カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

個人はそれぞれ自立しなければ   ザ・ゲスト

2020-01-16 | 映画

ザ・ゲスト/アダム・ウィンガード監督

 イラクで戦死した息子の親友という帰還兵の青年が訪ねてくる。息子は生前家族それぞれを深く愛していたということを伝えたくて来たらしい。好青年だと感じた母は、そのまま空いている息子の部屋にこの青年を招き入れる。かの家族には、なんとなくそれぞれに問題を抱えていて、娘の恋人はジャンキーでまともに働かず、息子は勉強はできるがいじめられている。父は出世を阻まれ、ふてくされて家では酒を飲んでいる。この帰還兵は、それぞれの問題に寄り添うように理解を示しているように見えるのだったが…。
 演出的に最初から不穏な空気が流れており、帰還兵に問題がありそうなことはすぐに見て取れる。しかしながらそれが、何の目的があるのかは明かされない。家族の問題を、ある意味で強烈な暴力をもって解決してくれる。当初から逸脱が激しいので、もっと大きな問題になることは見て取れる。そうしてそれは、大きな国家機密にもつながっているのかもしれない。
 荒唐無稽なアクションホラーなのだが、面白くないわけではない。帰還兵が超人的な能力を持っているのは間違いないが、しかしどんな問題解決の方法があるのだろう。謎解きでありながら、演繹法的でもある。ちょっと行き過ぎもあるけれど、一定の緊張感は持続する。勧善懲悪的なカタルシスがありながら、しかし行き過ぎが暗い影となって付きまとう感じである。こういう娯楽もあるんだな、というB級感もいいかもしれない。まあ、意見は分かれるだろうけれど。
 閉塞した家族のそれぞれの問題は解決していくのだが、そのための代償が大きすぎる。潜在的な願いが叶うことで、何もかも失っていくのである。そういったことに何か示唆的なものを感じないではないが、まあ、実際は教訓的な意味合いを見出す人も少ないことだろう。結局みんな自立しろよ、という話なのかもしれない。
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村上レディオ、今年もよろしくです

2020-01-15 | 音楽

 昨年の一番の事件として挙げていいのは、村上ラジオではないかと思う。いや、厳密には一昨年からスタートなんだろうけれど、昨年はコンスタンスに放送は行われ、いや、実際堪能いたしました。
 それというのも、内容そのものがいいと思うのである。もともと音楽に対して造詣が深いというのは分かり切っていたことなのだが、そういうことをわかっていながら、やはりしかし、本当に楽しみながら実際に音楽が好きな人なのだな、というのが、改めてわかる内容だったのである。深いだけでなく、広い。ほんとに広い。凄いなあ~、というのが感じられるだけでも事件だったのではなかろうか。
 そうしてまた、選曲も、ある意味でオーソドックスでもない。ちょっと外れている。でも、マニアックなだけでもない。ちゃんとその面白さのわかる範囲で、外れてない。このバランスも凄いのである。あきれるけど、王道でもないけど、凄いなあと思わせるポイントはちゃんと踏んでいる。これが世界の村上春樹たるゆえんなのではなかろうか。
 ということで、興奮して番組を聞いて過ごした時間は楽しかったのです。こういう事件が、長生きしていると起こることもあるんだな、と思うだけでも、素晴らしいことだと思います。
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ものすごくみんな強いが、誰が一番は分かりにくい   アべンジャーズ/インフィニティ・ウォー

