カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

助かるよ、努力の人

2016-03-25 | ことば

 地球で話されている言語の数は、カウントの仕方で違いがあるけれど、だいたい6000程度(5000~8000と諸説ある。理由はカウントの仕方で違いがある為で、例えば日本でも、一つと数える(またはアイヌと二つ)人と、沖縄地方の方言を細分化して数語あると数える学者がいるようだ)、それに比して国の数はだいたい200弱程度。そういう訳で、だいたい世界中の人々の50%以上は、バイリンガル(もしくはマルチリンガル)であるとされる。要するに多言語を扱える人は、ありふれた存在なのだ。むしろ一つの言語しか話せない人は、少数派とまではいかないが、中国人の一部(それでも人口が多いので多くなる)アメリカ人の一部、そして日本人くらいではないかといわれている。もっともそうではあっても、言語のコンプレックスのひときわ強いのは、日本人くらいではなかろうか。
 確かに英語ということに限ると、日本人が世界的にも抜きんでて下手であるというのは公然と認識されていることらしい。逆にいうと英語話者にとっても日本語は習得しにくい言語であるとも言われ、単にお互い様に過ぎないが、結局経済的な公用語としての日本人の立場として、コンプレックスのようなものがあるようだ。
 日本人が英語が苦手な理由には諸説あるが、単に日本人が馬鹿である可能性もぬぐえないにせよ(まあ、冗談ですよ、いちおう)、英語という言語が日本人には必要のないものであるためであるというのが一番大きい。先に述べたバイリンガルやマルチリンガルは、幼少時から多言語にふれている必要があって、生活上仕方なくそうなっているに過ぎないと思われる。生きる上でそうでなければ支障があるので、話せるようになれるということだ。言語というのは厄介で、9歳児の壁というのがあって、それ以前に接していなければ脳の機能が、いわば限定的になるようなことが起こっていると考えられている。もちろん、それ以後の習得でも人によっては流暢に多言語を扱うような場合もあるとは思われるが、基本的な脳の仕組みとしては、大変に困難なことらしい。要するに期間限定で多言語が出来なくなるのは人間らしいことなのである。日本人であるとか別の国の人であるとかはまったく関係が無い。
 つまり要約すると、日本人には必要のない英語で多くの日本人は苦労させられている訳だが、しかし大人になると、経済的な活動の理由で、一部の日本人は英語の必要性が増す事態が起こっている為に、さらに苦労させられている、ということだ。今さら無理な問題を蒸し返されて、社会的に混乱することが多いわけだ。もっとも本当に必要な人は、個人の大変な努力は必要だろうけれど、ある程度は多言語の習得は可能である。だから実際にそういうことになっているだけのことだろう。
 未来永劫日本人がそのような立場でいられるかどうかは別問題だが、基本的には多くの人口とそれなりに広い国土、内需型の経済が大きな日本である以上、今のような状況は、そんなに変わりはしない。それでいいかどうかもあるけれど(世界に羽ばたく大企業で無い限り)成熟した経済圏というのは、多かれ少なかれ、日本のようにならざるを得ない。
 もちろんそういう中だが、物好きな人や、奇特な人が頑張って多言語を習得してくれると、世界中のいろいろなことが伝わってきて本当に助かる。もう大人になってしまったほとんどの日本人は、そのような人に頼らざるを得ない状況であるということなんだろう。
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