聖徳太子研究の最前線

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玉虫厨子絵は未熟な工房体制下での七人の作とする説

2010年06月22日 | 論文・研究書紹介
 先の記事で、法隆寺の玉虫厨子に触れたので、最新の関連論文を紹介しておきます。

長谷川智治「法隆寺・玉虫厨子絵--写真飼虎図を中心に--」
(『仏教大学大学院紀要 文学研究科篇』38号、2010年3月)

 京都造形芸術大学大学院出身の若手研究者の試論であって、美術面の研究です。

 玉虫厨子の捨身飼虎図における芸術・技術両面の質の高さを強調する長谷川氏は、他の面の絵を担当した工人との力量差に注目します。そして、力量の違いが大きく、また漆と油という二種の塗料で描かれておりながら、全体がはなはだしく不協和になっていないのは、技術的に最も優れた工人が手本を描き、それを下の者たちが参考にして制作に当たったためと推測します。

 そこで、氏は絵の大枠の画題として、遠景の山岳、近景の山岳、天部立像、菩薩立像に分け、指導者の工人が描いたこの四種の絵を手本にして、複数の工人たちが残りの部分を仕上げていったとします。ただ、それぞれの部分で作風が異なっているのは、手本の形式のみを真似たためであって、この工人たちは同じ工房の師匠のもとで長い期間にわたって活動していたメンバーではなく、「臨時的集団」であった可能性があると推測します。そのため、この共同制作は実質的には「技術伝播」に近く、まだ発展段階であった初期の工房体制を示すものと見ています。そして、作成にあたって下絵専門の画師は存在せず、工人の数は全部で七人であったというのが、氏の推測です。

 工人の数や個々の面の分担その他の工程については、今後の研究によって修正されていくことでしょうが、玉虫厨子が初期の試行錯誤的な作品であることは、これまでの研究から見ても納得できるだけに、長谷川論文が一歩踏み込んだ分析に取り組んだことは評価できます。玉虫厨子は、聖徳太子信仰の成立時期や法隆寺再建の時期に関わる重要な美術作品であるだけに、物に即したこのような綿密な研究が積み重ねられていくことを期待したいところです。
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