2020-01-14 | 映画

アべンジャーズ/インフィニティ・ウォー/アンソニー&ジョー・ルッソ兄弟監督

 マーベリック作品のアベンジャーズ・シリーズの第三作らしい(知らずに観た)。そういうわけで複数のアメコミ作品の登場人物が入り乱れて登場する。なかなか込み入って複雑だ。
 まず、サノスという宇宙の怪人であり悪人が、大きな力を持つ6つの石を集めている様子。集まると指を鳴らすだけで約半分の人類のような生き物が死ぬらしい。説明が面倒だが、サノスというのはそうやって増えすぎた人々を無差別虐殺して、宇宙の均衡を守ろうという思想の持主らしい。しかしながら殺される方は当然サノスに憎しみを抱いているわけで、みんなして寄ってたかってこういう行動を阻止しよう、という協力体制が築かれるわけだ。しかしながらサノスのよこす使者たちも当然強く、最初は防戦一方でなかなか苦しい戦いだ。地球や宇宙や、または別の場所で、それぞれの思惑がありながら戦いは繰り広げられ、サノスの妙な考えの野望を阻止しようと躍起になっていく。一方のサノスは着実に石の数を増やしていき、力の強大さも増していくように見えるのだった。
 いろんな人を使うために、ちょっと説明のための場面が多すぎるような気がする。それぞれの漫画では主人公たちだから、見せ場も無いとならないのかもしれない。普段はあんまり関係性の薄い(違う物語だから)仲間たちなので、ギクシャクとまではいかないまでも、すんなりとなじんでいくようなことにはならない。結局多少は説明が必要なのだろう。
 しかしながら、やっぱり強いのと弱いのがいるような気がする。最終的にはウジャウジャと敵の強いのがたかってくるけど、もっと強力なパワーでそれらを蹴散らさないことにはらちがあかない。そうして物語はそれなりに絶望的なことになっていく。
 ああ、そういえば続き物だったんだな、と、終わってから思いなおす。これで終わるはずはないからである。いや、一応の完結なんだろうけど、だいぶ人数も減らしたようだし、もう少しお話はシンプルにしなければならないのではなかろうか。続編観るのかは、ちょっと考え中である。
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なんとなく問題作(僕が昨年見たお勧め映画2)

2020-01-13 | なんでもランキング

 分類的に適当かどうかは分からないのだが、少なくともなんだこれは! と衝撃を受けるのではあるまいか、というのを選んだ。人はこういうことに巻き込まれてしまうと、非常に困るはずである。困るんだが何とかしなければならない。その選択が正しいかどうかさえ、確信が持てないままに…。ということで、この答えで本当にいいのでしょうか?

笑う故郷/ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン監督
 主人公はノーベル文学賞を取って英雄になっている。そういう中アルゼンチンの田舎町から名誉市民にしたいという依頼が来る。そうして一度も戻ったことのない故郷に凱旋してみるのだったが…。
 なんとなくコメディなんだろうけど、これが笑えなくて凄いことになる。しかし二重三重にひねりが効かせてあって、お見事なのだ。

ウインド・リバー/テイラー・シェリダン監督
 これは北米の社会問題を扱った作品である。静かな話かと思ったら、とんでもない方向に行ってしまう。なるほど、田舎やマイノリティは、恐ろしいのである。そして、いい作品ではないだろうか。

ある女流作家の罪と罰/マリエル・ヘラー監督
 ちょっとしたきっかけで道を外してしまうと、簡単には後戻りできなくなる。という見本のようなお話。実話をもとにこの話の元ネタは、ベストセラーになった。そういう意味では、実話の方は足を踏み外してもしたたかなのであった。凄いですね。
 
検察側の罪人/原田眞人監督
 これは原作とはずいぶん違う結末であるらしい。そうさせたのがキムタクの力なのかどうかは知らないが、もしそうだとしたら、政治家の忖度より凄いのではないか。でもまあ、お話は恐ろしいです。

 というわけで、大いに苦しんで考えさせられてみてはいかがでしょうか。
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クレイジーでセクシーでアートだ   ALL NUDE

2020-01-12 | 読書

ALL NUDE/すぎむらしんいち著(講談社)

 漫画の短編集。だいたいにおいて青年漫画のようだが、性の話を描いていて、いわゆる実用的な話であるようではない。単純なギャグもたくさんあるが、不思議なファンタジーが多い。読んでもちろん不思議な気分にさせられるはずである。
 単に女性の裸に欲情してぶっ飛んでいるような、一見バカバカしい話もあるんだが、たとえそういう話だとしても、どういうわけか、何か人間の本質をとらえているというか、妙な感慨を受けるのである。馬鹿だが、もの悲しいような、それは男としてのむなしさなのか、単に動物としてそうなのか、よく分からないが、そういう気分にさせられる。プッと噴き出して笑ってみるが、後になってみると笑えない気分になるというか。
 確かに人間も動物で、その本能的な性に囚われて生きているイキモノなのかもしれない。それで大きな力を発揮することもあるだろうし、単に失敗して悲しいものもあるだろう。人生の目的すべてが性的なものとは思えないのだが、しかしある種の生き物としての本能は,全勢力をかけて、性的な目的を達したい強い欲求があるのではなかろうか。少なくともオスたちは、そういう瞬間に最大の喜びを感じているのではないのか。
 いろいろな話が混ざっていて、そのまま芸術的な話(少女カメラだとか)だってちゃんとある。ホラー作品もあるし、ジャンキーの本質をとらえたようなものもある。青春の断片もあり、狂ってるとしか思えない訳の分からないものもある。演繹法で、どうしてこうなったのか不思議な物語もある。本当に実に多様だ。そうしてこのような体裁をとりながら、実に幻術的な爆発力を感じさせられるのである。
 基本的にバカな若者たちなのかもしれないが、作品はそういうわけで侮ることはできない。なるほど、作者は漫画家という芸術家なのかもしれない。
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詩を書かなくていい時代

