カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

テロリストを殺すことは、誰かも一緒に殺すこと   アイ・アン・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場

2017-12-03 | 映画

アイ・アン・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場/ギャビン・フッド監督

 テロリストの潜伏している拠点を、空からと、現地人を使った監視の目を使って作戦を練っている。彼らが次のテロ計画をしていることもおおかた掴んでいるし、この拠点に集まっている人々が空爆対象であるという了解は、政府内で大筋通っている話、という前提がありそうだ。そこで軍事的展開で準備をしてきた軍の上層部と、政治的な決断を迫られる政治家連中との撃つか撃たないかを巡っての様々な議論が交わされる。ひとの確認や武器の保管、さらにその後に実行されるかもしれないテロの脅威のため、今ここで主要な人物が集まっている拠点を攻撃できれば、多くの命を事前に守ることになるだろうことは明確そうに思われる。しかしながらそのためには、やはり現時点で敵でありながら命を奪う判断をすることになる上に、街中に潜伏した場所に敵の拠点があるという事で、少なからぬ民間人への被害を、最小限に食い止める必要もある。その後の世論もどうなるかは不透明だ。政治は判断を先送りばかりして、なかなか撃つ決断に至らない。やっと状況が整っても、現場にパン売りの少女がいて、かなりの確率で巻き込まれると考えられる。無人飛行機のパイロットが引き金を引くにも、その葛藤からなかなか判断を実行できない。中間に立つ上官は、被害を受ける確率を、ミサイルの着弾点を変えることで最小限に抑えるという事を思いつく。確率なので実際の場合とは予測にばらつきがあるのだが、良い方の確率を表に出して報告させるのだった。何しろこのチャンスを逃すと、後の被害の方が甚大である。戦場で戦っている人々の考えは、極限の合理主義なのだ。
 後半は主に少女の命のために人々が翻弄される姿が描かれる訳だが、そういうところから、かなりうんざりした偽善の感情を思い知らされた。少女だからというより、テロリスであっても人間には変わりないだろう。ひとの命の選別を、いかにも自分の立場で出来るというように思っているという登場人物たちに、なんとなく嫌気がさすという事かもしれない。
 戦争の残酷さと究極の選択はどのように判断されるのか、というゲームのような映画である。それは倫理問題でもあるが、このようなことを日常で、戦闘で繰り返さなければならない状況は、まさに地獄のようなものだろう。ただしこれは一方的に協力でハイテクを装備している力の差のある状況だからある余裕から生まれた狂気であるとも考えられる。その力の差が詰まって時に、この関係はいとも簡単に崩れてしまうだろう。戦争が終わりにくい理由もそこにあって、今回の攻撃で未然防げたテロがあった代わりに、その周りの住人がテロリストに志願する理由にもなったかもしれない。安全な場所からの傍観は、ほんの一時の勘違いかもしれないではないか。
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