カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

すれ違いの原因こそ見直されるべきだ   君の名は

2019-11-15 | 映画

君の名は/大庭秀雄監督

 3000万人が観たといわれる三部作。もとはラジオ番組だったものを映画化したらしい。主人公真知子を岸恵子が、春樹役を佐多啓二が演じた。
 正直に告白すると、母がレンタルして観ていた第一部の終わりころから一緒に観た。それぞれ別に三部作が公開されたそうだけど、そんなに長い必要が果たしてあるのか疑問に思うほど長い。戦争中の東京大空襲の夜に偶然一緒に避難した男女が、半年後にまた同じ場所で再会を約束して別れたまま、なかなか会えず結局一年半後に再会できる。しかし真知子のほうはすでに婚約しており翌日に結婚するという設定なのである。最初の段階で連絡先を明らかにしなかった失敗が、長く続くこの悲劇を形作ってしまったようだ。まったく馬鹿なカップルである。
 他の男を愛したまま結婚したために、夫からは激しく嫉妬され理屈ではいろいろ言われるが、意地悪された上に別れてもらえない。姑からも激しくいじめを受け苦しむ。それはそれで気の毒ではあるが、最初から心がないのだから悪いのは真知子という気もする。とうとう逃げ出すが、実は妊娠しており、やはり春樹からは夫のもとに帰るように言われる。ひどい男である。仕方ないので自殺未遂を起こし、死ねないが流産する。そういうことで離婚の話を進めると、夫は意固地になっているので裁判になっていろいろ理屈がこねまわされて別れられない。春樹のほうは情熱的な女性に惚れられ、結局その女性とその女性を好きな男と二人の人間を自殺に追い込む。要するにこの二人も不幸だが、この二人に巻き込まれた関係者も、みな不幸に巻き込まれるという物語である。
 というわけで、いろいろ面白いのだけど、同時にいろいろと考えさせられる内容である。真知子はあまり自己主張をしないタイプで、そのためなのか病的になっていくような印象も持った。結局死にそうになってひやひやするのだが、そのままだと物語が成り立たない。恐ろしい結末といえるかもしれない。
 確かに現代社会であれば、法律などの問題からしてこのようなすれ違いメロドラマは成り立たないのかもしれない。肉体関係はぼかしてあるが、ふつうこれは不倫である。確かに妙な家庭に嫁いだという不幸はあるが、根本には精神的な裏切りがあるためのような気もする。確かに出会ってすぐにナンパするのでは軽すぎる印象はあるのかもしれないが、そもそも運命の出会いなんだから、最初が肝心なのである。この映画を教訓として、みなもっと勇気をもって出会いを考えるべきなのであろう。
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個人主義はエロも越える

2019-11-14 | culture

 「龍と闘う少女」というドキュメンタリーを観た。映像作家の娘さんが白血病にかかってしまう。もともと娘の成長を映像で撮っていた父は、その成長記録を淡々と残すつもりでいたようだが、この娘の病気のせいで、その物語が一変してしまう。しかしこの監督はちょっと変わった人のようで、娘の苦しみの記録のはずが、ミュージカル仕立ての演出が入る。コメディとして描かれていくのである。道行く人が交通標識にぶつかって倒れたり、シュールな映像が、ドキュメンタリーの映像と混ざり合って展開していく。病院の先生や看護師さんたちも、冷めた演技をしている。母親も娘と一緒にタップダンスしたりする。
 娘をかわいく思う父の気持ちは、痛いほどわかる。コメディだけど、家族の心配も透けて見える。ただし、やっぱり日本人とはずいぶん違うなあ、と思わせられる場面も多いのである。
 特にエロ目的に演出しているわけではないが、娘のパンツだけの姿も結構映している。医療機器との接続画面もあるので、そういう処置で肌が見えることもあろう。盥の中で水浴びも全裸だし、着替えのシーンなんかもある。娘のそのままを映像に残すという意味は良くわかるのである。しかし父親も男性で、そういう少女性のある娘を美しく思ったり、かわいいと思っていることに素直になりすぎている感じなのだ。よこしまな見方などせず、それこそが素晴らしいということなんだけれど、ちょっとどぎまぎしてしまう映像も、躊躇なく使われているという感じがした。大人になった娘が、お父さん、これ映しすぎだったんじゃない? って非難するときがあるんじゃないだろうか。
 まあ、もともとこのあたりの国の人は、女の人の裸に寛容という文化があるようである。街中のポスターがドカーンとセクシーであっても知らんふりで、芸術だとかファッションなら、エロでセクシーでも問題にしない。その癖に日本のコンビニなんかの雑誌がセクシーだったら文句を言ったりする(単に文化の違いなだけなのに)。夕方のドラマはまじめだが、9時以降は肌の露出が増えるともいう。子供が寝ているのだから(建前上)気にしないでいいということらしい。
 そういう性に関する寛容さの違いは大きいと思うが、これが父親が作家だから作られたという側面の方が大きいようで、第三者ならもう少し難しい解釈になったかもしれない。さすが個人主義の国のドキュメンタリーなのであろう。
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緊張のとり方が会得できるかも   自分を強くする 動じない力