2020-01-11 | ことば

 若いころには割にやっていたのに、今はまったくやらなくなったものに、詩を書くというのがある。これはいわゆる曲を作っていたからで、詩もなんだけど、曲も作らなくなった。まあ、曲というのはギターか何かあれば今でもすぐに何かできるにはできるだろうとは思われるが、いわゆるメロディーができたとしても、それに詩をのせる気になれない。思いついた言葉を言ったとしても、センテンスとして意味を成すようなものを考えようという気になれない感じである。
 若いころの作詞方法は、ギターコードに合わせてだいたいのメロディを決めて、その上に詩を当てはめていくという感じだった。おそらく多くの人がそうすると思うのだが、ごろのいいと思われる言葉を、まるで俳句の575のような感じで当てはまりそうならば並べていく。うまくいくと詩のような感じになる。とりあえず当てはめておいた言葉も、後で何かと入れ替えたりする。だいたいのスジとして、「分かってくれないあいつのバカ野郎」のようなテーマがあったとして(それはテーマといえるのかは、とりあえずおいておいて)エピソードを交えて言葉を紡いでいく。時折ものすごく上手く言葉がハマることがあって、自分でも感動しながら(馬鹿である)詩を作っていた。何度か歌ってみて、再修正し(推敲のようなもの)、バンドのメンバーに聞かせて編曲をし直す、というような作業をした。僕よりどんどん曲を書く人が居たので、そういう役割は減ってはいったものの(どちらかというと人の作った曲の編曲に力が入るものなのだ)、やっぱり時々は自分も何か書きたくなるようなことがあったようで、自発的にぽつりぽつり書いたものである。今考えるとそれなりに言いたいことがあったのかもしれない。いや、ブログも書いているし、詩の方が面倒であるが。
 でもまあ、詩なんてものを書いていて平気なのは、若さの特権のようなもののようにも感じる。大人になっても詩を書いている人はいるんだろうけど、僕のような感じで書いているわけではないのではないか。その表現方法として自分なりにしっくりするから続けておられるのであろうから、僕のような若気の至りで詩になるということではないと想像する。
 また書きたくなるようなことが起こらないとは限らないが、とりあえず書きたくなくて平和である。平和でない発言もするにはするが、とりあえずやっぱり平和なのである。
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凄まじい迫力とリアルな世界   暁に祈れ

