カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

人を欺く、そうして人を裁く   アイヒマンを追え! ナチスが最も畏れた男

2018-10-03 | 映画

アイヒマンを追え! ナチスが最も畏れた男/ラーウ・クラウメ監督

 戦後復興の最中であるドイツで、ナチの残党が政府の要職についている状況があり、ナチスの罪を洗い出そうとしている検事(ユダヤ人)に対して、妨害の多い状況が続いている。そういう中、匿名でナチの大物であるアイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているという情報が入る。国外に逃げている戦犯については、ドイツの警察機関は管轄外として相手にしてくれない。そこでイスラエルの諜報機関・モサドに情報を流すが、これがやり方によっては国家反逆罪に問われる可能性がある。さらにもっと信憑性のある情報が無ければ、実質捕らえることが出来ないと言われる。策を練りこのチャンスを活かそうと奔走する中、部下である検事がある事件との関連により、当時反逆罪とされた同性愛のパートナーと付き合うようになってしまうのだった。奥さんとは子供が出来たばかりだし、社会的な地位もあるし、さらにこの捜査の行方とも大きく関係してしまう。いったいこの状況は打破することが出来るだろうか。
 検事長のフリッツも同性愛者であることが示唆されている。ユダヤ人だったために戦後になって復帰して偉くなった人らしい。そのために微妙に差別を受けているような空気がるし、仲間たちの信頼はあるものの、外には敵だらけという状況下(脅迫も受けている)、煙草や葉巻をひっきりなしにすって煙をまき散らし、人々からまさに煙たがられる仕事をまっしぐらにやり通そうとするのである。
 確かに難しい問題ばかり残っているし、緊張感も続いている。復讐心だろうと思われる情熱もあるが、ドイツという未来のためには、どうしてもそのような膿を出し切ることが必要だという信念が強いのである。既に現在、政府の要職に復帰しているナチスの残党たちがいる。大企業にもナチはいる。微妙なバランスの下、戦後復興はひずみを抱えながらなされているという事なのだろう。
 先に戦後ナチスを巡る裁判の映画も観ていたわけだが、このような視点でもナチスを裁くという試みがなされた背景を観ることが出来る。日本にも裁かれなかった戦犯はいるし、その後活躍して有名な人だっている。企業においてもしかりであろう。ドイツがいいとか日本が悪いとかいう話では分かりにくくなるが、強烈にその立場として働く情熱をもった人間がいたという事が、まさにドラマなのである。それにしてもいろんな裏切りの罠があるものである。人は付け狙われると、どんなことに振り回されるか分かったものでは無い。時代の中で個人が生きるという事の困難が、奇しくも描かれた作品なのであった。
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南北会談と脱北者

2018-10-02 | 時事

 北と南の融和ムードが盛り上がる中、何かとり残されたような苦悩の人々をレポートしている番組を見た。その人たちというのは、他ならぬ北からの脱北者たちである。
 韓国に渡った脱北者の多くは、ある程度の助成を受けながら、南での生活を送っている。中には既に南でもそれなりに活躍している人もいて、いわゆる有名人になって発言力の強くなっているような人もいるようだ。韓国国内の世論においては、当初は当然同情的に保護をするような時期があったようだけれど、現実に南北のトップが会談し、お互いの未来を語り合うような事が映像で何度も流れるようになった。大部分は歓迎ムードであって、負の歴史に苦しめられてきた、もともと一つの分断した国の民として、悲願の統一の足掛かりとして、これほど慶賀に値する動きはないのかもしれない。
 ところが脱北者の多くは、南北統一そのものを夢見ない訳では無いにせよ。北の情勢下で長く暮らしてきた体験があり、どうしても金体制の軟化を心から信じきることが出来ないでいた。この会談というものの本質は、単に金体制の維持に過ぎないのではないか。どうしてもそのような考えを捨てられない。ひどく言えば、この会談そのものが茶番のように感じられて仕方がない。もっと本質深く議論して、信用できるまでの約束を実行するまで、安易に信じられるものでは無いのではないか。
 しかしながら脱北者のこのような思いは、韓国人の目からは非常に厳しい批判の元になっている。せっかくのムードをぶち壊すものだし、あえて妨害しているに過ぎないのではないか。まだまだ韓国の庇護を受けながら生活しているにもかかわらず、我がまま放題にしているのではないか、などと心無い誹謗中傷を受けたりする。身の危険を感じるほどに攻撃的なヘイトスピーチを受けることもある。
 現在進行形の話で、この事の答えめいたものは、まだまだ先を見極める必要があるとは思う。金正恩体制とは何か、という事も、本当に分かっている人は少ない。このように対話に踏み切った理由は、北朝鮮にも十分なメリットがあるという計算があることは間違いない。しかし南北が統一された後に、この北の体制と南の体制がどのような仕組みで機能できるというのか。今のところこのことの説明をしてくれる人を、聞いたことが無い。おそらく正確に予測できる人も、まだいないのではないか。融和モードとして会談に意味が無いとは言わないが、確かに脱北者の懸念通りに、簡単な実効策などまだ何もないのではないのか。
 つまるところ脱北者の懸念に答えるものが見つからない限り、この話の本当の進展は無いのかもしれない。そこまで話が進むのか、ポーズだけで終わるのか。見極めにはもう少し時間がかかるのだろう。
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人と付き合えないけどセックスはしてしまう   恥辱