2019-11-13 | 読書

自分を強くする 動じない力/荒谷卓著(三笠書房)

 副題なのか、「面白いくらい実力を発揮していく7つの法則」とも書いてあるし、実際に大きく七つの章を割いて説明してある。著者は武闘家でもあり、元自衛官でもあるそうだ。極度の緊張を強いられる訓練等に従事した経験上の話と、心構えや実際の体の使い方や計画性などについて解説されている。内容はそんなに堅苦しいものではなく、なおかつ訓示的な教条主義的なものでも無い。平易に書かれているうえに、それなりに実践的であるという実感の伴う内容だった。読むだけでいいわけではないだろうが、仕事の上で緊張を強いられる場面においても、すぐに使えるものなのではなかろうか。
 後半になって初めて自らの体験談が出てくるが、ある意味命がけで自分の意思を通してきたような自負のある人のようだ。もともと強い人ではあると見て取れるものの、そういう強さを活かす方法も、考えながら生きてこられたということなんだろう。腹を据えて構える所作などは、やはり武闘的な精神論が、様々な場面で有効であるということなのだろう。
 書かれていることで面白いのは、結果的に勝つということとか、成功するという目的にこだわっていないことかもしれない。この本を手にするだろう多く人の目的には、そのような強さのもとに、結果的に成功するとか、うまくいくことを念頭に置いている可能性が高いように思われる。しかし、そもそも、そういうことに囚われないことこそ、もっとも重要な心構えであることが分かるはずだ。そういうことの後に、成功などの成果が表れる、ということにつながっていくのだろう。
 そういう実践の人になれるかどうか、試しに読んでみてはどうだろうか。
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いくつになっても言動にはご注意を!

2019-11-12 | HORROR

 居酒屋で注文した次の品がなかなかやってこなかった。老舗なのかもしれないが、ご年配の客層で、さらに店の人たちもご高齢という感じだった。それはいいのだが、そのご高齢の仲居さんが、後ろ向きで立っておられたので「ちょっとおばちゃん、次がまだ来ないよ」と声をかけた。しかしこれが聞こえないのだろうか、ピクリとも動かない。仕方ないのでこちらの仲間が席を立ってカウンター越しに歩いて行って、何やら話をしに行った。まあ、伝わっただろう、ということで、引き続き飲んでいた。
 ということで次の料理がやってきたのだが、このおばちゃんがなんだかご立腹なのだ。「人に声をかけるのに、おばちゃんは失礼だ(という趣旨)」ということを述べられて、私達はすっかり恐縮致しました。見た目で言うと確かに淡谷のり子風の化粧で、かなりかためてきたな~、という感じである。若く見て70代後半。まあ普通に80代ではないかという雰囲気なのである。板前さんとのやり取りなどで、耳が遠いだろうことは間違いなさそうだし、もう一人いた仲居さんがフォローしていたが、店の重鎮らしいという(オーナーかもしれません)雰囲気はもっていらっしゃる。こちらの言うことはほとんど聞こえていないような様子なのに、「おばちゃん」だけは聞こえたということだろうか?
 まあしかし、失礼は失礼しました。レディというのは恐ろしいなあ、と改めて感じた次第でございました。
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味をしめたら抜け出せない   ある女流作家の罪と罰