2020-01-10 | 映画

暁に祈れ/ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督

 白人のボクサー、ビリーは、タイに渡り試合をしているが、同時に麻薬におぼれ自堕落な生活に落ちている様子。そこに警察に踏み込まれ刑務所生活となってしまう。この刑務所の様子が圧巻で、実際の刑務所で撮影されているとされ、主要な俳優以外は、すべて本物の受刑者がそのまま演じている。ほとんどの人間が全身に入れ墨を入れており、いじめやレイプ、そうして何と言ってもトイレをはじめ粗悪な環境が見て取れる。暑い国というのもあるのだろうが、隣とはほとんど密着状態で寝なければならないようだし、規律は厳しいが、序列も厳しく、まったく聞き取れないタイ語の渦の中で、何も分からないままに手探りで生き続けなければならない。ものすごく汚いし、刑務官は棒を振り回し、ものすごく恐ろしい。暴力ばかりの場所にあって、どうやって安らぎを得ることができるのだろうか。
 そういう中、刑務所の中でもボクシング(ムエタイ)のチームがあって、そのメンバーになれると、いくぶん優遇されるようなことになるらしい。元ボクサーなので、必死に取りつき、本気で格闘技に打ち込んで、刑務所内の生活の向上や、ジャンキーからの離脱を図るべく努力をすることになるのだった。
 途中、仲間との会話があるが、罪を犯して二年の刑を受け、むしゃくしゃして更に刑務所で二人殺してしまい10年以上刑が伸びた、だとか、生まれた環境として殺し屋として働くしかすべがなく、結局終身刑になったとか。恐らく事実が語られているのではないかと思われる人々が、ムエタイを通じて黙々と鍛錬を積んでいくのである。
 恐ろしく凄まじく、正直言って気持ち悪い面もたくさんあるが、ものすごい迫力でリアルに描き切った映像世界である。説明は少ないが事実をもとにしてあるらしいことは見て取れる。こういう状況に陥ってしまっても、人は生きていくものだし、また、希望のようなものが見出せるということなのかもしれない。実体験するのは、まっぴらごめんだけど。
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お勧めホラー(昨年僕が観た中でお勧め映画1)

2020-01-09 | なんでもランキング

 昨年見たお勧めシリーズ第一弾は、ホラー映画。最初に紹介したい理由は、どういうわけか、ホラーの佳作に収穫があったから。苦痛も伴うこともあるかもしれないが、いい映画を観たという満足感もたぶんあることだろう。

恐怖の報酬/ウィリアム・フリードキン監督
 リメイク作品である上に、実は昔に撮られてヒットしなかったものを、監督が再発掘して再評価されてヒットした作品。文句なしの傑作の上、厳密にホラー映画ですらないが、昨年見た作品では、ダントツに恐ろしかった。さすがエクソシストの監督さんである。そうして映画として、これだけ素晴らしい作品はめったに出来上がらないと理解できるだろう。ラストのひねりも効いている。

ゲット・アウト/ジョーダン・ピール監督
 これは実に感心しながら面白く観た。ものすごく変な違和感がずっと続いて、ものすごく恐ろしいことに巻き込まれてしまう。しかし機転を利かせて這い上がるように問題を打破していく姿が見事である。僕は感動しました。ヒットしたのはものすごく当然である。

ドント・プリーズ/フェデ・アルバレス監督
 これは正直言って、それなりの問題作だ。何故なら、偏見に満ちているから。しかしある意味でそれでも女性問題を含んでいるから、加害者が正義に逆転する。これだけ変な作品を真面目に作ったことが、何より凄いのだろうと思う。お勧めしていいか分からないが、考えてみてください。

哭声:コクソン/ナ・ホンジン監督
 これは本当は訳が分からなかったのだが、國村準がものすごく恐ろしかったのでお勧めである。これで國村は、韓国ではものすごく有名な日本人俳優となった。日韓関係がどうあろうと、素晴らしい演技には、皆感動するのである。いや、怖くてどうしようもなくなったのかもしれないが。

 ということでお楽しみください。
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火を借りる人

2020-01-08 | 掲示板

 もう煙草をやめてずいぶんになる(18年?)のに、いまだに時々火を貸してくれ、といわれることがある。煙草を吸わなくてもライターを持っている人もいるのかもしれないが(アウトドア関係とか)、いわゆるタバコを吸う同志として声をかけられていることは間違いないと思われる。何故ならふつうに歩いているときに呼び止められて、「火」といわれるからだ。さらに多くの場合、若い女性である。喫煙率自体は下がっていると聞くところだが、働く女性の一定の割合に、喫煙者が必ずいるという実感がある。良いとか悪いとかいう問題ではなく、社会進出と関係がありそうな気もする。まあ、とりあえずそういうことを言いたいわけではないが、要するに火を借りる相手として、僕は声をかけやすい可能性があるのではないか。
 ということで何故だろうと考えていたのだが、実はこれは、あんがい当然のことだったのかもしれないと思い当たった。それというのも、僕は散歩を趣味にしていて、会議とかの休憩時間にも、ホイホイ外に出て歩くことが多い。今まで気にもしてなかったけど、僕のように休憩になると外に出る人々というのは、ほとんどの場合喫煙者の割合が多いのだ。そういう集団に混ざって外に出ると、ああ、あれは仲間だな、と思われるのではないか。それに僕は、いわゆるこわもての男ではない。ついでに「火」といいやすいオーラのようなものがあるのかもしれない。
 まあ、休憩に限らず、ふつうに散歩してても声を掛けられる場合があるが、まあ田舎において散歩している暇人も少ないので、たまたまそういう機会にのこのこ出歩いているということなんであろう。
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怖ろしいが目が離せない   恐怖の報酬

