カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

敵を一人にして立ち向かう   SINGLE TASK 一点集中術

2020-05-18 | 読書

SINGLE TASK 一点集中術/デボラ・ザック著(ダイヤモンド社)

 内容ははっきりと書名の通り。そもそも人は複数のことを同時にできないし、そうであるからには一つのことに集中しようというもの。そうして、一つのことに集中出来たら、結果的には効率的に、物事は捗るのだ、という事実を確認するものである。
 最近この手の本を続けて読んでいるのは、何を隠そう(隠しようが無いが)僕自身がマルチタスクの影響に苦しめられているからである。それがイケナイことであるとか、不合理であるということを重々承知をしておきながら、どうしてもすぐにマルチタスクの罠にはまり込んでしまう生活に戻ってしまう。その原因の最大のものがパソコンやスマホであるのは明白なのだが、これを手放すことは、ほぼ不可能に思える。思えるが何とかしたい、ともがいている訳である。
 さらに僕は日頃からふつうに本は読むが、これはシングルタスクでしかありえないはずなのに、同時進行で複数の本を読みつないでいる。多いときは十数冊は手を変え品を変えて読み進んでいく。当然こんなことをすると、一冊読み終わるまでに時間がかかる。もちろん実際に手に取ってパラパラ読む本などを考えると、ひと月に50冊くらいは飛ばし読みするのではないかと思われる。そんな読み方をしても分かる本もあるが、当然手ごわい本もある。そんなことで読書の醍醐味が減るわけではないが、頭にうまく入るかは心もとないことである。
 さらに仕事の面でも、いつの間にかマルチタスクになってしまっていることにも気づく。手を付けているものの間に電話が入り、面談が入り、そうして出かけていく。外に出るとそれなりにシングルにならざるを得ないが、残した仕事が減るわけではない。
 しかしながらいろいろな事情が重なって、マルチながら面談の多い局面が何日か続いた。対面で話をすることになると、目の前の人と集中せざるを得ない。連続するとかなり疲れもしたが、一人一人に集中して話をしていったことで、いろいろと気づかされることが多かった。シングルタスクにならざるを得なかったことで、実はものすごく多くの情報量が引き出されたことを実感した。自分自身も多くの発言をしたのであるが、驚くことに実に様々なことを深く瞬時に考えていることを自分でも確認できた。思考の跳躍のような感覚があって、ちょっと新鮮でもあった。僕はこんなことを考えていたんだな。
 何を言いたいかというと、強制的にシングルタスクの仕事は可能なのである。それなりに制限をかけることにはなるんだろうが、結局は順位をつけて一つ一つ集中することで、それなりの成果は上がるのではないか。この当たり前を妨害する環境があまりに強固すぎるのではあるが、その中でもがきながら自分のルールを守ることは可能なのである。
 ということで、これが習慣になるように、頑張っていきましょう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんな貧乏が悪いんや   ラヴィ・ド・ポエーム

2020-05-18 | 映画

ラヴィ・ド・ポエーム/アキ・カウリスマキ監督

 売れない貧乏作家は、とうとう住んでいるアパートから追い出される。放浪していると、売れない画家と知り合い、自分のアパートに戻ってみるのだが、そこにはやはり売れないミュージシャンが新たな借り手として住み始めていた。画家は作家がそのまま家財道具を置いて出て言った部屋で暮らしていたので、作家は部屋は君のものでも、家具などは自分のものだと主張して、結局一緒に住むことになるのだった。そのうち貧乏な画家には彼女ができるが、画家は不法入国がバレて国外追放になってしまう。何とかフランスには戻ってくるが、貧乏生活に耐えかねて、恋人は去ってしまうのだった…。
 とにかくなんとなく不条理だけど、貧乏であっても芸術を捨てない人々の話といえるかもしれない。明るさは無いが、ものすごく悲観的なわけではない。一応出版にこぎつけることもあるし、絵が売れることもある。ギャンブルで勝つことだってあるのだ。なんとかかんとかやりながら金は工面して、自動車を買ったり、彼女を連れてピクニックに行ったりもする。金に困窮してはいるものの、時には楽しいこともあるということかもしれない。
 しかしながらこんな暮らしで、みんながみんなハッピーであり続けることはできない。特に一緒に暮らそうという女性にとっては。愛はあるが生活もあるということなのだろうか。最終的には愛を選ぶ代償を払うことになる。切なく悲しい物語なのである。ラストに流れる音楽が、日本語の「雪の降る街を」であり、なかなかのインパクトがある。もちろん僕らが日本人だからだろうけれど、北欧の人(この映画はフランス語だが)にとっても、印象が深まるという計算があったのだろう。カウリスマキ作品らしい映画を堪能できることだろう。
 またこのDVDでは、「トータル・バラライカ・ショー」のコンサートも一緒に観られる。ふざけたようなコンサートだが、そういうセンスというのは、なんとなく分かって面白いかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピリチュアルなんて今までは好きではなかったけど   アップルと月の光とテイラーの選択

2020-05-17 | 読書

アップルと月の光とテイラーの選択/中濵ひびき著(小学館)

 実はこの小説は翻訳もの。著者はこの作品を16歳で書き上げたという。英国で幼少期を育ったため、母語が英語であるらしい。そうやって英語で書いて翻訳ソフトで日本語化して、この本の出版社が主催する「12歳の文学賞」で大賞を取り、今作品を英語で書き下ろしたらしい。それを今回は翻訳ソフトではなく、プロの翻訳家の手を借りて出版にこぎつけたということなんだろう。
 そういう前提はあるものの、内容的にはやはり、そういう女子高生が書いたというには驚くべき洞察力の詰まったファンタジー的な作品になっている。物語自体が重層的にいくらでも予測不能に見えるように展開し、その会話の中に解説される科学の知識というものは、とても生半可なものではないことも見て取れる。膨大な知識と予見によって、物語の背景にある骨組みは形作られている。多少現代社会の世論に批判的な面はあるものの、おおむね肯定できる理論展開であろう。輪廻転生のような東洋哲学的な考えもあるが、西洋宗教を基にする博愛主義的な考えもあらわされている。これらの知識や思想が本人にしっかり根付いているからこそ、描かれている物語を読み進めていくだけで、大人の多くは(もちろん子供であろうとも)、驚きをもって世の中のあれこれを、思い考えることになるのではなかろうか。
 最初から大きな事件も起こるし、そのために苦しみ友情を育み、さて、どうなるのかと思ったら、まったくとんでもない方向にスピリチュアルに展開していったので、ちょっと面食らったところはある。こういう話をいったいどうやって締めくくるつもりなんだろうか? 読んでいて多少不安も覚えた。どこか子供が書いたという頭が僕にはあったのかもしれない。しかし描かれている世界観に大きな破綻は見られないし、なるほど、ちゃんと伏線として後半にも生かされていたのだと知る。そうして妙に清々しいような感情に浸ることができる。父との対話になると急に幼さが戻る感じもあるのであるが、それは父と娘という立場がそうさせるのかもしれない。壮大な経験を積んで、なおも連綿と続いていくだろう人生のようなものを思うと、やはりちょっと不思議でもある。僕らもそうやって生きていくのかもしれないな、という予感さえ覚えるかもしれない。
 様々な前提が無ければ読まなかったかもしれないが、手に取って勉強になったな、という感じのある小説だった。なかなか面白いのでお勧めであります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本を読む。日本人なのに僕らは日本人であることを知っているのだろうか?

