カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

分け入って読む知的な喜び   学術書を読む

2021-04-20 | 読書

学術書を読む/鈴木哲也著(京都大学学術出版会)

 専門的に細分化されて研究の進む学術の世界にあって、その先鋭的な成果を求めるあまり、立ち位置を見失ったり、専門外との相互の考えを知らなくなってしまったり、単純化してかえって深みのないものに終わってしまう危険があるのではないか、ということを指摘した内容になっている。全体的な歴史を知ることや、哲学的な古典を読むことの大切さはもちろんのこと、自らの知識におごることなく、専門以外との対話することによって、却ってその見識は深くなっていく。そうして分かりやすさを求める世の中にあって、その考え方に陥穽してしまって、本当の研究のあり方が見えなくなってしまう危険も説いている。そのようなジャーナリズム的な価値観を気にしたり評価したりする、一見進歩的な欧米研究のくだらなさも見事に切り捨てている。そうして多読よりも精読を奨励して、多少むつかしくても楽しい冒険的な読書の醍醐味を見事に解説した本である。
 大学の出版会からの本だからと言って、とっつきにくいものではない。値段も安く薄いし、表紙の絵は沢野ひとしのユーモラスな雰囲気である。しかし文字の数に反比例して、内容がないわけではない。少なくとも読書を普段している者にとって、または研究などにいそしんでいる者にとって、改めて今やっている読書を見直す契機になることだろう。またブックガイドとしても有用で、これを読んだら本代としての出費が増えることだろう。さすが出版会の関係者である。
 実際の話として、学術書といわれるものは、発行部数も少ないわけで、それなりに高価なものが少なくない。専門分野でもない人にとっては、手に取ること自体がそれなり難しい。何かの本を読んでいて、参考文献などで目に留まって、そういうきっかけなどから興味を持つなどしない限り、なかなかそれらの本に巡り合えるものではない。しかしながら本は、リファレンスすることに意味のあることも多くて、思い切って買ってみる(図書館でもいいが)ことが大切でもある。多少身の丈に合っていなかったり、歯が立たなかったりもするんだけれど、読み進む知的好奇心にあらがえないような楽しさを味わうこともあるわけだ。完全に理解するためには、もう少しその分野の勉強が必要かもしれないが、それでもその一端を検分することによる喜びは、読書の最大の魅力かもしれない。出会った本に向き合うということに改めて真摯になれる、また、そういうことを後押ししてくれる本なのであった。
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