カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

移動の自由は、誰にでもあるものだろうか

2017-12-16 | 境界線

 日本人は、基本的にどこにでも移動できることが当たり前であるという感覚があると思う。ただし言葉の壁があって、そう簡単に外国に移住しようとは考えないだけのことである。しかし過去には多くの日本人が、仕事を求めて国外に移住した例はある。中には自ら望んで北朝鮮に行った人たちだっている。その場合は、騙された、という事にはなろうが。しかしながら純粋に新天地を求めて、ハワイや南米、東南アジアに旅立つ人々は居た。そうして日系人として、いまだに現地で二世三世にわたって暮らしを続けている人達がいるのである。
 そうではあるが、ヨーロッパの移民問題などを見ても、現代の日本人には、まったくの共感や関心も薄いのではないだろうか。過去との隔たりもあることだし、その意味さえもよく分からない。もちろん僕だってよく分かっているとは言えない。新聞などでの情報以外のことを知っている訳では無い。
 更に基本的には、宗教的な問題ともとらえている人は多いのではないか。内戦など国内情勢が不安定で、難民として脱出する人だって多いことだろう。しかしながらその中に混ざって、経済的に出国を果たす人々も、大変な数にのぼると考えられる。民族紛争や政治的な難民であれば、道義的にヨーロッパの国々の人たちは、基本的には当然のこととして受け入れている。問題視している一番は、恐らく経済的な移民の方で、さらにその数の多さという事があると思われる。保護や職を求めて、新天地で暮らしたい。そうした思いに応えるだけの許容を越えた数が、本来の難民の枠を超えてやってくる。そのことに対する不寛容が(ある種の感情のもつれが)、問題を複雑化させている。難民で無い正規の移動であれば(それが可能であるのかは国によっては違うだろうとはいえ)、問題視する人は多数ではあるまい。
 さらにヨーロッパ人の声の中に、自国のことは自国民で立て直すのがスジではないか、というものがある。ヨーロッパの多くの国だって、過去には戦争で疲弊し、困窮を極めた歴史を抱えている。しかしその先祖は、難民として国外に逃れたのか。それは現代の目線が混じってのものであるが、ひとつの言い分ではあろう。もちろん難民が生まれている国々の多くに、西側の介入があって複雑化している問題もあるのだが…。
 やはり距離のある国々の問題として、遠い感覚はあるだろう。しかしながら東アジアは、やはりそんなに移動が元々自由では無くて、そして日本は島国である。ちょっとしたきっかけで、日本に難民が押し寄せるという要素は、まったく無いとは言えない。いや、バランス感覚として、その均衡があんがい簡単に破られる日が無いとは言えないだろう。
 移動の自由が無いというのは、想像もできないくらい不自由なことなのかもしれない。自国で立て直すことが可能であれば、彼らだって移動は必要で無いはずなのだ。さらに自由な国で生まれたならば、身勝手に移動したってそもそも咎められたりしない。生まれた国によって差別を受けても仕方がないとされるのが、ヨーロッパの苦悩の大きな問題なのではなかろうか。
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いろいろ外してはいる感じ   私のハワイの歩き方

2017-12-15 | 映画

私のハワイの歩き方/前田弘二監督

 雑誌編集者の主人公は、友人がハワイで挙式を上げることになってその二次会を仕切ることになる。ついでに出版社でハワイの本を出そうという企画も通して、仕事と遊びを満喫するためにハワイに向かう。そこで出会った現地で奮闘する日本人との交流(外国人わずか)と恋愛を描いた作品。よく分からなかったが、たぶんコメディ。
 まあなんというか、ハワイ・ロケをした作品というか、それだけの気もする。でもそれでハワイ・ガイドになるかと言えば、それも疑問。いろいろと簡単に男女関係を持ってしまう自信のない女が、それなりに自分の意思でひとを選ぶことが出来るようになったという話なのかもしれない。人は見た目や地位や、その他もろもろの他人から羨ましがられる要素で恋愛をすべきではない、というお話なのかもしれない。もっともそういう価値観が前提になって憧れを理解できなければ、そういう部分も恐らく理解できないという事ではあるんだけれど。
 皮肉って書いてみたが、そんなことはこの演出ではなかなか分かりづらいかもしれない。また、そんなことを言われたところで、人は好きになった人に好きなように恋愛をすればよろしい。時には間違ったと思うかもしれないけれど、まあ、そういうものだから仕方がないでしょう。それで一生を棒に振るような人がいるとしたらお気の毒だけど、そういう人生でもそれなりにその人なりに満喫することを考えた方が建設的である。
 なんかよく分からんが、外国人も大変に薄っぺらい。日本人から見た外国人というのもなんとなくわかる感じもするので、そういうのは勉強になりました。僕にとっては、こんな外国人観はちょっと初めてだったかもしれない。彼らだってたぶんものごとは考えているはずで、捉えようによってはそれなりに失礼な感じもする。でもまあ、外国人だって日本人のことはこれくらいは分かっていないのかもしれないので、そういう比較を表している映画なのかもしれません。違うだろうけど。
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娘がいたらどうなるか

