カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

すばらしき日曜日

2007-10-08 | 雑記

 久しぶりに朝寝坊する。意識的に起きなかったのだが、遅くおきるとやはりずいぶん一日が短いようにも思う。よく寝ることが出来たので頭にはいいのかもしれないが、なんだか少し腰が痛い。まあ、のんびりという感覚からすると、これはこれでいいとは思う。何にもない一日なんて、確かに最高の贅沢だ。これが退屈ならしょうがないけれど、やることはたくさんあって何もしなくていいのだ。やはり、贅沢なんだなあ、とかみ締めるしあわせだ。
 遅くおきたので散歩に出ると既に暑い。曇っているので日光の圧力はないけれど、気温の方が上がっているようだ。時々少しぱらついたりして、はっきりしない天気だ。台風とやらの影響だろうか。
 天気予報を見るのは、ピーター・フランクルにとっては時間の無駄だそうだ。そうまでして時間のやりくりをすべきかはともかく、確かに周りの人がたいてい見ていて知っていることである。聞けば済むことをわざわざ調べるという時間はもったいないのかもしれない。僕は時々百姓もするので、まったく見ないわけではないけれど、そういう考え方は好きなので、フランクルに倣って天気予報を見なくなってしまった。しかし散歩にでる前にそういう情報がないというのは、やはりどうにも都合が悪いのかもしれない。二度ほど雨にうたれて、汗と一緒になってけっこう濡れてしまった。まあ、あとでシャワーを浴びるのでいいか、という気分で予定通りの散歩は楽しんだ。降るんならじゃんじゃん降ればいいのだ。

 最近はカロリーをそれなりに計算しながら食べているのでものすごく少食に過ごしているのだが、先日のドカ食いがたたってまた体重が増えてしまった。まあ逆リバウンドがあるので元には戻るのだけれど、なんだかまどろっこしいと感じてきたので、昼食は抜くことにした。今はちょっとした停滞期で、一日に1500キロカロリーに保っても、着実に減るとは限らない日が増えてきた。体の方が効率よくなっているのかもしれない。勝手に機能しやがって、迷惑な話だ。そういうわけだから、こちらだって対抗しなくてはならない。運動もしているのでまったくぬいてしまうと低血糖をおこして、なぜだか顔の筋肉がこわばったり、なんだか思考力が低下するので、困ったときの豆乳様にご協力をもらって、野菜ジュースとともにごくごく飲んだ。これでかなり楽になって、特に何も欲しくない。午後はゆっくりネットの閲覧をしたり、読書して過ごした。

 日曜なので新聞には書評がある。養老さんの文章があって嬉しかったのでアマゾンで注文するが、ふと思い立っていろいろ調べているうちに、どんどんリストが増えてしまう。僕はプライム会員なのでついつい軽々しく注文しすぎて、最近はまた破綻状態になりかけているのでカートの方に保留していたのだけれど、あっという間に30冊ほどたまってしまう。いかんいかん、ということでその中から5冊だけ選択して注文する。欲望には限りはないが、財布には限りがある。買う本の9割は物理的に読まない。本は生ものなので買っておかなければならないのだけれど、やはり破綻してまでは買うわけにはいかない。世の中というのは厳しいものである。

 テレビを見ると「エリカ様」という現象があることをはじめて知った。僕はA水君のお陰で「パッチギ」を見てすっかりエリカ様に陶酔してしまったので、けっこう笑ってしまった。海外ではジュリア・ロバーツなんかが性格の悪いので有名だが、これだけ機嫌が悪いと逆に天晴れだ。ずいぶん前だがゴルフの岡本綾子がキレたり、定岡投手や松坂投手がキレているのを見たことがあるが、スポーツ選手なら良くて芸能人が駄目ということはあるまい。有名人になると、いろいろ煩わしいことも多いのだろうし、だいたい性格が悪い人の多い世界でみんな我慢しているのだろうと思う。
 「クローズド・ノート」という小説は、巷間ではずいぶん評判がいいと聞いている。俄然映画を観てみたくなった。あとで涙ながらに謝ったそうだが、そんなことしなければもっと良かったのに…。ちょっと残念だが、それでも「エリカ様」はやっぱりいいなあ、と思った。