2019-11-11 | 映画

ある女流作家の罪と罰/マリエル・ヘラー監督

 以前はそれなりに売れていたらしい伝記作家のリーだったが、落ち目になり酒におぼれがちで、生活も困窮している様子だ。そもそも筆も進まない、枯れた状態に陥っている。伝記作家だったので、取材対象の有名人との手紙のやり取りをしていたこともあり、キャサリン・ヘップバーンの手紙を(個人的な宝物にしていた様子)売ることにした。これが思わぬ高値でさばけ、一時しのぎになる。調べ物をしていた書籍に、その著者の誰かとのやり取りの手紙が挟まっていたのを偶然手にすることができ、さらに高値で売るために、古いタイプライターで文章を付け足して捏造して売ることを思いつく。そうやって成功体験を積むようになり、数々の捏造文を売りさばくようになるのだったが…。
 この主人公作家の自伝をもとにした実話の映画のようで、いわゆる犯罪の様子と実情をつづったものである。段々と怪しまれるようになっても、以前の友人を使って闇のバイヤーに捏造の手紙を売り続ける様を、ブラックなユーモアとともに描いている。そういうやり取りが、いわゆる映画的な演技合戦になっていて、批評家からは高い評価を受けた作品だったようだ。
 本人は伝記作家で、取材対象の人柄も熟知しており、いかにも本人が書きそうな内容を捏造することに才能を発揮できるのである。いわゆる文章で食っている作家だからこそ、その文才をいかんなく活かせる場ができたわけだ。それが悲喜劇を盛り上げる舞台設定になっていて、危うくもおぞましい犯罪に手を染めながら、抜け出すことが難しくなっていく。
 映画的な演出なのだろうが、生活が困窮しアルコールにおぼれながらも、ニューヨークのアパートはそれなりに豪勢だし、基本的な生活スタイルを変えることができない様子だ。確かにお金稼ぎになるとはいえ(400もの手紙を捏造したとされる)、これではいずれ破綻するのが見えている。怪しい仲間も、なんというか、何かぬけている。実話だからこの話がそれなりに売れたとも思われるが、そういうことが二重三重に詐欺的な事実なのではなかろうか。だから面白いということなのだろうが。
 そんなに盛り上がる物語ではないが、しかしこういう話は事実だから興味深いということは言えるのかもしれない。あちらの国では、伝記物は特に多いと聞く。いわゆるゴシップ的な楽しみがもともとあるようで、有名人になりさえすれば、いろいろとその周辺で稼げるものなのかもしれない。まあ、それは、日本でもそうかもしれないとは思うけれど、結局は、人間の好奇心というのは、そういうものが基本であるということなのであろう。
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多様で寛大なカレー文化

2019-11-10 | 

 日本のカレー文化を紹介している番組を見た。そこにインド人もゲストのようにしておられたのだが、一緒になって楽しんでいた。カレーといえばもともとはインドのものだろうけど、そういう点で気になることは無いのか? と聞かれていて、そうかもしれないが、カレーといっても欧州風があったり、近年は本格的なインドカレーがあったりもするが、基本的には日本のカレーはインドとは別のものでいいと思う、という意見だった(大意)。
 この懐の広さになんとなく感心してしまったわけだ。それというのも、欧州の食文化も日本にはたくさんあるが、例えばパンなどであれば、あちらの国の出身者の多くは、日本の偽物パンにはたいへんに批判的だ。まがい物である日本のパン文化に対して敵意を持っているという感じすらある。要するに自分たちの文化発祥のものは、伝わった国の文化に間違って伝わっていくようで、危機感を持つものらしい。
 これは日本の寿司などで考えると分かると思うが、カルフォルニア・ロールのようなものはかなり定着したかもしれないが、要するに日本の寿司職人から学ばずに、現地の人が勝手に寿司を握っているだけでも、日本人ならかなり違和感を持つのではないか。せっかく日本の寿司文化を味わってくれるのなら、出来るだけ正統にやってほしいと思うのではないか。まあ、そんなような感じと同じようなものだろう。
 しかしながら、日本でインドカレーといえばナンというのが定番だが、インド全土で考えると、あまり一般的なものではないらしい。サバなどの魚介類のカレーというのが結構多いらしく、まあ、なんでもカレー風味にして食うのでカレーなのかもしれないが、いわゆる日本の丼文化のような変形カレーとは、基本的に考え方が違うのだろう。多くの料理自体がカレーなので、そもそもいろいろあって、それでいいということか。懐が広いというより、もともと広がりのある文化的な食べ物なのかもしれない。
 もっともインドは、あまりに巨大で多様な国である。懐が深くなければ暮らしていけないのかもしれないですけどね。
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スタイリッシュ・アクション・スパイ・コメディ   コードネームUNCLE