2017-12-14 | HORROR

 娘がいたらどうだったかな、と思うことがある。結果としていないのだから考えても仕方ないことだが、もしもという話で、ふと思うということだ。いて欲しかったとかそういうことはあまり考えない。そんなことは僕には分らない。
 小さいころは可愛くて楽しかったかもしれないとは思う。将来お父さんのお嫁さんになりたい、などと言われたら、死んでしまうかもしれない。そういう気分というのはあるかもしれない。将来娘がお婿さんを連れてきて、会わないとか駄々をこねるとか、なかなか楽しそうにも思う。
 しかしである。実は娘がいなくて良かったと思うことの方が多い。娘が年頃になって、お父さん臭い、などと言われるに決まっていると思う。あっち行けとか、妻と一緒になって僕を非難するに違いないと思うのだ。音を立てて食べるなとか、行儀よくしろとか、ひとの話をちゃんと聞けとか、とにかくいろいろ言われたのではないか。そういう日々が続いて、心が折れそうになったのではないか。
 とにかく僕には娘がいない。そうしてそれなりに平穏な日々を送ることが許されている。そういうのって、しあわせのうちに入るのだろうか。
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高速バスで行くようになったが

2017-12-13 | 掲示板

 以前なら福岡で会議というと、自分で車の運転をして行っていた。博多ならよっぽど混まない限り1時間と少しくらいで着く。懇親会があったとしても、翌日ホテルから運転して帰るのに何も問題は無い。むしろ早く帰るなら、そのほうが都合はいいだろう。
 しかし最近は、すっかり高速バスを利用している。ネットで予約も簡単だし、携帯でもOK。支払いもクレジットカードで煩わしくない。以前に車中でトイレ休憩時に往復券を買ったこともあったが、値段はそれと変わらないのではないか。
 高速バスだと停車する箇所が増えるので、時間がかかる。だいたい2時間30分あまり。混むとそれ以上というのが数回あるようだ。車中に化粧室があるが、トイレ休憩も一回ある。
 では、バスの方が不便ではないか。時間もかかりすぎるし。
 それがやはりそうではない。運転すると激しく疲れるということは無いが、やはりそれなりに緊張感がある。いつでも休憩できる気安さもあるし、運転する楽しさというのはある。でももうそんなに飛ばして楽しいという感覚は無い。音楽を聞きながらというのは魅力ではあるが、それなら別に方法はあるだろう。やはり年を取ったというのが一番あるようで、バスのシートに座っていた方が、やっぱり楽なのである。さらに本だって読める。
 また高速料金とガソリン代の問題がある。高速バスなら往復4110円。駐車料金もかからない。自家用車だと往復7200円。ガソリン代がたぶん2600円程度消費するのではないか。駐車料金もさらに別途かかる。自分の労力も考えると、なんとなく馬鹿らしく思いませんか?
 確かに時間の制約もあるし、多少のめんどくささもある。福岡なんてごく近いのだから、高速バスなんて大げさのような気もする(若いころには、少なくともそう思っていた)。でも今ではバスの方が当たり前。別に車で行ってもかまわないけど、よっぽど時間に余裕のないときに限るという感じだ。さらに荷物が多いとか特殊な事情が無い限り、もう食指は動かされない。
 汽車で行くという方法もあるけど、諫早まで行くのがめんどくさい。新幹線が通ると、少しは事情が変わるかもしれないけど、博多熊本間が5000円程度という事を考えると、料金的にはやはりバスに優位性はありそう。しかし時間は新幹線だと30分から40分くらいか。博多で飲んでも宿泊代を考えると優位性は変わりそう。さて、実際はどうなるか。新幹線強そうだな。
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福岡も長崎も寒いです