2020-01-07 | 映画

恐怖の報酬/ウィリアム・フリードキン監督

 それぞれ過去に何かあって、南米のある国に逃れてきた男達の物語。森林の中にある油田が、事故で大爆発を起こし火災となってしまう。火を消すためにニトログリセリンを使って、爆風で消そうということになる(そんなことで消えるのかは不明)。しかしニトロは衝撃に弱いという性質があり、南米の森林の悪路を運ぶことは、命がけの難行なのだった。しかしながら男たちは、命を懸けでも金を手にしたい事情があるわけで、恐怖の悪路に立ち向かわざるを得ないのだった。
 フランスの名作版のリメイク。これも僕は見た事があるが、ものすごく面白い作品である。さらに監督のフリードキンが、40年前に「エクソシスト」で大成功をして、自分の私財をなげうってまで制作に力を入れ、二年にわたって南米で撮影したといういわくつきの作品だった。にもかかわらず興行的には大失敗する。映画の評価がそもそも当時は芳しくなかったことと、配給会社が短縮版にして公開したために、内容的に訳が分からなくなったためもあるのではないかといわれている。40年という時を経て、改めて監督本人が、複雑な配給の利権を解きほぐし、再上映を果たしたという。
 正直に言ってこれだけの傑作が、どうしてそのような運命を背負ったのかは、本当に不可解だ。何故ならこの映画、息をつかせない面白さがあるうえに、非常に凝った構成で、最後の見事などんでん返しの皮肉が効いているのである。さすがにホラーの名作を作っただけのことがあって、ハラハラドキドキが続いてものすごく怖い作品だが、日本の漫画のように面白くてやめられない感じだった。確かに説明的な演出が少なく、映画に慣れていないような人には、難解に見えるような展開はある。しかしそれは男たちのリアルを支える過去のことであって、後半に通じるサスペンスには、単に身を投じて観ていればいい。よくもまあ次から次へと、ものすごく絶望的な危険が続くものである。感心を超えて呆れてしまう。確かに怖かったが、凄いものを見たな、という感動は残るはずである。これを映画史に残さずに何を残せというのだろうか。
 ということで、今となっても古いんだか新しいんだか分からない見事さを、多くの人に堪能してほしいものである。
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やれる可能性に賭けてみるということ

2020-01-06 | 時事

 年末から話題のゴーンさん。改めて凄いですよね。こんなの小説で書いたら馬鹿にされるようなお話が現実に起こっちゃって、困っちゃうやら面白いやら。それくらいあり得ないことが現実に起こっちゃったわけで、人間生きているといろいろあるんだなあ、と改めて感慨深い事件であります。
 さて、今後どうなるのかというのは、大方の予想通り逃げ得になる可能性が高いのかもしれませんが、金持ちだから自由を手にできる批判や、日本と他国との関係性の問題(司法をはじめ、死刑問題にも発展しそう)など、多くの議論の提示になっていることは間違いありません。しばらくこの話題で楽しめそうです。怒ってる人もいるけど。
 さて、確かに15億円もの大金である保釈金をなげうったり、逃亡する為にかかった莫大なお金や、おそらくレバノンへ送っているだろう少なからぬ資金など、お金のことばっかりかもしれませんが、気になりますね。もう日産の経営にかかわることは無いだろうにせよ、これらの資産をもとに、何かを起こすことは可能かもしれません。
 また、改めてゴーンさんの考え方を察すると、可能性のあることは実行するという実業家精神のようなものが、このような行動に表れているとも考えられます。コンプライアンスは大切なはずですが、それは日本の場合国内に向けてのポーズのようなものです。法的には危うかったり、ちょっとした隙間だったり、新たなイノベーションのようなものは、このような考え方の中にあるのかもしれません。今回のことは、確かにほめられたことではないにせよ、ゴーンさんのような人だから実行に移したことは間違いないでしょう。逃亡のシナリオには、今なおミステリはすべて解かれているわけではありませんが、これらの計画の大胆さや緻密さは、経営の大いなるヒントになるように思います。まあ、びっくりさせるから、いいというものではありませんけどね。皆さん元気に頑張っていきましょう。
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要するに昔の僕は恥ずかしい