2020-05-17 | なんでもランキング
 三木成夫は、最も生前に会ってみたかった人である。何しろ講演の名手であって、普通の授業(講義)であっても、感動のあまり泣き出してしまう学生がいたという伝説の人だ。持っているはずだが「胎児の世界」という名著があり、これも読んでいるが、この内容をぜひ講演で聞きたかった。
 大人になって小林秀雄の講演を聞くようになり(このCDシリーズが素晴らしい)、さらに凄い人がいるという話の中に、三木成夫が出てきたわけだ。父の書架に数冊見つけて読み、過去に読んだことを思い出した。


 今では、これは科学なのかどうかよくわからないのだが、しかし日本人にこういう人がいたというのが大きな財産なのではないかと思う。文章の肌触りが無機質と思われがちな理系の世界に、情緒をもって挑む人がいたことが、今後も生かされていくはずだと思う。


 さて、そういうわけで、現代社会を見ていこう。一般社会の大衆がいかに嘘をついているか。または実感というものがいかにあてにならないか。これほど如術に明らかにしている本も珍しいのではないか。僕は、政治を含めた世論というのは、このような嘘の塊だということが、普通の調査によって明らかにされた画期的な本だと思う。著者はそれなりに著名だと思うが、この事実を受け入れている大衆はまだまだだと思う。というか、わからないのであろう。これを読んで衝撃を受ける人は、僕の友人である。そういう態度こそ、僕が生きていく普通のことなんだと思うのである。



 さて、この本も衝撃的だと思うのだが、たぶん、一般的にはほとんど理解できない類だろうと思う。読んでも、いや読めば理解できるはずだが、そこまでいかない人が大半だ。僕はそういう意味で大衆を馬鹿にしている。別段僕はインテリではないが、これを知っているだけのことである。大衆とは全然違うのだ。いや、大衆とは迎合できない。なぜなら彼らは明確に間違っているからだ。動物を食う、または、一緒に暮らすということで、人間のエゴのことが分かる。そのうえで僕らは生きていかざるを得ない。知らないままの人というのは、多分馬鹿なのである。



 さらに民主主義とは何か。これを明確にすることはあんがい難しい。でも、大体の感じとしてつかむことはできるのである。ぼくは政治的な人間ではないが、好むと好まざるにかかわらず、政治的な社会には生きている。でも政治がなんであるかは、正直に知りたいと思う。その大まかな答えは、この本に書いてある。嘘だと思ったら読んでみたらいい。これが、日本の真実の政治の姿なのだ。
 一般の民衆が政治をわからないのは、単に無知だからである。馬鹿かもしれないと僕は疑ってもいるが、別段頭が悪いわけではない。馬鹿というのは無知なだけのことなのである。



 ということで、福沢諭吉なのだ。これは、皆が知っていると思っているだけで、実は知らないのではないか、と思うので紹介するのである。古い人だが、実に現代的である。いや、ものすごく新しい。もともとの文章も平易だが、さらに読みやすい方法がある。そうして内容は、実に深い。僕らは本当に古臭い世の中の常識に縛られていることを、過去の人から教えてもらわなくてはならない。それくらい人間というのは愚かなのだ。いや、ほんとに新鮮な気分になるはずだと思うんだけどな。



 では、実践に移ろう。僕らが自由なら、この話は何でもない、朝飯前以前の話のはずなのだ。しかし、これはズシりと重たく、そうしてボディブローとして食らったパンチのごとく、僕らを打ちのめすのではないか。しかし爽快な気分は読後感にあるはずだ。
 僕らは社会的にどうやって生きているのか、これを読んで確認するといいだろう。誰もが著者のような生き方はできないし、著者の環境にいた人間の代弁はできないが、少なくとも、今からの生き方は変えることができる。そうしてぜひとも意識的に、人間として生きて欲しい。その始まりの物語なのである。



 学者というのは何を研究しているのだろうか。そういう疑問を抱く人もいるのではないか。では井上章一を読んで、その答えがあるか。いや、無いかもしれない。でも、こういう作業をして、学問というのが成り立つのである。可笑しいのだけれど、しかしこれこそが王道だ。井上には多くの著作があり、どれもかなり面白い。かなりまどろっこしいのだが、これが面白い。学問の門戸を開くとすれば、こういう面白さに目覚めた人たちだ、ということが分かるのではあるまいか。そうしてそれは、今からでも遅くない。




 僕はあえてこのギャグのようなこの著作を、日本人の必読書として推薦したい。ものすごく面白いだけでなく、素直な気持ちで読むならば、このひねくれた人物に、共感まで抱かないまでも、心を開くことができるのではないか。そうして、そのほうが、つまるところ正直なのだ。本を読むということもわかるし、ヒネてしまった自分より東大卒というブランドを持った人間でも、同じようにヒネてしまう現実を知るだろう。それが普通の人間で、でも生きていけるのである。辛辣だが、時代を超えてやはり面白い。古谷野さんは、やっぱり正直者なのではなかろうか。