2017-12-12 | 散歩
 帰りのバスまではまだ時間がある。





 何か境内にオブジェがあった。



 そういえば朝のテレビでも何かやってたやつのようだ。よく見てなかったけどアートの企画なんでしょうね。





 もともとあるお地蔵さんも、なんとなくアートです。









 いつもバスで通るところに出ました。



 地下に潜ってバスセンター目指す。



 実は少し早い便に変更しようと思ったのだけど、早い便は我が地元には停まらないらしい。



 仕方ないんで駅をブラブラ。



 なんかイベントやってるんでしょう。



 で、予約のバスで帰りました。





 大村帰って来ても寒いんで、地元でうどん食べました。昨日の蕎麦がイマイチだったのでちょうどよかったです。海老天で440円。この設定はちょっとどうかしてるよな。
 






  僕ははグルメじゃないんで、あんまり美味しいもの食べたいとは思わないんだけど、何でもそれなりに美味しいというのはありがたいと思います。たまーにものすごく不味いな、というようなものを食べても、その経験はそれなりに楽しいです。それに旨い不味いって、それなりに自分の責任もあるような感じもしますしね。いつもハングリーに生きていくのも嫌ですけど、後残り少なくなった一生、あんまりひどい目にあいたくないものであります。



 ただいま。


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九州の会議は博多(という声があって)、長崎事務局なんだけどね。

2017-12-11 | 散歩
 今回はバスで博多入り。



 時刻はもうすぐ2時。さっさと済ませよう。
 で、バスセンターにあった「牧のうどん」。増えるうどん屋として著名だが、固めんを注文すると比較的増えない。うどんがふやけて増えるように見るのだが、うどんのヌメリ取りと締めの工程を省いているため。却ってそれが名物として評判になっているのだから、変なものである。
 この日はなんとなく蕎麦を注文。



 もう、アツアツ。小さい薬缶でスープがついている。蕎麦もふやけるのである。
 でもここはやっぱりうどんの店ですね。それもやっぱりちょっと田舎くさい労働者階級の人達で無いとしっくりこない。まあ僕の偏見だけど、頑張ってください。

 いったん地上へ。しかしまだ会議までの時間はたっぷり。散歩しよ。





 某アイドルグループのコンサートがあるとかで、近くのホテル取れなかったのです。



 比較的駅そばとはいえ、けっこうありますね。







 風もあるし寒いですね~。


 
 ボロいアパートもあって、人も住んでいる様子だ。



 会場近くに戻ってきました。



 会議終えて、懇親会して、中洲移動して二次会行って、三次会でもう少し飲んでお開き。まだ電車走ってたので地下鉄で戻ってきた。



 ホテルのある寂しい方へ。







 寝るだけなんで、何の問題も無いけど、高層アパートを改造してビジネスホテルにしたようなところでした。たまにはいい経験です。

 朝飯もついてるし、なんとなくアメリカンでした。



 いつものように食後の散歩。ものすごく寒い。







 なんとなく雪がまざったような冷たい小さい雨も降って来ました。もう帰ろう。





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熊本城、やっぱり大変だよ

2017-12-10 | 散歩
 研修済んで、熊本城、城彩園って所で食事。タイピーエン頂きました。





 観光客もたくさん。僕はここ、震災前にも来た覚えがあるんです。





 で、お城の方にも上って見てみることにしました。

 坂道登って最初に奉行丸。



 少し先を見ると、石垣崩れてます。





 報道では見たことはあるけど、やはりひどいものです。





 もう先にも進めません。



 復興も簡単じゃないですよ。



 本丸御殿あたりもクレーン入って作業されてるんでしょうね。





 ほんと広範囲で崩れてて、大変です。



 もう何とか持ちこたえてるだけというか。







 加藤神社あたりから、天守閣を。





 資材も運び込まれているようです。





 あと何年くらいかかるんでしょうね。





 神社にも、復興祈願してきました。





 改めておみやげ買って帰りました。


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白川のそば、風邪はつづく

2017-12-09 | 散歩
 今回は熊本向かいます。



 でね、ついてご飯は食べたんです。





 それから一件目、熱心に見学しすぎて、写真一枚も無しなんですよ。
 まあ、いつも肝心の仕事の写真を撮ってる場合は少ないんですけどね。一日の大半は、だからそういう具合に空白っていうものなのですよ。