 ゆっくりついでに温泉にでも行こうかと思っていたことを忘れていた。まあ、休みだから何かをしなければならないということではない。つれあいも温泉嫌いだし、他人の嫌がることはしてはいけない。温泉で汗をかくのも散歩して汗をかくのも、違うけれど結果は一緒なので、また夕方歩いた。腹が減っている時に運動すると、不思議と飢餓感が緩まる気がする。ダイエットしている人にはお勧めである。僕だけの特異性が無ければいいのだが…。
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内なる外国 「菊と刀」再考/C・ダグラス・ラミス

2007-10-07 | 読書
内なる外国 「菊と刀」再考/C・ダグラス・ラミス著(共同通信社)
 「菊と刀」という本は、確かにいろんな面で今の日本人にとって馴染み深く受け入れられている本なのかもしれない。今に限らず、戦後というものとなじみやすいものだったのかもしれない。僕は確か高校の授業で、先生がこの本のことを取り上げて日本人論を話していたような記憶がある。そうか日本は「恥の文化」か。確かにシンプルで納得しやすい話ではある。
 しかしながら僕自身はあまのじゃくの性格があって、実は納得しているようでやはり違和感もあるのだった。
 あるとき同級生が長崎のアーケードをくわえタバコをしながら歩いているところを、丁度テレビの中継に映されて発覚し、停学になった。まったく間抜けな話である。だが、ウチの生徒からそういう人間を出してしまってまことに恥かしいことだ、と担任の先生は言うのだった。僕の方は「へえ、もう少しすごい事件でも起これば、学校にハクがついていいのに…」という感想を持った。願わくば殺人事件なんかがおこると面白い、などと不謹慎に空想したりした。僕の様な人間に恥の文化が理解できる訳が無い。
 さて、僕は父と酒を飲んでいて(もちろん高校生である)、なんだかベネディクトというひとの本は面白いらしいね、と話をふってみた。父は、「まあ、あの本には随分驚かされたものだが、ああいうことが学問だというのが、西洋は違うな、と思ったもんだよ」と訳のわからないことを言っていたように思う。父の世代にも名著として読まれており、しかし、完全に同意もしづらいという意味であるのかもしれない、と勝手に解釈していた。僕のほうは手に取る機会があったはずだが、まったく読了した覚えが無い。その頃の僕の食指とは違うものだったのだろう。
 だいぶ脱線が長くなったが、どうも「菊と刀」は怪しいらしいよ、という話はちらほら聞くようになっていた。今ではまっとうに取り上げる学者はモグリのようなものらしい。そういうわけで遅ればせながらダグラス・ラミスの本を手に取ることになった。読んでみて先ずびっくりしたのは、その面白さである。まさにぐいぐい引き込まれてしまった。論じていることの面白さに、思わず深くうなずいてしまうのだった。これはまぎれも無い大名著だ。ものすごく得したなあ、という気分でいっぱいになってしまうのだ。
 なんとなくうわさに聞いていた通り、ベネディクトはぜんぜん駄目だということがよくわかるだけではない。日本の社会がタテ社会ということではなくタコ社会だという指摘も面白い。文化という物事の複雑な面白さ、ダグラス・ラミスの体験談で、米国社会の単純さもよく理解できる。
 また逆に日本人が捉われている常識という感覚も、ぜんぜん無意識のうちに間違っていることも理解できる。日本人が「外国では」という場合、カッコ付けで、(たとえばアメリカでは)という意味であるということは確かにその通りだ。それも白人に対してである。白人以外の外人は、ちゃんと黒人とか中国系という。時々テレビで外国人の人が「日本人からガイジン」といわれる事についてうんざりさせられているというコメントを垂れ流しているが、ガイジンといわれるだけましである。お互いに勘違いしてお互いを評しているに過ぎないのだ。
 まあとにかく、いろんなことがわかり考えさせられる。この本はそれなりに話題になったものらしい(近著ではないし)けれど、そんなに広く読まれているようには思えない(認識不足かもしれないが)。しかしだからこそ、知っていると知らないとでは雲泥の差が出る書物であることは間違いが無い。
 ついつい、日本人のDNAだとか、武士道精神だとか、古きよき心とか、恥の文化だとか、したり顔で語りたい人がいるようだけれど、そんなもののほとんどは、かなり胡散臭いものなのだ。人間個人と民族文化が、そんなに単純な結びつきをするはずが無いのである。そのことを丁寧にわかりやすく、しかも面白く理解できるという意味でも、人間成長には欠かせない一冊となることだろう。とにかく読むべし、というイチオシ書籍である。
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旨い餃子