 一方この人は、本当に正直なのかはちょっと疑問だ。何故かというと、これでは生活が困難になるだろうからだ。「うるさい日本の私」は、それほど目から鱗が落ちるほど、生活を困難にするに違いない。共感はあるだろうが、今の世の中をだからどう変えることができるのか、絶望を覚えることだろう。



 でもまあこの発見は、なかなかに素晴らしい着眼点だと思う。



 これは、本を読む方法が書いてある。本に書いてあることを理解するという醍醐味が紹介されている。本を読むという行為は、ここまで深く掘り下げることができる。こんな読書は、誰にでもできることではない。著者は有名な投手と同姓同名だが(読みは「たく」ですが)、ぜんぜん違う人です。あしからず。



 実はこれ、ゴーストライター説があるのだが、恐らく聞き書きされたということなのかもしれない。ファインマンさんは物理の天才だが、文章を書くのが好きではなかったといわれている。しかし、たとえそうであっても、実に驚くべき面白さなのだ。特に日本人にとっては、このような考え方という基本のものに、まったく別次元の西洋的な利己主義というものを、感じ取ることができるのではないか。また、頭の中の物理の問題が、ちゃんと共通して理解できることを知る。




 これは僕より先輩の日本人の必読書だった時代がある。今となっては、この本自体が古典的だが、内容が古くなっているわけではない。昔から連綿と日本人は日本人だと思ってはならない。今の日本人は、今の日本人の流行りに過ぎないのである。ま、面白い読み物だから、楽しんで読んでください。



 で、これをあえて今読むべきタイムリーさを思う。現代の日本人にとって、アンネさんは、非常に現代的な人だと気づかされるはずである。その悲劇的な背景を知っているから読むという人は多い筈だが、この若い女の子から、僕らは多くの考え方の基本を学ばされることになる。そうして考えていることなど、言うべき時にはちゃんと言う、という大切さを知るはずだ。


 だいぶ探したが見つからず写真は無いが「内なる外国 『菊と刀』再考/C・ダグラス・ラミス」も名著である。日本人でさえ知らなかった日本人の姿を、本当に見事にあぶりだすことに成功している。まあ今時「菊と刀」さえ知らない人がほとんどだと思うが、しかしその今時であっても、西洋人の多くは、そのくらいしか日本人を知らないことも知るべきであろう。

 というわけで、一応7日間。実はまだまだ紹介しきれないものがあって(あたりまえだ)、もうすでにまとめてはあるけれど、ちょっと休憩をはさんでぼちぼち後程紹介いたします(6月から9本くらいやります)。食傷気味になられても、却って良くないですからね。
 それでは、また!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファンタジーで生き抜く知恵を   パンズ・ラビリンス

2020-05-16 | 映画

パンズ・ラビリンス/ギレルモ・デル・トロ監督

 内戦下のスペインが舞台のようだ。父は死に、母の再婚相手がスペイン軍隊の大尉で、母はこの大尉の子供を身ごもっている。それで、大尉の勤務している森の要塞へ転居してくるところから物語が始まる。少女はファンタジー好きの夢見る年頃なのだが、現実の軍隊とゲリラの戦う山の中において、自分が夢想しているのか、それとも超常現象が起こっているのか分からないファンタジーの世界へ迷い込んでいくのだった。
 いわゆるダークファンタジーといわれるお話だと思うが、この残酷な世界を、なかなか見事な演出で描き出しているといえる。人を殺す場面は、ほとんどホラーといっていい演出だ。残酷に冷酷に、過剰に人が殺されていく。そういう尋常でない恐怖の中にあって、人間模様は複雑だ。レジスタンスと連携をとる姉弟もいるし、残忍な大尉とゲリラ隊の対峙の仕方も頭脳戦めいている。少女とメルヘンの冒険も、スリル満載で気持ち悪いが緊張感が素晴らしい。肝心なところで詰めの甘い殺しが、さらなるバイオレンスの連鎖につながっていくわけだが、伏線としては、なかなか考えられている。一応はゲリラ側に少しの正義があるようにも描かれているわけだが、結局はゲリラ側だって軍隊の人間を残酷に殺すことに変わりはない。それが戦争(内戦だが)というものの姿だということだろう。
 子供向けではない、という意見も分からないではないが、こういうものこそ子供が観るべきだろうとは思う。変に偏見の多い大人になってしまうと、素直にこれらのファンタジーを楽しむことはできないのではないか。少なくとも僕は精神年齢が低いので、これだけの恐怖に耐えながら、悲しい境遇を生き抜こうとする少女に共感した。ちょっと可哀そうすぎではあるんだけれど、彼女の冒険の勇気は素晴らしいのではないか(同時に愚かさもちゃんと描かれている)。
 大尉は残忍で身勝手だが、こういう時代を生き抜く知恵は持っている。だから出世もし、破滅もする。誰もがなれるような才能ではないのかもしれないが、このような人を生むのも、時代なのだろうと思う。彼が生き抜くのに都合の良い環境が、その時代だったのだ。
 しかしながら大人はファンタジーでは生きられない。結局は武力に対して、さらに大きな武力がある方が勝つ。もちろん知恵もあるし情報もある。本来は正義が勝つようなことこそ、ファンタジーなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかくても中毒になるかも・6

2020-05-16 | なんでもランキング
 そもそもの話なんだけど、本を読む前に本を選ばなければならない。そんなのは自分の感性に任せて自由にやるべきだ、という意見がありそうだというのは分かる。しかし、僕は新聞の書評はいつも楽しみに読んでいるし、雑誌の書評であってもそうだ。ブックレビューというのは一分野であって、本を紹介するというのは一定の、面白い読み物そのものといっていいと思う。
 ということで、それ自体が楽しいのだから、評価しながら読むべきなのです。今回は、そういうので、ちょっとそれ自体が面白いのを集めてみよう。

 まずはこれをあげるのは、こんなに言われてまで読まないわけにはいかないだろう、という気迫がすごいからである。米原万理さんの翻訳やエッセイは超一流だけれど、打ちのめされる、と形容された小説は、一応読んでみたけど、まあ、それほどかな、ということであったからですね。そういう感想の人が、世間にはたくさんいたと思いますよ。でもまあ、この書評集は、やはり凄いのです。ぜひとも楽しんでください。