2019-11-09 | 映画

コードネームUNCLE/ガイ・リッチー監督

 冷戦下、アメリカとロシアが何故か協力してスパイ活動を行うという、アクション・コメディ。ドイツの核兵器科学者の亡命先をめぐって、その娘を先に東ドイツから亡命させる。父親に接近させるためで、疑似恋人同士に扮して敵の組織に潜入していくのだったが…。
 スタイリッシュに行動するために、妙なギャグが多い。人が死んだり拷問が行われたりするが、基本的にはギャグである。時折リアルに決めるので、いわゆるかっこよく仕上がる。凸凹コンビも性格の違いが大きく、しかしなんとなく友情もあるという設定。何かのテレビドラマだったらしく、連作がきくアイディアと設定だろうと思う。
 冷戦下のスパイ活動なので、実際のところお互いは敵同士で、いくら相手を取り持つ英国の思惑があろうとも、難しいものではないかとは考えられる。ダブルスパイというのはいたらしいが、裏切りはたいへんに恐ろしい迫害を受けるだろうことから、非常に危ない橋である。まあ、そういう映画の方が多いということかもしれないが。
 ということで娯楽作なのである。これに乗れるかどうかで面白さを感じられるかどうかがかかっている。ある程度は乗り切れるものとは思われるが、恋愛がちょっと弱いのと、手癖が悪くて要領がよすぎる割に、こんな組織に属している不条理など、いくつか突っ込みたくなるのも人情である。もちろん、面白さに目をつぶったほうがいいのであるが。
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満足と感謝が幸福社会を作る

2019-11-08 | 境界線

 平均より長寿の人たちは、幸福度というものが平均より高い、という。ご高齢になると、様々な不自由があるにもかかわらず、生活の中の満足度が高く、さらに感謝の気持ちも持っておられるということのようだった。耳が遠くなるなどの不自由はあるとしても、おおむね健康で暮らせていることに満足し、様々なことに支えられていることに感謝している。毎日楽しくて仕方ないということも言われていた。
 このように人生に対する満足度が高い人が、実は平均の寿命を延ばしているのではないかという調査報告もあるらしい。人生満足度が高い人は、平均寿命が10年延びるのだそうだ。
 確かにご高齢の人でも愚痴っぽい人もいるし、何かと不満足ばかりの人もいるだろう(個人的な印象としては、そういう人は案外多いような気もするのだが)。そうでありながら長寿であるのならば、さらに伸ばせる寿命を消耗させているのではないか。
 寿命は、体の問題と事故などの運の問題などもあり、複雑な要素が絡み合った結果がもたらすものかもしれない。しかしながら、健康で長寿であるというのは、何より素晴らしいことのようにも思える。そのうえで長寿であること、生きておられることに満足度が高いというのは、人間としての最高の幸福なのではなかろうか。長寿社会が、そのような満足度の高い人々のものであるとしたら、それはある意味ですてたものではないのではなかろうか。
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猟奇殺人のつながりが見えると…   連続殺人鬼カエル男

2019-11-07 | 読書

連続殺人鬼カエル男/中山七里著(宝島社)