2007-10-06 | 雑記
 前日に懇親会つきの役員会があり、長崎に宿泊していた。朝食の時間まで少し時間があるようなので散歩する。以前から気になっていたが見つけられなかった蕎麦屋(店名がそのまま蕎麦屋なのだ)を発見し、感激する。なあんだ、こんなところにあったんだ。しかし早朝なので開いていない。次の機会の楽しみである。
 さて、よく考えてみると昨夜はフィニッシュにちゃんぽんを食ったのだった。年配の人が多いので油断していた。中華を食っていたので、二件回った後とはいえ、ちゃんぽんに行くなんて普通は思わない。しかし名店「康楽」である。やっぱり完食してしまうのである。久しぶりだったのだが、かまぼこがこんなに赤かったっけ。と、そういういい思いをしたので、やはり朝食は抜くことにした。もったいないが仕方が無い。
 高速飛ばして職場復帰。こういう出勤も気分的には随分違うが、職場の人間にとってはいつもと変わらないらしい。いちいち長崎で泊まりだったんだよ、と教えたいような衝動が起こる。が、言っても仕方が無い。坦々と日常に戻るのみだ。
 なんとなく仕事が一段落し、そういえばということでメルマガも発行。もうすぐ80号になるんだな。6年以上も配信しているなんてとても信じられない。来年どうするか、また、来年考えよう。
 ニュースを拾い読みしていると、朝鮮半島での戦争が終結しそうだとある。ああ、終戦がまだだったんだ、と少なからず驚く。そういう認識の日本人はどれぐらいいるものだろうか。なかなかショッキングな歴史ではないか。
 日中はやはり暑かったのでとても歩けない。夕方急激に温度が下がる頃にやっと外に出られる。目標値とはかなり開きがあるが、なに、マイペースで歩くのも楽しい。
 Sだっちお勧めの餃子の丸岡から餃子をお取り寄せしていた。なるほど、うわさどおりの旨さである。ちっとも豚臭さが無く、歯ざわりもしっかりしている。これならうわさになるはずである。
 そういうわけで結局食いすぎた。誘惑の無い世界はさびしいが、その寂しさを求めなければならない。求めよ、それが手に入るまで…。
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映画熱

2007-10-05 | 映画
 DMMというネット上の月額DVDレンタルに加入した。
 早速借りたい映画のリストを作ったが、だんだん熱中してしまって62タイトルまで膨れ上がってしまった。ウィッシュリストという制度で最大100タイトルまで作成可能なのだけれど、月に8本程度しか借りないのだから、リストの最後の方のタイトルに行き着くまでには相当時間を要しそうだ。週によってはまったく見ることができない状態にもなるので、消化する時間はさらにかかる可能性もある。
 しかしながら長年探していたタイトルも発見できて、大変に嬉しい。ビデオ屋で長時間探していると不毛な気分になるが、ネット上で探すのは、無いということが簡単にわかってあきらめも早い。タイトルでなくても監督や俳優からでも関連で探し出せる。そうして思わぬ関連映画も発見したりして、リストがどんどん増えてしまうのである。
 長年捜し求めてちっとも見つからないで、結局セルで買ってしまうということも以前はしていたのだけれど、セル商品で売られているものは、ほぼネット上でレンタル可能だということも分かった。なんとなくもったいない。
 それでも、古いタイトルのものは、中古でしか手にはいらないものも多くなった。アマゾンなんかでそういうものが簡単に買えるが、売る方も流石にそういう情報をこまめにチェックしているらしく、レンタル不可能なタイトルは、すぐに値がつりあがる。何年か前には地元のレンタルショップで見かけた覚えもあって、油断していた未見の気になるタイトルのものも、2万とか3万とかいう値段になっていてびっくりする。足元見てやがんな、と思うが、そういう情報はメーカーの方がチェックしておくべきものではないかとも思う。売れなくなったからといって簡単にあきらめて新しいタイトル作成に走らず、過去のメンテナンスを丁寧にして欲しいと思うのであった。
 そういうわけで、ピーター・ウィアーの「ピクニック・アット・ハンギングロック」。中国映画の「變臉-この櫂に手をそえて」。ビクトル・エリセの「ミツバチのささやき」「エル・スール」。アッバス・キアロスタミの一連作品。ミカ・カウリスマキ「浮き雲」。今村昌平「にあんちゃん」。鎌中ひとみ「六ヶ所村ラプソディー」。キム・ギドク「魚と寝る女」などを探しています。見かけた人がいたらお知らせくださると助かります。

追伸:結局キアロスタミとギドクのものはアマゾンで買うことにした。思ったより安価だったので嬉しいです。
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日本はミャンマー政府を支持?