 そうして次は、われらが荒俣さんであります。この人がすごいのは、もっと別に述べるべきだと思うのですが、とにかく本を読んでいるという日本人、いや、世界的にも、間違いなく相当上の順位にいる人であることは間違いありません。ほとんど狂気に満ちているくらい凄そうだというのは、間違いないのです。基本的には過去のベストセラーや、ひょっとするとタレントとしての稼ぎで生活しているのかもしれませんが、彼が書いていることから想像するに、相当その稼ぎは本のために使われているに違いありません。そういう世界をのぞいてみるだけでも、たいへんに面白い読み物なのではないでしょうか。



 さて、僕にとっては真打というか、ほとんどアイドルなのは、ほかならぬ養老孟司なのです。養老さんの本は、僕が持っているだけで100冊は優に超えます。著作が多いというより(著名な作家は、ふつうそれくらいは出版してます)、もうこれは、僕の側に入れ込み具合が違うということであります。僕は正直言って養老さんの紹介した本の多くを読んでいますが、必ずしもそれの全部を感心したわけではありません。しかし、たとえそうであっても、ブックレビューとしてたいへんに信頼しています。なにしろその本の紹介自体が面白いですし、紹介された本も、意味深いということを知っているからです。




 さて、今度は勢古さんであります。この方も、もともと新書でなじみがあったんですが、ブックガイドの紹介側として、なかなかに信用のある人です。なんというか文章に潔さがあって、いわゆる見栄を張って書評しないという姿勢がいいのです。実は書評家の多くは、見栄を張って本を紹介する人がものすごく多いのです。大学の先生あたりにそういうのが多いというか、作家にも多いのだけど、自分はこんなに難解で凄いものをわかっているんだぞ、っていう見栄を書評でやってしまうんですよね。それは確かに凄いのかもしれないですけど、そんなのは普遍性も何もないわけで、さらにたとえ意味深いものであるとしても、はっきり言って面白くもくそもない、というのが現実です。本というのは、読んで面白ければそれでいい、というのが、本当に本を読む人にとっては、当たり前の話なのです。そういうことに素直な姿勢が、第一に素晴らしいのだろうな、と思います。



 一応そういうことを言いながら、立花隆はちょっとしたジャーナリズム的に巨人なので紹介しないわけにはいきません。僕も中学生くらいの時に、父から「宇宙からの帰還」と読むべきだといわれて、いやいや読んだ記憶があります。でもですね、最初はちょっと難解に思えたのは確かですが、これがものすごく面白いのですよ。一気にはまって僕は立花ファンになって田中角栄とか農協とかアメリカのポルノだとか脳死だとかサル学とか片っ端から読みまくりました。そういう意味では、立花隆は師匠ではあるんですよね。近年はちょっとあやしいんですけど、まあ、愛嬌でしょう。



 僕の家では毎日新聞をとっているんですが、これはその書評の中のコラムなんです(今となってはちと古くなってますが)。僕はこれを参考にして本を買っていたころがあって、いや、今も少なくともそうなんですが、特にこの私の選んだ三冊というのは迫力がありました。その道の読み手が、あんがい意外な作品を選ぶもので、選択するというのは、人の道を誤るものかもしれないな、などと喜んで読んだものです。ベストを選ぶというのは、それほど信用してはならないものだと、僕はこれで知りました。



 漫画のほうは、ほんとは呉智英のものが素晴らしいのですが、さすがに少し古い作品に偏りがあるように思ったので、更新版としてこれにしました。まあ、普通に週刊誌を続けて読むほうがいいのかもしれないけど、僕にはそんな習慣がすでに何十年とありません。漫画は大好きだけど、本を読むより金も厚みもかさばりもするので、制限しなくてはなりません。活字のほうが少ない分量でたくさん読めるのです。そうではあるんだけど、でも、面白いので、時々は漫画を読みましょう。



 本を読む人はどんな風に普通に読んでるのかな、というのを改めて読んで楽しめます。平松洋子は、料理のことに詳しい専門家であるだけでなく、たいへんに読書に執着のある人のようです。ちょっと凄い読み手ではあるんですが、こんな風にして読書が楽しいというのは、ひしひしと伝わってくるのではないでしょうか。



 それで、こんなのを読書というのかはわかりませんが、これはこれで眺めていて楽しいのです。そんなにお金のかかることではないですし、多かれ少なかれ、そうやって楽しむ時間も読書ではないでしょうか。



 本を読む人として、僕の尊敬する先人の一人が高島さんです。エッセイの名手で、ときどき転げまわるくらい笑わせられます。僕の本を読む姿勢の基本は、高島さんが師匠だと思います。勝手にそう思ってるだけなんですけどね。



 向井敏は、一時期書評でかなりの分量で活躍してたのですが、残念ながらもう亡くなってしまわれた。でもまあ、当時は紹介された本を、見栄を張って結構参考にして購入して読みました。背伸びして読んだというのはあるけど、それはそれで若いころのいい経験だったのではないかと感じています。ということで僕の血と肉になった元の人かもしれません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

古い歌がいつまでも古くならない。新しく歌い継がれるとは

2020-05-15 | 音楽

 BSのカバーズという番組で、松本隆の特集のようなことをやっていた。もともとこの番組は楽しみにして観ているが、これはちょっと特別感がある。もともと松本隆はたくさんの詩を書いているし、そうしてその曲自体がヒットしたというのがごまんとある。いわゆるこの番組のもともとの常連さんである。でも本人が出て、自分の作った歌のオリジナルの歌手以外の人が、また歌うのを見て、何を思うのだろう。
 松本隆は作詞家として有名だけれど、伝説のバンドである「はっぴいえんど」のドラマーだったことでも著名である。このバンドは日本のロックの創始者的な存在であって、僕らの子供のころに、すでに伝説だった。ですます調でロックだというのが新しいといわれていた。当時の僕らからすると、はっぴいえんどの曲はフォークソングみたいだったけど、まあ、ロックも幅が広いしな、ということで納得するよりなかった。しかしまあ、すでに歌謡曲で松本隆の名は知れ渡っており、後で聞いて知ったのだが、そのように松本が売れたことで、仲間たちが歌謡界に参入してきたのだということだった。日本のロックの垣根を超えた存在であることが、その後の日本の歌謡界にも、大きく影響を与えたわけだ。
 でもまあ、僕が本当に松本隆に注目したのは、大瀧詠一の存在からである。多少歌謡曲を馬鹿にして粋がっていたようなところがあるロック少年の、考え方を根本的に変える力を大瀧詠一から受けたのであった。そしてその曲の多くは、松本の詩で構成されていた。それまで曲に詩がついていることに何の興味も無かったが(だいたい英語も分からないのに洋楽中心で聞いていたし)、詩にも意味があることをなんとなく知ったというか。
 僕の子供のころは、歌謡曲の詩の多くは阿久悠だった。それはちっとも悪いことではなかったが、確かに松本隆の詩は、それまでとはなんだか違う感じはする。それがモダンかどうかまでは分からないが、いま改めて聞いてみると、確かにそんなに古くなっていない。都会的なのかというと、そんなことは分からないが、それなりに普遍的なのかもしれない。
 さて番組は、二週にわたり放映された。宮本浩次もエライザも良かったし、翌週の氷川きよしも、藤巻良太も良かった。要するに誰が歌ってもいい歌はいいということなんだろうか。
 しかしながら、やっぱり聖子ちゃんや、大瀧詠一というのは、僕らの青春ソングなんだな、とも思いなおしたわけで、歌というのは、若いころに聞いていた影響というのが、一番大きいのかもしれないと、改めて思うのだった。当たり前の結論で申し訳ありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかくても中毒になるかも・5

