母が来るお客さん一人一人に
お礼の言葉を語っていました。

会場の半分は中学生ではないかと思うほどの様子
6年生まで過ごして仲間
新しい中学校へ行ってからの仲間
りょうちゃんはいつもその真ん中にいたんだろうなあ。

涙をこらえて・・・こらえきれなかった喪主あいさつ
いつものように明るくよくしゃべるのだけど
涙が止まらない母。

りょうちゃん、いくら湿っぽいのは嫌いだっていっても
あなたの存在が大きすぎて涙は自然に出てくるよ。

玄関には、保育園から闘病までの写真やトロフィーやメダルを飾った
りょうちゃんのコーナーがつくられ
思いがたっぷりつまった葬儀会場。

母は「自分の息子でありながら手の届かない高いところへ、
   りょうはすごい人になったなあって思う」と語った。

りょうちゃんにはありがとうって言葉しか浮かんでこない。

明日、みんながりょうちゃんの好きだった歌を合唱して
見送るそうです。

みんな自然になるんだよ

2006-11-03 08:58:16 | 生きる
娘ひろっちただいま6才。
今朝、お父さんの学校まで二人でお見送りした帰り。
ちょっと山道を走って帰ってきた。

「ひろっち、おかあさん今日はりょうちゃんの所へ
 今晩、会いに行ってくるので、お留守番お願いね」
「なんで?」というひろっちに
りょうちゃんが亡くなったことを初めて話をした。

以前、kakkoちゃんのところで知り合った雪絵ちゃんが
亡くなったときは
「もう会えないの?」と号泣したひろっち(当時4才)
しかし、今回は違っていた。

「なずなちゃんと同じなんだね」
「すぐそばにいるんだね」と自分でつぶやいている。

「りょうちゃんも風になるのかな?」という私に
ひろっちは
「そうかもしれないね。でも風だけじゃないよ。
 雨の日もあるし、星の日もあるし・・・・」
私は思った。
 「そうか、自然の中にとけこむってことなんか・・・・」

「ずっと、4人兄弟だね」ってひろっち。
以前、一緒にお見舞いに行ったときに
りょうちゃんの妹さん、弟さんにたっぷり遊んでもらったひろっち
そして、赤ちゃんのさくらちゃんがいたことをちゃんと覚えていた。

「なずなちゃんのところもみわちゃんと一緒に生きていくって
 お母さん、絵本に書いてあったやろ。」って

あ~ひろっち、あんなに長い文章になってしまった私の文章を
ちゃんとわかってくれていたんだ。
私の一番いいたかった部分。

「なずなちゃんの分まで生きるのではなく
 みわちゃんはなずなちゃんと共に生きていくのだ」というところ。

まだまだ、りょうちゃんとなずなちゃんからの贈り物はたくさんあるのだと
ひろっちの会話から思った、今朝であった。


今晩、19:00~お通夜
明日、11:00~告別式

明日はどうしても無理なので、今晩りょうちゃんに会いに行ってきます。
たくさんお礼を言いたいの。
そして、天国まで「なずなちゃんの笑顔」の絵本を
モデルさんに届けて頂けるようにお願いしてきます。
天国までの配達は誰にもできないもの。

りょうちゃんありがとう

2006-10-31 22:46:04 | 生きる
今日、午後8:26になずなちゃんの生きた「命の授業」を
経験した一人の少年、りょうちゃんがなずなちゃんの元へ旅立った。

一年数ヶ月、病気を真正面からとらえ
一生懸命に生き、人を愛すること、人と人との絆を教えてくれた。
病気や障害は何であるのだろう?って思うことがよくある。
でも、このなずなちゃんの絵本もりょうちゃんが
「早く読みたいよ」って言ってくれたから
私、がんばれたのかもしれない。
「りょうちゃん、できたよ!!」って早く持っていきたくて
がんばれたのかなと思う。

私がりょうちゃんに最後に会ったのは
この絵本を病室に届けた8月3日の日でした。

りょうちゃん、ありがとう。本当に、ありがとうね。


「なずなちゃんの笑顔」始めます

2006-10-29 04:44:04 | いろいろ
「なずなちゃんの笑顔」第一版ができたのが今年の7月のことでした。
それから早3ヶ月以上の月日が経つ中で
絵本「なずなちゃんの笑顔」は様々な方に育てられて
読んでいただくことができました。
最近はいろんなつながりも増えてきたので
「なずなちゃんの笑顔」専用のブログを立ち上げることにいたしました。
どうぞ、よろしくお願い致します。