2007-10-05 | 時事
 ニューズウィークを読んでいると「ビルマ」の民主運動という記事がある。ああ、そういえば、英語圏はいまだに「ビルマ」なんだな、と思ったのだが、よく考えて見ると軍事政権が「ミャンマー」という国名を表明しているのだから、政治的な考えの下の「ビルマ」なのかもしれない。日本の態度は自然に「ミャンマー」が圧倒的に主流だと思うが、民主化運動を支持しているように見えるくせに矛盾がないのだろうか。
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悪いものには蓋をするな

2007-10-04 | 雑記
 中学生集団が体験学習で職場に来ている。朝から挨拶して反応を見ると、今年の生徒さんたちはかなり活発な様子。リーダーの女の子は少し張り切り方が滑っているが、まあ、それはいいだろう。

 移動してブロックの事業に参加。というか完全に見学。あんまり移動するのも目障りになるかもしれないと思い、S中君の授業を集中して見学。緊張した面持ちではあったけれど、徐々に本領を発揮して、楽しい授業を展開していたと思う。少なくとも見てる分にはなかなか面白かった。
 実際にはけっこう進行に苦労しているところもあったようだけれど、最後の電卓の話など、すばらしかったのではないか。嫌な仕事ではあったけれど、何とかやめようという思いを踏みとどまらせて現在まで働いてきた。そのきっかけとなった店長からもらった電卓を今も大切に持っている。確かにどこにでもあるありふれた電卓かもしれないが、S中君にとって大切なものであるという話なのであった。なんとも尊い大人の姿である。ホント、感動しました。

 僕としては道徳教育というものは、答えのあるものではないのだから、もっと悩むように考えさせられたほうがいいと思うが、望ましい答えというものが安易にですぎて、テキストとして問題があるような気がしないではなかった。命の大切さとか、日本のこころなんていうことは、逆に命が簡単に殺された戦時中のほうが良く理解できるだろう。だから難しいわけだが、例えば漫画の「ワールド・イズ・マイン」や「寄生獣」のようなものを読んで感想を聞くような試みの方が、誠実に考えることになるのではないか。もちろん過激なので、受け入れられないには違いないが、残酷を知らない人間に切実さは伝わりはしないだろう。正義だとか良心というものは、徹底した悪を見据えた上で考えたほうがいい。
 日垣隆が書いていたが、死刑執行直前の囚人に、命について人前で話させるというようなことがもっとあってもいいのではないかと思う。たとえむちゃくちゃなことをしゃべろうとも、聞く方にものすごくためになることは間違いなかろう。それが出来ない教育というものに問題があるのであって、子供自体に本来の問題の根源があるのではないと思う。

 遅めのランチを食って帰ったが、日中はうだるような暑さ。ネクタイなんてアホらしくて着けていられない。
 郵便物を見るとA水君ご推薦の藻谷さんの本が届いていた。パラパラめくると常識的なことが書いてあって目から鱗が落ちる。事実の力がいかに凄いかという当たり前のことなのである。裏を返すと、それだけメディアとか世間とかが非常識を常識化してきたということなのである。世の中に蔓延する当たり前と思われる常識の多くは、ショッキングさを売り物にしてきた者たちが作り上げてきた偶像である。
 例えばその根本背景にのっとってJCなどは事業目的をたてるので、僕の考えと合わなくなってしまうのである。JCに限らず僕らの業界人もしかり。以前は頭が悪いせいだろうと思っていたが、世間の人が素直な所為なのだということが段々分かってきた。物事は素直すぎたまま受け入れるのではなく、疑いながら考えるということがなにより大切だ。性格は悪くなるのかもしれないが、自分で答えを出すことが、結局は真実を掴む早道であると思っている。道徳教育というものも、そこに尽きるのではないだろうか。
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解決は卒業後に