2020-05-15 | なんでもランキング
 今回は、漫画です。文学と比べて漫画が劣るということは無いし、むしろ日本においては特に、漫画世界に文学世界の才能がなだれ込んでいるのではないか、と思えます。いったんしか紹介はできませんが、きっと世界が広がるはずだという確信を持っているのです。

 水木漫画というのはものすごく傑作が多いのだが、多少落語のようにバカバカしいものが多いのも実際の話だ。そうなんだけれど、短いものでもよくまとまって凄い作品もたくさんある。伝説の名作である「テレビくん」も「丸い輪の世界」も編入されている。ぜひ驚いて読んでほしい。僕は「のんのんばあとオレ」を特にこよなく愛しているのですけど、村上春樹の「蛍」が「ノルウェイの森」になったように、「丸い輪の世界」は「のんのんばあ」につながっているんだな、ということをわかってほしいと思います。



 石ノ森章太郎は、絵がすごいというのがまずあるんだけど、もちろんそのストーリーの展開自体も素晴らしいものがあります。いわゆる原作のあるものですが、これは凄みのある作品です。表現に「ガーン」とくるってのがありますが、まさに読んでいて、そういう「ガーン」と来るはずです。



 岡崎京子の評価の高さは当然だと思うものの、今もちゃんと読まれているのか、と思ったりします。いや、読まれてはいるのだろうけど、もっと読まれるべきだと、僕は思うのです。駄作のない人なので、何を読んでもすべて〇。本当にすごい迫力を持った作家さんだと思うのです。


 今回見つからなかったんだけど、「ヘルタースケルター」など、どんどん読んでくださいね。


 楳図かずおの短編も凄いのです。これも貸したのだろうと思うのですが手元になくて残念ですが、その中でも特に「ねがい」は読まれるべき作品です。僕は思わず笑ってしまったのですが、しかし本当に涙があふれて仕方ない感動作です。これで泣く人のほうが少数かもしれないんだけど、泣けて泣けて仕方ない。漫画って凄いなあと本当に思うのです。


 僕はもともとSF作品に対して若いころに愛着を感じていたわけですが、ドラえもんをはじめとする藤子不二雄作品群のことを、真剣なSFだとは感じていませんでした。しかしながら、藤子不二雄の「ヒョンヒョロ」は別でした。これはすさまじくSF的で、そうでありながらギャグでもあり、ホラーです。構成も素晴らしい。ぜひ読まれるべき作品です。

 つげ義春は、多くの傑作が並びながら、やっぱり人を選ぶところがあるように思います。傑作「ねじ式」は、正直言って衝撃が強すぎる割に、やはりわかりにくいですし。さらに面白すぎる「無能の人」も、この面白さが普遍的だとは思われません。でも、こういう作家性の強い作品こそ、人がものを読んでいくことのだいご味ではないでしょうか。





 世のなかには、よくわからないのに凄い、というのがあります。凄いのだけど戸惑ってしまって、結局よくわからないです。でもですね、やっぱりそれでも面白いので、読まれるべき作品はあります。まどの一哉「洞窟ゲーム」は、そんな作品なのです。



 諸星大二郎は大好きな作家です。何を読んでもいいんです。「栞と紙魚子」シリーズが比較的とっつきやすいかな、と思って紹介します。まあ、普通に面白いんで、どんどん読み進んでいくに違いないのです。



 そうして、「不安の立像」のように嫌な感じになっても読み進んでほしいです。



 これからはちょっとしたホラー作品を。絵ではそんなに怖いと思わないかもしれませんが、面白いですよ~。



 ガラスの仮面はもちろん世界を代表する漫画の名作ですが、この短編ホラーはほんとに素晴らしいです。



 そうして山岸涼子。これはほんとに実話なのか! と驚愕します。こんなことが起こってしまうと、困るにちがいないんですが…。



 そうして僕の青春の書。十代の後半から大人になるころに、これらの作品こそ、僕や友人を支えた作品群ではないかと思われます。改めて絵も上手いんですよね。作家にも影響があったのは間違いないのです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勇気をもって生き抜こうとする   グリーンブック