 マンションの13階に、フックにかけられた女性の腐敗した全裸死体が発見される。傍らには、子供が書いたような文章が残されていた。その後も第二第三と猟奇殺人が行われ、小さな町は大パニックに陥れられる。何のつながりも見いだせない連続猟奇殺人に、警察の捜査も犯人に絞り切れるものが見つからないのだった。
 猟奇殺人のホラー的な要素と、町が恐怖のためのパニックに陥った後の、警察への暴動スペクタクルへ発展する。映画で言えばB級ホラーめいた展開になりながら、執拗に残酷と暴力描写が続く。そうして最後には、大どんでん返しの仕掛けが爆裂するのである。人物のかかわりは重層的なものがあり、途中で犯人らしき人物は示唆されるものの、それらの伏線を伴っての最終までの展開は、まさに息をつかせない。ちょっとやりすぎではないかというような暴力が続くのだが、物語が壊れることは無い。ほとんどマゾ小説ではないかという感じはするけれど…。
 著者は音楽にも造詣が深いようで、これを読んだら、途中でピアノにまで関心が及ぶようになるのではないか。もっともこの人物描写の在り方から、最終的な音楽に対する印象は変わってしまうかもしれないが。
 娯楽作として非常にサービス精神にあふれていて、多くの読者は翻弄されながらも楽しんで読むことをやめることもできなくなるだろう。解説にもあるが、この作品と同時に「さよならドビュッシー」が「このミステリーがすごい!」の最終選考に残ったという。そうして大賞は「ドビュッシー」が受賞するが、今作品も期待が大きく、刊行されるに至った。実は「ドビュッシー」は読んだことがあって、そんなに感心しなかったのだが、こちらの方は結構楽しめたので、相性があるのだろう。
 著者は登場人物に自分の意見を反映させるような科白を多く吐かせていて、そういうのが多少鼻につくようなところはあるが、まあ、そういうのが物語に対する背景にある社会批判の精神なのかもしれない。確かに刑法39条についても、否応なく考えさせられることになるだろう。それが大きな伏線でもあるわけだが…。
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年を取らない若者の子育て物語   さよならの朝に約束の花を飾ろう

2019-11-06 | 映画

さよならの朝に約束の花を飾ろう/岡田磨里(磨の字は別の字体)監督

 見た目は十代のまま何百年かの寿命のある種族は、機織りの特技があり、他の部族とは交わらず山村で暮らしている。ところがこの長寿の血を交えることを目的とする王族が襲撃してきて、部族は散り散りになってしまう。その中の一人は偶然人間の子供を拾ってしまい、そのまま育てることになる。
 子供は成長するにつれ、見た目は自分と同じ世代、または年下のような母に戸惑うようになり、母は本当の自分の子供ではない子の成長に苦しみながら育てていく。生きていくためには働かなくてはならないし、特殊な種族である宿命で表面的には隠れていなくてはならない。二人の運命はどうなっていくのだろうか。
 設定はSF的だが、本当に子育てに特化したドラマ展開である。アニメーション的な神話の動きのある場面も多いが、しかしアクションを主体とした話ではない。恋愛もあるが、これも中心ではない。妙な設定で苦労するが、しかし子育ての苦労はそうでない場合と、そう違いはないのではないか。そういう意味では、あんがい普遍的なテーマなのかもしれない。
 悪い話ではないのだが、後半はちょっと強引なお涙頂戴にはなる。悲しいのは確かだが、仕方ないような気もする。僕のような冷たい人間向きのお話ではなかったかもしれない。
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人が大きく踏み外すとき   検察側の罪人