 ホテルについて、懇親会会場まで移動します。



 バイトの子が6時にしか来ないので、早く来ないでください、と言われてたんだけど、ちゃんと道に迷っていい時間になりました。



 そんでもって二次会いって、ダウンした人もいていろいろ大変だったけど、夜は更けたのでした。










 実は僕はずっと体調悪くて、目が覚めても、まあ、いつものように具合悪い。でも飯は食わなくちゃね。



 昨夜飲んでたあたりは、朝散歩すると別の感覚があっていいんですよね。寒いですけど。









 このトンネルと抜けると、宿泊先のホテルなんです。










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海の岩場の三角関係

2017-12-08 | Science & nature

 伊勢エビはその硬い殻で身を防衛している。またトゲトゲのある触角などでも身を守っている。一部の魚(カワハギの仲間など)を除いて、魚たちはこの防衛に文字通り歯が立たない。
 しかしながらこの硬い殻をものともしない天敵がいる。マダコである。マダコはこの硬い殻を砕くことが出来る口の機能がある。また伊勢海老のトゲトゲをものともしない吸盤で、動きを封じ込めるだけでなく、口からだす毒で体を痺れさせ食べてしまう。
 マダコは、伊勢海老が身を隠す岩場の陰にもぐり込んで襲うこともある。ところがこの岩場には、海のギャングとも言われるウツボも多く生息している。ウツボはマダコを大好物にしていて、足に咬みつくとぐるぐる体を回転させて引きちぎってしまう。マダコはやはり好物である伊勢海老を狙うが、伊勢海老はこのウツボを用心棒にして、マダコから身を守っていると考えられている。ウツボは伊勢エビの殻に歯が立たないが、身の柔らかいタコを襲うために、伊勢海老の周辺に張っているような感じだ。
 見事な三角関係といった感じだが、このような危険を冒してもマダコが伊勢海老を狙うのも、マダコの一生が一年しか無く、卵を産むために多くの栄養を摂らなくてはなら無いという事情があるようだ。ちなみに伊勢海老の寿命は20年とも言われ、大きく成長した伊勢海老は、マダコにとってこの上ない栄養分になるのだろう。
 一番強いウツボの寿命は30年(ウツボにも種類はあるが)。まさにこの海の世界では、王者のような存在だ。しかしながらこのウツボは非常に好戦的で、仲間どうしでも激しく争い合って生傷が絶えない。小さい個体は、そのまま餌になってしまうようだ。また、ウツボは大変に美味とされ、人間が好んで食べる。しかしながらその強靭な口で咬まれる危険も大きく、咬まれると縫うほどの大けがを負いかねない。魚屋に食材として並んでいるならともかく、安易に近づかない方がいいだろう。まあ、見た目もグロテスクだし、素人が相手する存在ではなさそうだけれど。
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東京で森を歩く

2017-12-07 | 散歩
 さらに奥まで進んでいきます。





 森ですね。変わった木がたくさんある。





 倒れてる木も貴重らしい。















 日本庭園に変ってきた。









 旧東京医学校本館らしい。













 さて、植物園でて、脇の坂道登ります。





















 いったん駅裏やり過ごす。



 白山神社。







 ちゅうことで、散歩は終了。

 電車に乗って帰りましょう。





 飛行機乗って帰りました。




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毒の研究なんかもしてたらしいよ

2017-12-06 | 散歩
 坂道下って通りに戻る。



 車の通りはものすごく少ない。







 交差点渡ると、こんにゃくえんま、ありました。



 源覚寺。閻魔様に目を治してもらったお礼に大好きなコンニャクを食べるのを断ってお供えした婆ちゃんにちなんでいるそうだ。





 あのビルがシビックセンターって奴だろうな。最初は登ろうかと思ったが…。



 ちょっと考えを変えて反対の方角に向かって歩く。







 向こうの通りの更に奥だと思うけど。







 なんか工事中だけど、たぶんこれだな。



 小石川植物園。



 いきなりイチョウも立派だよ。



 さてさて、歩いていこう。







 メンデルのブドウ。



 ニュートンのリンゴの木。







 リンゴはついてなかった。



 急にカメラマンがたくさんいて、紅葉です。









 赤い世界が続く。







 モノクロだとあんまり意味ないか。


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赤門はイチョウがきれいだった

2017-12-05 | 散歩
 朝飯食って朝の散歩。さむー。







 そういえば土曜日か。街は少し起きるのが遅い感じですかね。



 そういえば靖国近いんだよね。せっかくだから参拝。



 ちゃんと警備の人がいて、大変ですね~。







 じゃ、ホテルに戻りますか。









 さて、今回はどこ行きますか? 