2020-05-14 | 映画

グリーンブック/ピーター・ファレリー監督

 腕っぷしの強さを買われて用心棒などで食っているトニーだったが、ある事情で職を失う。紹介する人があって、黒人の音楽家ドクター・シャーリーのツアーの運転手をすることになる。ときは60年代のアメリカ。南部を渡る二か月の旅となる。その頃は、特に南部にあっては、人種の差別が文化的に残っており、黒人は黒人専用のホテルに宿泊する必要があった。その黒人宿泊所を紹介した本のことを「グリーンブック」というのだった。
 ドクは育ちもよく、その特異なピアノの才能もあって、北部ではすでに確固たる人気も財も得ている音楽家のようだった。一方、はっきり言ってチンピラと変わらないイタリア系移民の子であるトニーは、自らも黒人に差別意識をもっている。二人は何かと意見は衝突するし(何しろぜんぜん趣味が合わない)、どうみたって水と油の関係とも言っていい。お金で雇い雇われているとはいえ、何もかも上手くいきそうにないのだったが、実際にドクター・シャーリーの演奏を聴いたトニーは、その素晴らしさに度肝を抜かれてしまう。黒人であることや気に食わない態度はどうあれ、雇い主として認めるのである。
 ところが、そうして少し興味をもって黒人であるドクのことを見ていると、黒人としてはスノッブすぎて仲間がいないし、白人とは基本的に隔離されて孤独だ。限られた空間で決まったウイスキーを一人で飲み、コンサートではタキシードを着て完璧な演奏をして笑顔を振りまくのだ。さらにどこに行っても基本的には白人たちからひどい扱いをうけ、屈辱にじっと我慢するしかないのである。それでも結局トラブルに巻き込まれてしまい…。
 実話をもとに作られた作品というのは、得てして実話と違ったりするものだが、この映画にもいくつか論争があるようだ。彼らにも家族があるのだから、言い分はある。特に黒人であるドクター・シャーリーは、実際に黒人仲間も多かったし、家族とも疎遠ではなかったともされている。また、黒人の側からするとさらに「白人の救世主」問題というのがあって、このように窮地に陥った際、理解ある白人から救われるという展開に、屈辱を感じるということもあるようだ。
 それらの背景もよく分かりながら、また現代社会においても有色人種差別問題はたいへんに難しいものがあるということを考えるとしても、この物語はたいへんに感動的である。お互いがお互いの影響で共に変わっていく。自分の中の偏見や、自分の中の不具合を、相手を理解することで溶解させていく。そんなことは簡単ではないのであろう。だから物語が必要で、その物語の組み立てに、成功した作品なんだろうと思う。これくらいいい映画はめったに観られるものではないから、飯を抜いたとしても観るべきであろう。
 (追伸:あとで分かったが、監督はコメディのファレリー兄弟だった! それだけでもかなり凄いです)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかくても中毒になるかも・4

2020-05-14 | なんでもランキング
 エトガル・ケレットはイスラエルの作家である。日本ではそうでもないかもしれないが、世界的なベストセラー作家だ。そうして本人自体も、たいそう風変わりな人だ。彼自体も面白いが、当然この短編が不思議な味わいがあって面白がられている。星新一のように洗練して構築された短編世界ではなく、粗削りで、粗暴ですらあるが、破壊力もある。誰でも書けるような感覚と、しかしよくまあ思いついたものだ、という発見が同時に味わえるはずである。



 さて、小説をたくさん読んでいる人に、直接すぐれた短編小説を紹介してもらうのも手だと思う。巻末に編者の対談があるのだが、これを読みながらまた読むと、さらになるほど感が高まる。それにしても、小説家ってやっぱり小説が好きな人たちなんだな、と改めて思わせられるのである。凄いですね。



 で、村上春樹が選ぶとどうなる? って興味あるわけだ。しかし、思った通り、これはちょっと難しいですね。正直言ってそんなに面白くはない。でも村上春樹がこれらを読んでインスパイヤされて小説を書くと、ぜんぜん違う面白さになるわけだ。そういうことを分かるために読むということはできる。読書は重層的に面白がる、という手があるんであります。




 これは僕が勝手に日本のエトガル・ケレットと思っている人。いや、もっとぶっ飛んでるところもあるとは思う。とにかく自由。こういうのも小説なんだな、という発見が必ずあるはずである。



 急に趣向を変えて、高齢者が何を考えているかを読む。今は阿川佐和子のお父さん、と言った方が早いのか。僕は特に若者ではないが、なるほど、年を取ると、または多少古い考えの残っている人、が考えることを読んで、フムフムと思う。それが楽しいんだかどうかは、読んで考えてみてください。


 さて、最後は持っているはずの本で、探し出せなかったけれど(だから写真無し)、面白いので紹介する。一つ目は長編ホラーの巨人なのだが、短い話も面白い。
スティーブン・キング「禁煙挫折者救済会社」である。僕は「トウモロコシ畑の子供たち」という短編集を持っていたはずだ。まだ煙草を吸っていた二十代のころに読んで、ワハハ、と笑いました。いや、たぶん、煙草を吸わない人にも面白いですけどね。

 もう一つは、村上龍「料理小説集」。これがですね、お話もいいんだけど、やはり食べてみたくなるんですよね。料理を食べて、そうしてこれらの話を再度思い出してみたくなるのであります。

 せっかくだからもう一つ。池澤夏樹「きみのためのバラ」。(これは後から見つけた)


 これも上手いな、と思います。なかなか文章が洗練されているだけでなく、なるほど、ってなります。やっぱり作家は、文章が上手くなくちゃね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

妻は現代人の不寛容の代表である   フレンチアルプスで起きたこと

2020-05-13 | 映画

フレンチアルプスで起きたこと/リューベン・オストルンド監督

 スキー場に隣接したリゾートホテルに家族四人でバカンスに訪れている。このスキー場では、危険防止のために斜面などにたまった雪を、人工的に雪崩を起こして除去しているようすだ。家族連れはテラスで食事をしていたのだが、その人工雪崩がことのほか規模が大きく、雪に巻き込まれてパニックになる。その時に夫が、家族を顧みることなく、一人で逃げてしまった。雪崩が済んで何事もなく食事に戻ってきたが、妻は夫の行動がどうしても引っかかってしまい、何度も何度も何度もぶり返して夫を追及して追い込んでいく。しまいには周りの人間も巻き込んで、どんどん精神崩壊しそうなくらいにエスカレートしていくのだった。
 一応コメディらしいのだが、どこで笑っていいのかはよく分からない。とにかく不快な気分がどこまでも続いていく。西洋人は気取ってこういう笑いを高級だと思っているふしがあって、笑えるからということにしておいて、自分の立場を守りたいだけのことなんだろう。男としての夫の失態をいつまでもなじって自分の優位を示そうとする不寛容さは、しかしこれは現代社会のメタファーでもある。多くのメディアや、それを支持する現代社会人は、この妻と同類であることが見て取れるからである。現在の新型コロナ騒ぎも、基本的にはこの構造があるから社会を破壊している訳である。それが正義の正体で、不寛容さは、実は自己中心主義の露呈なのだ。
 もちろん、ラストにかけて、その自己中心を見事に暴いてはいる。しかし、これに、他の人々も巻き込まれて、それなりにウンザリする。見事といえばそうかもしれないが、気分の悪いままであることに変わりがない。
 それにしても夫婦のような信頼であっても、それはいったいなんだろうな、ということは考えさせられる。それは期待でもあるかもしれないが、つまるところは相手次第だ。そうしてこの妻のような人間は、実は大衆社会と同じなのだから、手に負えない。単なる思い込みによる誤解だが、事実らしいことをあえて湾曲してしまうのだから、自ら理解しようがない。そうして人を苦しめるだけ苦しめたら、満足するわけでもなく、自分は不快なだけである。
 結局は受け入れる、ということを考えるしかないかも。それはほとんどの人にはできないことかもしれないな、という予感もあって、やっぱり難しい。君子危うきに近寄らず、である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかくても中毒になるかも・3