2019-11-05 | 映画

検察側の罪人/原田眞人監督

 検察内部のドラマ。金貸しの老夫婦の殺人事件の被疑者に、過去に未解決のまま時効を迎えた事件でも疑わしかった松倉という男が浮かび上がる。その過去の事件とかかわりのありそうな上司である最上は、執拗にこの男を追い込もうとする。部下の沖野は、先輩の最上を慕いながらも、その捜査方針に疑問を募らせていくのだった…。
 キムタクと二宮という二人に、注目の集まった作品のようだ。正直な感想から言うと、二宮の勝ちという感じだが、両方のファンもそれなりに楽しめる演技合戦ではなかろうか。キムタクは、これまでのかっこいいだけの役ではなく、かなりダークな側面を持つ人物だったたけに、それなりに難しいとも言えたし、二宮はオーバーアクト気味だったけど、やっぱり上手いな、という貫禄があった。ちょっと複雑すぎるプロットだったたけに、内容よりこの二人を観るということで、満足感は違うかもしれない。
 展開は重層的で、なおかつ冤罪がなぜ起こるのかという重要な背景もよくわかる。こういう組織に私情が挟まると、ものすごく恐ろしいことになることが見て取れる。さらにどんどん皮肉な展開になっていき、最終的には大きく踏み外す人間の心情が見事に描かれている。
 ネタバレの要素があるので言えないが、闇組織の動きがやや漫画的な印象があった。リアルなドラマなのに、ちょっと超人的な仕組みではなかろうか。ちょっとネットでググってみると、小説とは結末が違うらしい。まあ、そうだろうなと思うが、映画的なカタルシスの為に、監督がそういう物語に変更したのだろう。
 そういう意味では、妙な後味を残す映画ではある。これでいいという話では無いが、政治的な意見は、この映画には必要ないと思う。悪い奴だから死んでもいいという話でもないはずだ。そういう心情は分からないではないが、正義ほどたちの悪い思い込みは無い。二宮演じる愚直な正直さの葛藤の在り方で、何とか物語は持ちこたえる。そういう危ういバランス感で成り立った、なかなかに面白い映画であった。
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チキン南蛮にするか、うどんにするか

2019-11-04 | 散歩
 やっぱり朝からシャワー浴びて飯であります。

 

 結局昨日と同じようなの食べてますね。

 そして散歩。


 昨夜はあの裏あたりで飲んだんだな。


 宮崎は平面が多いのか、それなりに自転車多いですよね。長崎には無い風景かな。まあ、長崎の方が特殊かもしれませんね。どこ行っても朝の自転車は、多いのが普通でしょうか。


 駅の方に曲がってみるか。


 実は歩いてて先ほどチラ見してたんだけど、ちょっと路地の方に入ると、名店おぐらがあるんですよ。


 今回はチキンを食えない人が居るそうで、断念するだろうな、ということで、観るだけです。まあ、この時間開いてもいませんけどね。 店の面構えだけでもいい雰囲気です。


 そのまま路地伝いに歩くと、


 それなりに雰囲気持ってる店はありました。しっかし、これも貫禄といいますか、年季入ってますね。


 大通りと並行して四季通りという古い感じの通りでした。


 アーケードともクロスします。


 ジョンレノンもいました。


 役場の分館みたいなのがあって、


 県庁に戻ってきました。昨夜はありがとう。


 立派なアコウ。イチジクの仲間だそうです。ガジュマルに似てます。


 並木も雰囲気あります。


 ということで、朝の散歩終了。

 研修会は講演頂戴して、なかなか厳しい意見も聞いて、すごいなあ~と感動しました。ほんと凄い人と取り組みというのはありますね。世の中信念のようなことでやっている人が、変革をもたらすんだろうな、と改めて考えさせられました。僕も頑張ります。

 そういうわけで半日過ごすと飯の問題に戻ります。買い物もしたいという声もあり、車で移動しました。


 まずは腹ごしらえで、うどんにしようということでスマホで検索した店を探しました。


 で、みっけ。


 写真だと黒いスープのふつうのうどんも魅力的でしたが、他の人も食っていたにおいの魅力に負けて、トマトチーズカレーうどん食べました。


 ものすごくアツアツ。汗びっしょりになったよ。


 ということで、写真撮り忘れたけど、山形屋で買い物して帰りました。5階で北海道物産展やってまして、他にも旨そうなものたくさん見てきました。腹が減ってたら買ってましたね。観るだけでも、楽しかったな。