 降りたのは本郷三丁目。ええっと方向はどっちだったっけ。




 実は以前上野から道に迷ってたまたま来たことはあるんですよ。どんだけ迷いすぎだって感じではありますが…。





 で、赤門。思ったより人が多い。中の人よりそとの人の観光地なんだよね。



 中のイチョウも素晴らしい。



 以前は中には入らなかったので内からの赤門は初めて見た。何だかすいません。



 こういうところで時間を過ごす人もいるわけで、そういうことを考えると別世界。でもまあ、歩くことは出来るということで、やっぱりすいません。



 なんかきれいなところだなあ。



 表に出て、学生が来るらしいと何故か知っている喫茶店。まあ、こんな感じなんだろうね。



 路地に入ると、なんとなく学生街という感じはしますね。















 で、旧伊勢谷質店。樋口一葉が通ったんだとか。生活するのは大変です。







 今度はちょっと先の坂道を上る。





 なんとなく古そうな家もある。



 でも目的は鳳明館。まあ、古い旅館ですね。









 ちょっとここでUPするの疲れたんで、続きます。
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とにかく風邪は具合が悪い

2017-12-04 | 散歩
 今回の出張は素直に定例なんで、あんまり早い時間はパスした。朝の体調問題もあるもんですから。



 ところが飛行機遅れるんですよね。使用便の遅延というやつです。東京からの朝の便は、最近は遅れるのが当たり前になってる感じがします。込み過ぎてるんじゃないだろうか。



 でも新橋で乗り継いでいく必要が無いくらいの時間。やっぱり歩いていけるんなら、歩いていきたい。



 SLもクリスマス。都会は単純だな。



 しかし、東京。けっこう寒し。風もあるし、手がかじかむぜ。



 でも僕も風邪気味で体調が悪い。寒いけど汗が出てきて、これは体温が上がってるな、という感じ。僕は汗をかくので風邪がひどくなるタイプで、これはもう最悪ですな。まあ、いつもの事なんだけど。



 もう着いちゃうんだよね。散歩としては不十分。手足は冷え切って汗をかいて飯は食いたくない。寒いけど体は汗がひくほど体温が落ちない。コントロールが効かないので諦めるより無い。



 ビルの谷は冷たい風が吹いて体温が奪われるのだが、風邪で熱があるんで上着を脱がないと歩けない感じ。手はガジガジで冷たくなって荷物の多い通行人という感じになって来た。



 今建物の中に入ると激しく汗が噴き出して大変なことになるし、やっぱり昼飯を食う余裕はない。クーリングオフでゆっくり歩く。
 でもまあ、少し時間に余裕をもって会場に入って、会議を終えて風邪で耳の具合が悪くてもう気分は最悪だったけど何とかなってホッとして会場を後にする。もう何となく外は薄暗いのです。東京は北国なんだなあ。



 でも時間は別に遅くはない。電車で乗り継ぎするより歩いて行こう。





 ちょっと表より人通りが少ない方に。





 議員会館のウラのようだな。



 駐車場代も立派。立ち止まる人生もお金がかかるということか。



 緩やかな坂道を登っていく。



 並木はイチョウ。黄色い世界が続く感じだ。



 このあたりになると、もうあんまり地図見なくてもなじみという感じなってきた。



 でもホテルに着く頃は、だいぶ暗くなってしまった。



 チェックインして、もうこれは体調が悪いので早く飲みましょう。適当に近い店に入って飲みます。





 ということで、すばやく飲んでコンビニで少し買い足して早めに寝たのでした。









 旨かったけど、もう具合が悪い。おやすみなさい。


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テロリストを殺すことは、誰かも一緒に殺すこと   アイ・アン・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場