2020-01-05 | 音楽

 音楽の話を一緒にするような仲間というのは、かなり減った。特にロックの話というのはなかなか難しいことになっていて、だいたいの分野というのが重なる人というのはものすごく限られている。僕は小学高学年くらいから渋谷陽一のラジオを聞いて育ったのであるが、そういう人が周りを探しても容易に見つかるはずが無い。いや、出会ったことさえないはずである。ロック好きの友人はたくさんいるけれど、そういうことはあんがい重ならない。でもまあ、だいたいロックだしな、という緩い感じでお互いの話をクロスさせて楽しんでいる。好きなバンドとか曲というのが重なるというのはあるけれど、おんなじ塊が合う感じというのは、中学生頃に一緒にバンドをやっていた仲間たちくらいではなかろうか。もうずいぶん昔のことである。
 しかしロックの話というのは時々する機会があって、話をできるだけでも貴重で楽しいのだが、ちょっと世代が違ったりするだけで、ほんとにまあ、ずいぶん違う展開になっていく。僕のまったく知らない音楽と、相手がまったく知らない音楽でありながら話をしたりする。
 徳島の居酒屋で飲んでいたら、僕より10くらい若い人が古典ロックが好きだと言っていて、それは僕の高校生くらいの時代の音楽だった。そういうのは古いには古いが、さて、古典なんだろうかな、と思ったりした。
 さてしかし、若くてロックに詳しい人というのは確かにいて、若いからものすごく力強く音楽を聴きこんでいることは見て取れるのだが、しかし放っておいて聞いていると、どんどん事細かくマニアックになって困る。聞きたくないということではないが、なんだか僕が若いころに話していたような感慨がよみがえって、とてもいたたまれなくなるような恥ずかしさを覚えるのだ。そういうわけで、ロックの話をすると恥ずかしいということも同時に思い起こされてしまう。もう少し軽い感じでぼそぼそと話ができるような環境に、身を置きたいと願っているのである。
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ほとんど天才バカボンだと思うが   アウト&アウト

2020-01-04 | 映画

アウト&アウト/きうちかずひろ監督

 きうち自身の原作小説の映画化らしい。元ヤクザの探偵の周りで、過去を知られたくない議員などを巻き込んだ殺人事件が起こる。様々な立場で殺し殺されお話は展開していくが、プロットが複雑で、なかなか整理できない。ほとんど会話だけで、そういうプロットをなんとなく説明しようとしていて、きうちが漫画で描く世界と、ある意味では似ている。映画だからアクションもあるが、それは会話との間に挟まれた出来事のような感じだ。
 探偵と警察とヤクザと政治家などだから、妙な圧力と、腹の中の分かりにくい探り合いが続く。そういうことが面白いという話なのだが、皆悪ぶっている印象をどうしても受ける。特に主人公のやくざ上がりの探偵は、自分の矜持のためか、本当に商売で食っているのか不明である。そういう意味ではほとんど天才バカボンのパパと同じだが、しかしこれがハードボイルドで、はじめちゃんのような話し方をする子役の娘がいて、やっぱりバカボンではないかと思ったりした。すいません、分かりにくい話だろうが。
 そういうわけで、面白くないわけではないが、ちょっと外しているかもしれない。立ち回りを演じる事実上の殺し屋青年の謎が、物語を引っ張ってもいるが、なんだかあっさり幕引きを行う。これがいい奴と悪い奴の境界ではっきりしないままで、さらに物語を分かりにくくしているのではなかろうか。また、必要以上に賢く敬語を通す小学生の娘の存在が、リアリティを壊してもいる。それがいいところなんだと考えているのは分かるが、だからと言って共感があるわけではないのだ。
 なんだか複雑で不思議な映画で、こういうのが好きな人にはたまらないものがあるのかもしれない。要するに映画も相性なのである。
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5000日記念日