2007-10-03 | 雑記
 腰の痛さは相変わらず。目覚める時に昨日より痛くないことを願うけれど、動いてみるとビリビリと痛む。これではまともに歩けない。まとまった散歩が出来ないのがなによりつらい。安静を優先させなければというのは理解しているが、毎日の積み重ねがなにより大切だということも痛いほど理解している。人生に逆転などめったにあることではない。日頃に何をするかということが一番重要なのだ。
 しかしながら座業で仕事をするにも腰の痛さはつらい。動いても動かなくてもだめなんて、一体どうすればいいのだ。体の不自由というのはつくづく不条理なものだと思う。どうして神はこの試練を我にたもうたか。そう嘆いているくせに、痛くなくなったらきれいさっぱりこの状態のつらさは忘れてしまうのである。
 しかしながら、今までにも腰痛には悩まされたことがあるが、今回の場合が一番軽い症状ではある。早目に診てもらったのが功を奏したことと、やはり普段の運動も良かったのではないかといわれる。運動不足の方が、症状が重い場合が多いらしい。なるほどそういわれると、確かにぎっくり腰なのだが、何とか一人で歩いて回れる。不幸中の幸いと思わねばならない。
 
 夜にはPTA理事会。恒例運動会の反省会。でるわでるわマナーの悪さの批判大会。校長先生にも長時間にわたるクレーマーの電話対応で困った話など。お隣の幼稚園での捨てられた吸殻のこととか、確かにひどいものだが、大問題なんでしょうね。話を聞いていると、もう運動会は開放してやれない状態であるが如しである。まあ、そんなに苦痛なら僕はそうしたほうがいいと思うけれど、そうは出来ないから困るということだ。そうであるから一部の批判をしたいだけで、この状態が改まることはないのであろうとも思う。変な人は一定数は必ず存在するのは普通の話だ。撲滅する労力は、行き過ぎた禁止事項を増やし、善良な者まで不快にしかねない。酒がだめ、タバコがだめ、という状態が、マナーの悪さの連鎖を生んでいるものと思われる。嫌な親と付き合いたくないなら、子供を預からない方向で学校は検討を始めるべきであろう。そんな学校が必要なのかどうかを無視できればだが…。マナーの悪い人は以前と比べて増えているとみな言うが、今は少なくなったので逆に目立つのではないかとも思う。人の集まるところ、集中するところが増えすぎて、どうにも収拾がつかなくなっているのかもしれない。都市化と群集心理ということでも対応できないか。そんな風にも思う。ついでに愚痴は膨らんで、犬を連れてくるからけしからんとか、いわなければ分からない人間性の喪失論も飛び出してきた。また、子供を見ようとする親達の姿も徹底的に愚痴られる。来賓席に闖入するご老人。子供の席から割り込んでくる人。退場門あたりの行き過ぎた危険な混雑。卒業生の親だからという理由で傍若無人に振舞う人々。なるほど、こちらもこわもてで対応するよりなさそうである。また、ビデオ撮影のマナーの悪さといっても、これだけの人数が集まるのだから、たぶんどうにもならない問題であろう。場所取りは木曜の夜からというケースもあるという。それもたぶんぜんぜん仕方のない話に過ぎないと思う。弱者に冷たい社会というのが、平等社会の基本である。特に学校のような世間では、改善策がない方が自然だ。場所を抽選にするとか、有料にするとか、広いところに移動するというのが物理的な解決策だ。小さいながらも運動場があるので、たぶん選択はしないだろうけど…。解決策はないので愚痴るしかないということか。個人の防御策は引越しか。悲しくなってきたので止めよう。
 終了後遅れてJCの理事会。もっと遅くなるかな、と思ったら、12時過ぎに終了。早かったので飲みに繰り出し、結局2時半過ぎに帰宅した。ものすごく眠くて朝の散歩にいけなかった。腰も痛いままだし、引き続き悲しいのであった。
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腰痛と付託不審