2017-12-03 | 映画

アイ・アン・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場/ギャビン・フッド監督

 テロリストの潜伏している拠点を、空からと、現地人を使った監視の目を使って作戦を練っている。彼らが次のテロ計画をしていることもおおかた掴んでいるし、この拠点に集まっている人々が空爆対象であるという了解は、政府内で大筋通っている話、という前提がありそうだ。そこで軍事的展開で準備をしてきた軍の上層部と、政治的な決断を迫られる政治家連中との撃つか撃たないかを巡っての様々な議論が交わされる。ひとの確認や武器の保管、さらにその後に実行されるかもしれないテロの脅威のため、今ここで主要な人物が集まっている拠点を攻撃できれば、多くの命を事前に守ることになるだろうことは明確そうに思われる。しかしながらそのためには、やはり現時点で敵でありながら命を奪う判断をすることになる上に、街中に潜伏した場所に敵の拠点があるという事で、少なからぬ民間人への被害を、最小限に食い止める必要もある。その後の世論もどうなるかは不透明だ。政治は判断を先送りばかりして、なかなか撃つ決断に至らない。やっと状況が整っても、現場にパン売りの少女がいて、かなりの確率で巻き込まれると考えられる。無人飛行機のパイロットが引き金を引くにも、その葛藤からなかなか判断を実行できない。中間に立つ上官は、被害を受ける確率を、ミサイルの着弾点を変えることで最小限に抑えるという事を思いつく。確率なので実際の場合とは予測にばらつきがあるのだが、良い方の確率を表に出して報告させるのだった。何しろこのチャンスを逃すと、後の被害の方が甚大である。戦場で戦っている人々の考えは、極限の合理主義なのだ。
 後半は主に少女の命のために人々が翻弄される姿が描かれる訳だが、そういうところから、かなりうんざりした偽善の感情を思い知らされた。少女だからというより、テロリスであっても人間には変わりないだろう。ひとの命の選別を、いかにも自分の立場で出来るというように思っているという登場人物たちに、なんとなく嫌気がさすという事かもしれない。
 戦争の残酷さと究極の選択はどのように判断されるのか、というゲームのような映画である。それは倫理問題でもあるが、このようなことを日常で、戦闘で繰り返さなければならない状況は、まさに地獄のようなものだろう。ただしこれは一方的に協力でハイテクを装備している力の差のある状況だからある余裕から生まれた狂気であるとも考えられる。その力の差が詰まって時に、この関係はいとも簡単に崩れてしまうだろう。戦争が終わりにくい理由もそこにあって、今回の攻撃で未然防げたテロがあった代わりに、その周りの住人がテロリストに志願する理由にもなったかもしれない。安全な場所からの傍観は、ほんの一時の勘違いかもしれないではないか。
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龍馬がヒーローでなければ許されない現代

2017-12-02 | net & 社会

 坂本龍馬は架空の人物ではないけれど、恐らく現代日本人がもっとも誤解している人物の一人だろうと思われる。幕末の人ではあるが、ほとんど明治維新とは関係が無い。ところが明治維新と言えば、恐らく真っ先に思い出されるはずの人物だろう。近代日本の礎を築いた、偉大なヒーローといえるかもしれない。
 これは歴史的に確定した事実とは、もっともかけ離れた歴史ともいえるかもしれない。しかし多くの日本人は、そのいわば歴史で無いことの方をよく知っている。それは繰り返し流れる歴史ドラマや、そのもとになっている司馬遼太郎の創作が元になっている(また恐らく司馬は、明治の作家坂崎紫蘭の小説をタネにしているらしい)。
 司馬は小説家だから、史実をもとに忠実に歴史を描いている訳では無い。坂本龍馬にしても、幕末の若者のロマンを龍馬に託し、創作したものというが定説である。自分の創作した人物だからこそ、あえて「竜馬がゆく」という龍馬とは違う漢字を使ったとも言われている。特に嘘つきであるという事では無く、あくまで創作で膨らませた人物像であるという事で、むしろその後大ヒットして虚像が膨らんでいく様に、司馬自身にも戸惑いはあったのではなかろうか。
 もともと明治維新とは関係が無かった上に、幕末には殺されている。ためにか明治の最初には、既に忘れ去られた人物であった。ところが初代の内閣官房長官(当時、内閣書記長官)であった数少ない土佐勤王党の生き残りでもある田中光顕という人が、後に宮内大臣を務めている時に、坂本龍馬という人がいたと顕彰した(海軍の礎になった人かもしれないということで。さらに土佐の元仲間だからという事かもしれない)ために、一般にも有名になったと言われている。
 明治維新の持つ新しい日本というイメージには、そもそも大きな間違いがあるということも言われている。しかしながらそれでは、明治維新にかかる日本の良いイメージそのものが、ロマンとして失われてしまう。江戸の封建的な社会から180度転換して、新しい時代が生まれたというのが、多くの人が望んでいる歴史観ではないか。実際にはそんなに単純なことでは無いし、当時の人々の感覚の中に江戸時代と明治維新には連続した精神性があったようなのだが、現代人にとっては、そんなまどろっこしい事情は簡単に理解できない。むしろ単純でも、大きく転換した社会的な出来事として、そうであって欲しいという欲求の方が勝るという事かもしれない。そのまま維新という単語自体にも、良い印象を持っている人も多いことだろう。これは極めて現代的な欲求に応じた歴史観の在り方という事なのかもしれない。
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