 それではグッバイ宮崎。運転の人もありがとうございました。



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やっちまったラーメン

2019-11-03 | 散歩
 さてさて、研修日初日であります。ちょい二日酔いでけだるいけど、がんばるぞ。



 ということで研修が始まりました。お勉強なので写真もなく地味ですが、とりあえず眠くないぞ。
 
 午前中終わってお弁当。これはお仲間の皆さんが作ったお弁当。要するに物語があって美味しいのです。感謝。



 食後散歩してたら、ホテル裏の名店重ノ井が何となく新しくなってました。金曜定休なので、明日は食べられないのです。要するに今回は縁がありません。以前もそういう関係で疎遠が続く仲ですが、名店なのでいいでしょう。


 午後もお勉強して、なるほどなあ、という感じ。世の中には偉い人がいるもんだ。というか、頑張っている人がいるんですね。いろいろあるというのは分かります。誰だって、そう簡単に真理には近づけません。結局は経験の裏付けがあって、気づく瞬間に巡り合えるのではないでしょうか。
 なんてこと言いながら、揺らぎはありますよね。生きている限り。真理なんて自分に言い聞かせているに過ぎないとも思います。いや、先生方のことを言っているのではないのです。僕自身に言っているのです。それではだめだという声があってなお、揺らぐのが人間なのではないでしょうか。

 さあ、懇親会ですよ!


 疲れたんで、激しく飲まなければ!


 実は近年、参加券と懇親会の券は連動することが多く、逃げられないのです。
 でもまあ、運営のことを考えると仕方ないことで、こういうことをすることで、会場費のディスカウントをしたりしているはずなんですね。運営上ホテルを使わざるを得ないけど、ホテル側も逃げられては困るんですよね。自由裁量は怖いのであります。


 さて、二次会に繰り出しましょう。しかしタクシーには長蛇の列(あたりまえだ)。そんなに距離は無かろう、ということで歩いていきました。
 しか~し、途中でトイレに行きたい人続出。宮崎県庁にお邪魔しました。守衛さんにトイレ借りていいですか? と恐る恐る尋ねると、どうぞどうぞとフレンドリーな対応でした。しかぶらんで助かりました。ありがとう。

 ということで、宮崎の夜はニシタチへ。


 腹いっぱいだし、スナックなかかな~、ということだったけど、勇気が足りなくて店を決められません。そういう中で地下の方にフォークビレッジって店名を発見。なんとなくよさそうじゃ? ってんで入ると、カーボーイハットの店主さんが歌を歌ってくれる店でした。なかなか盛り上がってよかったですよ。お客さんからも愛されている店って感じで、皆さんフレンドリーでした。またこんばですね。


 さあ、帰るのか? って思ったんですが、甘かった。
 誰かがラーメン行こうって言うんですよ。そしてみんな、おー、って言うんですよ。
 まあ、ついて行ったんですけどね。


 道行く人のお勧めで入ったんですが、ここでもビールジャンジャン飲みました。近年は宮崎は辛麺ってことになってるようですが、ここは実にオーソドックスなお店でした。また道行く人の誰かの話だと、宮崎の〆はうどんもいいよ、という話でした。夜中に開いてるうどんの名店が複数あるそうです。なるほどね~。
 というわけで、やっちまったラーメン。おいしゅうございました。


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まずは5時間の旅

2019-11-02 | 散歩
 今回はハードに働いた後の夕方出張でした。


 いろいろあってですね。今回はもともとパスする予定だったんだけど、やはり浮世の義理はかくことはできません。仲間たちは午前中から移動日に充てているけど、僕はそういうわけにもいかず、このような強行軍となったのです。

 ということで、夕方発のバスは夜の闇を走ります。


 実は道中五時間あるんです。遠いのです。
 ということで、車中の腹ごしらえでおにぎり作ってもらってました。ありがとう。


 せっかくだから本は読むんですがね。薄暗い照明と、ゆれかげんでしょうか、なかなか読み進められない感じでした。本にもよるんでしょうけど、苦戦しながらミリ単位の戦いを強いられている道中読書でした。まあ、そういうことはあります。