2007-10-02 | 雑記
 ひどい腰痛である。痛いのは左側だけ。筋肉がひどく張っていて、背中から臀部まで筋状に痛みがある。体を曲げたり、坂道や階段などを歩くのがつらい。靴下は膝を目の前にしてまっすぐの姿勢では、つまり通常やっているように履くことが出来ない。ほぼぎっくり腰というヤツである。
 最初は内臓の方に痛みがあるのではないかと不安があったけれど、外側の筋肉の方だけがひどいことになっているようだ。安心半分、これからの生活の不安半分。
帯広からの帰りの飛行機から痛み出したので、これから益々ひどくなるのか、はたして快方に向うのか良く分からない。
朝には散歩にでてみたが、普段の4分の1程度で断念して帰ることにした。消費カロリーの部門では平均値が目的まで達していない。また、月初めでランキングも出遅れるのが気になる。まったくもって非常に残念である。
 しかしながらこのままでいいということには不安の方が大きい。生活に支障が出る程度に苦痛なので、やはり診てもらうことにした。
 ちょうど長崎へ議員懇談会へ行く前だったので、待たせてしまって申し訳なかった。しかしながら、やはり診てもらったというだけで、気分的にもだいぶ楽になったような気がする。実際には痛みが続いていたけれど、表面的にはそれほど酷いようには見えなかったのではないか。もちろん、無理に隠しているわけではない。分からなければそれでいい、という程度に分からなければいいと思うだけである。

 さて、JC出身議員さんとの懇談会である。割合活発に意見が聞けて、なかなか良かったのではないか。K子知事と同席もでき、率直な話を聞けたことも収穫であった。
 組織としての見解と僕の意見は別だし、こういう席だから突っ込んで、あぶない話も勇気を持って話してくださったということもあろうから、ブログで一方的に反論するのはフェアではない愚劣な行為だと思う。しかしその愚劣な行為は僕のような愚劣な人間だから出来るのであるから言わせてもらうと、政治家というのはやっぱりつまらないものだな、と正直に思った。
 特に公共事業論は、発展途上国のケインズ政策ではないのだから、長崎が国費を取れればいいという問題なのでは根本的に違うと思う。もちろん公共事業がないのは特定の業界にとっては大変につらいことだろう。しかし、景気というものを公共投資でテコ入れするということだけに政治家が終始した結果が現在の日本なのである。県としての政治の立場と、国政というのは厳密には分けるべきだという意見もあろう。しかし、予算を分捕ることだけに長けたものが政治家としての技量だという考えが根本的な問題なのであって、自分達の仕事を棚上げにして組織票を積み上げてきたことが、なにより今の政治の最大の欠点なのである。それが仕事であるなら、政治というのは単なる行政サービス機関である。
 これは呉智英の受け売りなのだが、例えば日本がアメリカに統治されるとか、北朝鮮に統治されるという場面を想像してみるといい。本来政治体制というものは、そういう具合に国民に影響を与えるものなのである。もちろん今は平和な時代の政治ということなので、その切実感が欠けているのだろうが、国民が政治に行政サービスを期待しているという時代が、政治家を変な職業にしてしまっているともいえる。
 長崎をどうしたい、地域をどうしたいをもっと表に出していうべきだという人もいたが、それはそっくりお返ししたい言葉である。そこを語れない政治家は、職業換えするべきであろう。本来マスコミに揚げ足ばかり取られるような政治家のほうが、実は実直で求められるべき姿なのではないかと、僕は極端に考えてしまう。吉田茂なんかある意味で国民をバカにしていたようだけれど、それはそれでいいじゃないかと個人的には思っている。
 昔の政治家が良くて今が駄目だという意味ではない。今の政治家のほうが相対的に難しい立場におかれているし、面白いことも少ない世の中にわざわざ苦労を買って出るような行為であることは尊敬には値する。しかしもう時代は変わってしまったのだ。昔の政治家は、退場する時期なのではあるまいか。新しいというと語弊があるが、時期に合わないことは、こと政治においては致命傷という気がする。率直に言って大変に失礼であるが、これでは正直に僕の期待を付託するにふさわしいとは到底思えなかったのであった。逆説的にそれが分かったというのは、大変に収穫だったということである。
 そういうわけで、政治理念はたぶんぜんぜん違うが、K村君がんばってください。
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ぶた丼は二度食う

2007-10-01 | 雑記
 帯広に行っていた。当初は卒業式に行くつもりだったけれど、所用と重なり、また事情が二転し、事前なんじゃら(これは僕にも意味が掴みづらいという意味)旅行となった。煩わしいので理由については省略する。また、当初の目的とはかなり内容は異なったけれど、帯広が広いということは確認が出来た。読書も出来たし、それなりにいい旅であった。
 JCの全国大会ということなのだったが、帯広には宿泊施設の絶対数に限りがあるらしく、比較的近いと思われるトマムというところに宿泊した。距離にして120キロとか聞いたが、明確には忘れた。時間にして車で十分に一時間半はかかる。これは近いという感覚ではない。ホテルというのもスキーリゾートのためのものであるようで、ビジネス的な利便性はない。駅に近いわけではないし、コンビニがあるわけでもない。そもそも人より熊がすんでいる可能性のほうが高そうだった。ホテル内の食事は8時半にはオーダーストップなのだそうだ。移動中に気づいたけれど、近くの居酒屋風の店まで、時速80キロで15分という位置関係である。絶望という言葉が頭をよぎる。そういうわけで帯広で食事をとらなければならない。運転係をどうするかというシビアな問題に悩まされた。

 名物はブタ丼ということで二度食す機会があった。濃厚な真っ黒なたれで焼き上げるスタイルで、見た目はかなり強烈である。好みの問題があるので味のことはどうでもいいけれど、個人的には塩コショウのほうが旨いような気がする。特にブタバラにおいては…。しかし名物なのでありがたく食べる。これはこれでひどく不味いわけではないし、確かに変わっていて面白いのかもしれない。「はなとかち」というところと「ぶた八」という店で食ったわけだが、ぶた八にグリーンピースがのっているという見た目の問題以外は、味として大きな差があるとは分からなかった。後に食ってはいないが、駅中などで安価に手軽にブタ丼が食べられるということが分かったが、あとでわかっても仕方がない。せっかく探して食った苦労もあるので、同行の人には内緒にすることにした。
 そういう思い出はあったにせよ、ほとんど移動しているということで、いろいろ風景は見物できた。T田理事長を待っている間にちょい観光をして旧幸福駅や河川敷や並木道などを見て回ったが、ものすごくたいしたことはない。いや、やはりそれは広大なのであって、厳密にはたいしたものだとは思うけれど、観光名所という特殊性というより、だだっ広い偉大な何もなさ感の漂うものであった。僕の好みとしては、非常に満足できたが、すぐに飽きてあきらめる気持ちにもなれた。もがいても仕方がない。僕は田舎の人間で、都会も嫌いだが、田舎過ぎるものも飽きるだけのことなのである。
 しかしながら収穫もあったのである。二日目のことだが、用事も済んで後発隊を待つことになった。しかし待つにしろ時間的に4時間近く余裕が出来た。少しうろうろするが、何も無い。パチンコ屋が目に留まるが、僕はパチンコが不得意である。T田理事長が遠慮してくれて「漫画喫茶」というところに入ることになった。僕は漫画本がたくさんおいてある喫茶店には若い頃入ったことはあるが、漫画喫茶という専門店に行くのは初めてであった。二度とこられないだろうけれど規約として会員証を作らされるという煩わしさがあるにせよ、特に特徴のないドリンク類が飲み放題で、それなりに揃えてある漫画は読み放題なんだという。パソコンが設置してある狭い仕切りにカーテンという怪しい小部屋ということは気に入らなかったが、まあ、安いので文句を言う筋合いのものではない。あとで検分すると、意外と偏りのある品揃えではあったけれど、なんとなく未読であった「あずみ」を8巻の途中まで読んだ。まあ、収穫というのは、設定にかなり突っ込みどころがあるにせよ、このあずみにぐいぐい引き込まれて読めたことがなにより良かった。また行く機会があるものかは不明だが、こんなことが僕にとっては貴重な体験であることは間違いがない。それもわざわざ帯広くんだりまで来て誰でもいける「漫画喫茶」に行けたという喜びはことのほか大きかった。
 ところで時間切れであとのことはまた書くかは不明。飛行機に乗り継いで大変に疲れて、なんとなく左の腰のところに違和感を覚えた。二日後にこの腰痛がぎっくり腰の様相を呈してきた。それが今の状態。トイレに行くのも難儀で困る。今夜の予定も行きたくないなあ。なんとなく仕事もたまってるし(これは当たり前だ)、かなりブルーな気分なのである。それにしても10月じゃないですか。こんなに雨の少ない9月は生涯で初めてだったような気がするけれど、勘違いだろうか。ま、メシ食って仕事しよっと。
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