2020-01-03 | 掲示板

 このブログが始まって5000日目だそうである。記事自体は5200件を超えている。事業所が引っ越ししたりして、ブログ名が変わったりもしたが、gooブログに移ってきて、5000日目である。2006年の4月26日に最初の日付がある。
 実はその前からブログはすでに書いていて、忘れてしまったが、その前にもメルマガを書いていた。それが10年くらい続いていたのではないか。しかしネットで書いていたブログのホームページビルダーの調子が悪くなって、こちらに移行したのが14年前ということだ。
 必ずしも毎日書いていたわけではないが、書くときは一日に何本か上げることも以前はあったようだ。今はひと月分くらいは、いつの間にか書きためている。時には没にするが、たいていは書き換えたりして、何とか仕上げたりしている。何のためか、と問われることがあるけど、それは僕も知らない。目的が無いから書けることもある。人というのはそういうものでしょう。
 一本の平均文字数がどれくらいなのか正確には分からないが、以前は2000文字を超えるものも多かった。もちろん5~600文字の時もある。まあ、平均しても1000文字くらいにはなるのではないか。そうすると今までに5.000.000文字くらいにはなるのか。だいたい文庫本一冊10万文字というから、50冊分くらいにはなるのかもしれない。ほほ~。
 ということなんだが、新たな目的はやっぱり思い浮かばない。書くことは精神衛生上いいのだが、やはりブログだから続くというのはあると思う。日記なら続かないだろう。いや、続くかもしれないが、少なくとも推敲したりしない。そういうことが、人間としての、いわゆる癖のようなものなのではないか。
 しかしまあ、何かを考えていくということではあって、それは僕の生活の何かに生かされていると思う。たぶんだけど。まあ、緩やかに何か変化をするかもしれない。もちろん、やめるかもしれない。最悪僕が突然死ぬかもしれないし。そういう場合、ネットのこの存在はいつまでどうなるのだろう? なんだか考えると不思議ですね。
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不思議な青年の作られ方   満月 空に満月

2020-01-02 | 読書

満月 空に満月/海老沢泰久著(文春文庫)

 井上陽水の半生を描いた作品。成功する前と、若いころまでの流れがざっくりと分かる。さらになんとなくだが、その不思議な歌詞の謎も少しくらいは解けるかもしれない。
 陽水という名が漢字の上では本名だったとは、初めて知った。ただし、本名の読みはアキミ。お父さんが歯医者さんで、名前を若水(わかみ)というようで、妙な読み方にはあまり抵抗が無かったのかもしれない。陽水は歯医者を継ぐように期待されていたが、受験を失敗し、数年間にわたる浪人中に、出奔するが如く音楽の道の方へ逸れていき、結局大成功してしまうのだった。
 僕の若いころから陽水は大ヒットしていて、いわゆる社会現象的に尊敬されていたように思う。少なくともなんだかすごい人という感じだった。小説にあるように、どういうわけだかテレビには出演しない。サングラス姿になんだかくせっ毛のような頭髪の、妙なアクセントのお兄ちゃんだった。歌詞が独特で意味不明だし、しかし美しいメロディと声で、多くの人を魅了していた。僕の知り合いの先生は、陽水を家族で崇拝して聞いているという話をいつもしていた(麻雀の時など)。僕も時々カラオケで歌ったりはしたが、ロックの人ではないと考えていて、そのころはあんまり熱心ではなかった。
 ところが近年になって、何か吹っ切れたような陽水は、あんがいテレビで頻繁にみるようになった。相変わらずなんか変であるが、しかしやっぱり偉大な感じがする。そうして実際に素晴らしいのだった。だから実はずいぶん以前から海老沢作品なので持っていたこの本を読んでみたというわけだ。海老沢作品としてはカラッとしすぎているが、人物が面白いので読めてしまう。そういう作品だった。やっぱり陽水は、あんまり理屈じゃないのかもしれない。
 しかしながら基本であるビートルズのことや、作詞においてのボブ・ディランのことはよく分かる。陽水はそれらに感化されながら、しかし陽水として成り立っているからこそ素晴らしいということだ。それに彼らから影響されるようなひとは、それこそ世界中にひどくたくさんいるはずで、でも陽水は簡単には生まれない。そういうことが分かる本かもしれない。これからも、もっともっと活躍して欲しいものである。
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