 そうこうして、やっと着いたのは宮崎。チェックインして仲間と合流したのは、22時はとうに回った時間でした。遅いので遠慮申し上げてはいたんですが、いや、まだ飲んでるよ、ということでした。まあ、テンションが違うので申し上げていたわけで、一人で飲んでもよかったのになあ、などと消極的な感じで飲み始めたのでした。


 でもですね、これが案外楽しいことになってまいりまして。というのも、河岸を変えた居酒屋さんのお姉さん(僕と同年代)のノリもよかったのか、それなりにガンガン飲んで盛り上がったのです。遅れてきたけれど、何とか追いついた、という感じでしょうか。


 考えてみると、比較的時間的に短い付き合いの仲間だし、さらに僕も飛ばそうという意識があったのか、まあ、飛ばしていたし、一気の燃え上がる感覚はあったかもしれません。改めて、なるほどなあ、という話も飛び出して、楽しかったのです。


 若者たちは、さらに部屋飲みしたそうですが、僕は12時も過ぎていたし帰りました。疲れもあったのか、よく眠れて、しかし短時間で一気に飲んだので、夜中二度もトイレに起きながら、ぐっすりいたしました。さすがに疲れていたんで、いい休養になりました。

 ということで、朝からシャワー浴びて朝飯です。


 考えてみると、宮崎は結構来てるんですよ。朝の散歩も、普通に覚えのある道を歩いているという感じがあるんですよね。


 会場までもわかるけど、一応確認という歩き方。時間さえ稼いで歩けたらいいということでしょうか。


 考えてみるとですね、僕がこういう仕事をやりだして、さらに役のようなものをいただいて、同じような仕事としては、今回の大会は3度目かもしれません。いや、4度目かも。ほかの種別もあるので来た回数とは異なるのですが、ほとんど僕は重鎮のような感じになってます。いくらご年配の先輩であっても、僕以上に経験のある人のほうが少ないのであります。僕は新人といわれながら既に30年くらいの時間過ごしているわけで、それでもまだなお若手であることのほうが、業界としては問題なのではないか、とも思います。


 まあですね、僕が言いたいのは、もう引退させてもらえないかな、ということですかね。だんだんと同世代の経営者が増えてきましたが、実際はそういう感じでキャリアを始める時期であるだけのことで、僕とはもう異質な出来事なのです。今のほうがやりやすいですが、だからと言ってやりたいわけではありませんので。


 てなことを考えながら、朝の散歩をしていたのであります。
 宮崎の町は、思索にはいいところだと思いますね。同じ九州でも暖かいし(はっきり言って暑い)、ちょっと緩むところもあるのかもしれませんね。


 そういうわけで、研修会開催です。頑張るぞ。



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まあ、しょうがない作品   僕達急行 A列車で行こう

2019-11-01 | 映画

僕達急行 A列車で行こう/森田芳光監督

 鉄道好きの青年が、友情を深めながら、恋愛はあんまりうまくいかないながらも、その鉄道好きな生活を送りながら仕事をして、楽しい生活を送っている様子を描いた作品。森田監督の遺作となったもので、そういう興味で観た。松山ケンイチ、瑛太など出演者は豪華だが、何しろ地味な作品で、話題の割にはコケたようだ。観てみて、これは仕方ないな、という感じもあって残念だったが、まあ、観たという記念にはなる。ストーリーが詰まらなくても、ロケが九州各地にわたっていて、地元感があっていいというのもある。ピエール瀧がある意味で重要な役を演じていて、そういうのも楽しいかもしれない。
 いわゆる鉄道好きではないけれど、鉄道好きというのがどういう人種なのかも理解できるかもしれない。俳優たちはいわゆるイケメンなのでちぐはぐな感じがするんだけれど、オタク的にはもっとモテない方が自然だろう。そうしてそれは、もちろん仕方がない問題である。仕事だって結果的には上手くいくが、実際はこんなことはまれだろう。そうすると映画は成立しなくなるので、フィクションとしてはこういう作品になってしまうのだろう。残念だけど、もうこれは限りなくしょうがないのであった。遺作だからといって名作になるとも限らないわけで、森田監督も天国で頭を掻いていることだろう。
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