2020-05-13 | なんでもランキング
 筒井康隆は僕の子供のころから人気作家で、当時は特にSF作家と認識していた。しかしながら実際はものすごく幅が広くて、ドタバタギャグも多いしパロディもあるし評論もあるし冒険ものだってある。読まない時期もあったけど、本棚には結構筒井の作品があるのである。これって読んだっけ、ってのもあるけど。
 そういうわけで一つだけ選ぶのは難しいのだが、やっぱり当時読んだ衝撃度からいって「熊の木本線」をあげてみよう。段々狂気の中に迷い込んでいく感じと、一気に転換するホラーぶりがなかなかいいと思うのです。



 というわけで、今度は筒井が紹介している話を一つ。というか、この本は小説を書くうえでの心得や、書き方そのものを指南したものなのだが、実は優れたブックレビューになっている。


 そこで小説には凄みが必要であるとされ、その凄みとして紹介されているのが、山川方夫の「軍国歌謡集」なのだ。毎夜のように軍歌を歌いながら窓の下を歩いている女がいて、興味をいだいて顔を見てしまうのだが、それでお話が急展開してしまう…。確かによくできたお話です。今は手に入りにくいのだが、僕も古書で手に入れて、しかし本棚から見つけることができなかった。誰かに貸したんだっけかな?
 ということでアマゾン再度調べたら、見つかったので張っておきます。「海岸公園」には6篇組まれており、最後の一編がそれでした。




 僕は映画「ブレードランナー」の大ファンなんだけど、原作のディックには一度挫折していた。その頃の僕にはちょっと難しかったのかもしれない。しかしディックのファンである作家は多くて、やっぱりプロがこの人に感心するのはどうしてだろうと思ったのである。それでちょこちょこ読み返してみると、やっぱりこの作家は、お話づくりが上手いのである。科白回しも上手いので、映画にされるということになるのかもしれない。確かに映像的に転換したくなるものが多いのかもしれません。




 お話づくりが上手いといえば、あちらの国には本当に作り話の上手い作家が多いような印象がある。それもやたらに長いものになったりして、持ち運ぶのがたいへんである。ディーヴァー自体も長いものに定評があるわけだが、短編集があった。そして短編なのに、やっぱり構成力が凄いという感じなのだ。憎らしいどんでん返しを楽しんでください。それにしてもよくまあ、こんなお話をたくさん思いつくもんだよ。呆れるね。



 あちらの国にも多いかもしれないが、日本にだって構成の上手い作家はいる。それもやはり短編で惜しげもなくそれをやってくれて面白いのだから、湊かなえは凄いのである。何かとイヤミスの女王という形容詞で紹介されているわけだが、その嫌な感じも含めて、やっぱり面白いです。




 中島らもはファンなんで一つくらいは紹介しなくては。それも落語の話で、落語だからものすごくバカバカしい。しかし連作で、やっぱりなかなか面白いのです。それに恐らくよく取材して、よく構成が練られているという感じもするんですよね。



 同じく落語なんだけど、山田洋二といえばやっぱり映画監督としての評価が高いということになるのだろうけど、落語のために書いたものに感心したのです。映画には脚本が必要で、そうしてコメディが得意な監督さんなので、笑いのことをよく知っているという感じだ。新作落語にはそんなに興味がなかったのだけど、こういうものなら実際に聞いてみたいものである。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美食家宣言

2020-05-12 | 

 僕はいわゆる美食家ではない。だからと言って何を食べてもいいという気持ちではないけれど、いわゆる美食家に対して憧れも無いし、そのような生き方を今後もしないのではないかという予感がある。もちろん、大枚はたいてそのようにできる素養が無いというのは確かだろうが(大金が入るとそうする可能性がゼロとは言えない)、それなりに思うところがあるからだ。
 ハンバーガーがまずいわけではないが、自分の選択としてはまずありそうではない。いわゆるジャンクフードっぽい感じが嫌なだけかもしれない。かみさんが作ってくれるハンバーガーなら喜んで食べるが、チェーン店のものなら、まず食べには行かないだろう。
 牛丼も同じくそういう感じか。仕方なくなら入ることも無いではないが、進んで食べたいものではない。まずくはないかもしれないが、貧しさはあるせいだろうか。何か作法がありそうな感じが嫌なだけかもしれない。「つゆだくで」という言い方をしたくないのだろうとは思われるが、そういうのを説明するのがめんどくさい。常連でもないのに常連っぽい雰囲気を作らなくてはならない感じがしゃらくさい。単に考えすぎであるけど。
 そうだった、思うところある理由だった。
 寿司なんかを食っていて、特にこれを思うのである。そんなに回らない寿司を食うわけではないが、たまに食うことはある。確かに旨いし、これは回転寿司とは別物であるというくらいは分かる。さらにこの寿司屋というのは、ものすごいところがあったりする。これもめったに行かないからありがたく楽しいが、支払いは楽しいわけではない。さらにそれくらい凄いところは若気の至り以来行ってないからもう忘れそうだけど、確かに美味しかったなあ、という感動とともになんとなく襲ってくる感慨のようなものがあって、しかしこれが同じ寿司として数十倍も美味しいかといえば、果たしてそうかな、ということかもしれない。ネタによっては百倍くらい値段の違いのものも、あるかもしれない。しかし百倍旨いかという問題には、ならないのである。
 もちろん、エンタティメントとしての加算はあろう。場の雰囲気や技能に対するリスペクトや、そういうものが加味した値段でもあるし、もしもそういうものが安いのであれば、かえって口に入りにくくなり(予約が取れなかったり並んだりする時間を要したりの手間)合理性を欠けるというのも分かる。高いものは燦然と高額である方がいいと、市場経済を鑑みて正当に思う者でもある。
 しかし、もう一つの合理性を求める自分自身に、この何倍かの差をうめるべく正当な合理性を認めていないところがあるのかもしれない。そういうものが食べ物の世界であって、美食の世界への不信でもあるのだ。
 ということで、僕は食べ物に倍率を求めていない。そういう何倍もの上の旨さのあるかもしれない(または何倍も不味いかもしれない)素材があるからといって、現在食べようとしているそのものを、味わうことに集中したい。記憶をたどってどうだというのは言えるのかもしれないが、今味わっている味のことの方が、何倍よりもリアルに、今の自分の体験として重要だ。ただ今僕が旨い。そういう素直さにおいて、僕だってすでに美食家なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みじかくても中毒になるかも・2