2018-10-01 | 読書

恥辱/J・M・クッツェー著(早川書房)

 大学教授の男は二度の離婚歴があり、性的欲求は主に娼婦で済ませている。ある時自分の授業を受けている美しい学生に声をかけ、食事をし、関係を持ってしまう。その後も何度が関係を持つが、その子は、試験や講義は休みがちになっていく。そういうときに、その子と付き合っていると思しき不良の青年に絡まれ、本人に会えないまま告発という形になる。不適正な関係もあるが、欠席していた試験の結果を勝手に改ざんしていたりした。委員会に掛けられ処分を検討されるが、本人は機嫌悪くその場はすべて嫌疑を一方的に認め辞職してしまう。
 最初の妻に一粒種の娘がいる。離れた場所で農園を営んでいる。何もかも失っていることだし、しばらくヨハネスブルクを離れる。娘はそのような自然の中で暮らすことを楽しんでいる様子だし、いわゆるこの生活に馴染んでいる。自分には無い娘の姿。どうもレズらしい。自分なりにこの生活に慣れようともするが、やはりアフリカの風習など、自分にはとても馴染めない思いがある。そういう中、襲撃されるという事件が起こる。
 この男は、知的には高いものがありながら、何か人間的な感性に掛けているようなところがある。最初に娼婦と馴染みになるが、彼女が組織をやめてしまうと、自宅を調べて電話を掛ける。相手は考えたようすで知らないという。もう電話しないよう求めます、と言われる。農場で見た目には気にいらないまでも関係を持つ女性もいる。まちに戻って酔っている若い女とも関係する。特に欲望が強いという風でもないが、出来てしまうならやってしまうという感じもあるかもしれない。そういうのは特に出来るようなものでもないと思うんだけど、文学作品なので可能なのかもしれない。村上春樹だってそうだし。
 特に罪悪感は何もない。しかし辞職の元となった女学生の家族に会いにゆき、共に夕食をとる。形だけの自分としては模範的な謝罪も一応するが、付き合えない奴らだ思っている風だ。何かとても不思議な感じで、特に気分が良くなるようなことも無いが、面白いのである。こんなに奈落の底に落ちて不機嫌で、しかし自分は何にも悪くなんかない。何か諸悪の根源と戦っている感じではあるのだが、その何かなんて漠然としてよく分からない。
 何か観念的なものがあるのかもしれないが、僕には教養が無いので分からない。一言で馬鹿な男ともいえないところもあるし、南アフリカの事情があるのかもしれない。主人公は奇しくも僕と同世代のようだけれど、特に共感できる人間でもない。でもまあ、自分のまいた種で災難にあって、ひどい思いばかりしてしまう。身につまされるというか、それでもある意味で強い。もっとも周りの女たちの方が、明らかにずっと強いのであるけれど。
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