カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

実はワイルドなのは母だった   未来のミライ

2020-07-09 | 映画

未来のミライ/細田守監督

 4歳になる男の子がいる家に、妹が生まれてくる。両親は赤ちゃんの世話に翻弄されているし、事実上共働きで忙しく、お兄ちゃんのくんちゃんにはろくにかまうことができなくなる。今まで我がまませんばんに暮らしてきたくんちゃんとしては、世界がガラッと変わってしまう大変なことになる。不満は募り、行動はエスカレートし、キレまくって騒動を起こす。そうして暴れているある日、ちょっとしたはずみに異世界に迷い込んでしまう。そこでは、なんと未来の女子高生になった妹の未来(彼女の名前)が現れるのだった。
 下のきょうだいができると、多くの子供は赤ちゃんがえりをする。特に長男長女は、両親からの愛情をそれまで独占していたわけで、たとえそれが分散されただけにしろ、とても許せない心情に至るのかもしれない。劇中でも言葉にされていたが、いわゆる嫉妬心ではあるが、本能的な人間の反応ということなんだろう。誰でも知っていることだし、当人にとっては重大なことかもしれないが、それが成長段階において精神的にダメージがあったとしても、まあ、どうしようもない話かもしれない。
 基本的にはそこのあたりを題材にした映画である。モデルになった話もあるのかもしれないが、いわゆる子育て「あるある」である。経験のない人だって、まあ、そうだろうな、くらいには共感のある話かもしれない。
 アニメーションなので、異世界に迷い込む違和感はそんなにない。現在と未来が同時に現れることができないルールらしいのだが、異世界の中では本人も本人と会うので、そのルールの厳密性すらよく分からない世界である。でもまあファンタジーなんだから、そういうのは、一応許容しなければならない。不思議な世界だし、時間の経過もちょっと不明瞭だ。実在するだろう人物が出てくることを考えると(未来には不思議なものもいるが)、基本的にはタイムマシンのようなものである。しかし犬の場合はどうするか…。うーん、まあ、いろいろあるんだろう。
 ということで、諒解しなければならないルールがありながら、それなりに疑問が残るのは仕方のないことかもしれない。そういう整合性よりも、要するに幼児の成長物語という体面で、家族の成長もあらわしているということだろう。子供の成長に合わせて、家族の歴史と世代を超えたつながりが明らかになっていく。そうしてそういう世界に、我々人間は暮らしているわけだ。そういう意味ではファンタジーというより、現実を注視した作品といえるのかもしれない。そうして、そうであるからこそ、むしろ大人向けの物語なのであろう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京は日本とは別の国ではな... | トップ | 天然でけなげがかわいいとは... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。