2020-05-12 | なんでもランキング
 最初に種明かしをしてしまうと、和田誠が紹介していたので読んだわけだ。僕は正直に言って、学生時代にヘミングウェイを読んだときは、途中までで挫折した。キリマンジャロの雪とか、短いものは数編読んだが、長編はダメだったのである。文章が上手いというのは分からないではないが、内容がよく分からなかった。妙にカッコつけている気もしたし、若い僕には合わなかったのだろう。


 それで和田誠である。紹介されていたのは「殺し屋」という話だ。妙な話だが印象に残るのである。そうして、やっぱりヘミングウェイは凄いのだな、と分かる。どういうわけかいささか古くなったような気もするが、面白さは不変だろう。

 それと和田誠は、村上春樹の「踊る小人」も紹介していた。これはなかなかの凄い話で、確かに読み返しても恐ろしかった。


 でも僕は、やっぱり「納屋を焼く」が特に好きだ。これを読むと、ターンテーブルにレコードを置いて聞いていた頃があったことを思い出す。もうそういうことはしないけれど、音楽はたくさん聴きたくなる。そうしてビールもたくさん飲みたくなる。いい話では無いのだけれど、やっぱり村上春樹は凄いんじゃないか、と改めて思える。映画化された話は、ある意味で別物だが、しかしこの話の凄さに感化されて作られたことは伝わってくる。それくらい、これらの短編は力を持っている。ノルウェイの森が後に大ベストセラーになる布石が、今となってははっきり見えてくるのではなかろうか。その後の巨大すぎる村上春樹というのは、ちょっと行き過ぎてしまった嫌いはあるのだが、しかしこれらの作品が凄くないことはない。輝きはちっとも褪せてなんかいない。いや、いまだに何か新しいのである。

 そうしてアンソロジーであるが、誕生日の話なのにあまりハッピーなものが少ない。多くの作家は、いや、あるいは村上春樹の好む話は、ちょっと素直じゃないのかな、という感じかな。そうして最終的に、村上自身の作品がやはり一番すごいのである。これって反則じゃないだろうか。


 多くの作家に猫は愛されている。犬だって愛されているはずだが、猫はたくさん愛されているように見える。偏執的に猫を愛している人が多いような気もする。そうしてこれも、実を言うと村上春樹なのだ。長編小説の切り取った断片が、実は見事な短編小説でもある。もちろん、パラパラと適当に読んでも猫は楽しめる。いろんな猫は、人間の鏡でもあるようだ。


 そうして村上春樹の訳文といえば、レイモンド・カーヴァーなのである。実は僕にはよく分からない話が多いのだけど、こういうものが小説なのだな、と思うのだ。僕は小説のことをよく分かってないのだな、ということもよく分かる。それくらいよく分からない物語や展開の仕方である。でも面白くないわけではない。ときどき面白いくらいだけれども。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

激しいが、それだけ情動的なんだろう   バーニング劇場版

2020-05-11 | 映画

バーニング劇場版/イ・チャンドン監督

 男は、幼馴染だというパントマイムの上手い女性と関係を持つようになる。その後彼女はアフリカに旅行に行き、帰ってくるとものすごくお金持ちでただ遊んでいる男とともに現れる。三人は時々会って話をする。ある時二人は男の家に遊びに来て、ワインを飲んでマリファナを吸う。そうして金持ちの男は、時々ビニールハウスを焼く(ことを趣味のようにしている)ということを告白するのだった。
 原作は村上春樹の短編で、前半部分のほんの一部で小説と同じようなシチュエーションがある。しかしその他は、原作を借りた別物語と言っていい。原作は納屋を焼くのだが、金持ちの男はビニールハウスを焼くことになっている(実際に焼いているかはよく分からないが)。
 何か意味深ではあるが、そこに意味があるのかどうかもよく分からない。いや、むしろ小説の方がそういう感じであって、映画の方にはそれなりの結末がある。だから納屋を焼く意味や、失踪した女の状態も、考え方ではあるけれど、結論はあるといえる。だからどうなのか、というのはやっぱりわからないのだけれど…。まあ、それでいいという作品なんだろうと思う。
 名作めいていて、そうしてやはりなかなかの見ごたえのある演出である。しかしまあ、人を選ぶことは確かで、これに感動する人は、だいぶ特殊な人だろう。ミステリ仕立てだが娯楽作品ではなく、やはり文学に近いということだろう。スジを追うだけでは、ほとんど内容が無い。早回しして展開を読んでも、だからどうしようもないのだろうと思う。あらすじを知ったところで、この映画の意味するところは読み取れないからだ。それが面白いかどうかを分けるところなのだろう。妙に長いが、この長さを必要とすることに意味があるわけで、この嫌な感じをジワリと肌に染み付けるようなことを、監督はしたいのだろうと思う。
 ということで、僕は村上作品の中でも、特にこの話はなぜか好きで、というか特に印象に残る話だから、映画も比較して楽しめたほうかもしれない。違う話だが、なるほどね、と思うからだろう。そんな風にこの小説を読んでなかったな、と思うからだろう。僕としては納屋を焼きたい気持ちはわからないが、そういう人がいるというのも、許容していい。だからこのような結末にはならないだけのことで、たぶん冷たい人間なのである。そういう意味では、この映画にはいくらか人間味がある村上解釈なんじゃないかな、と思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする