カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

冷たく寒い港町で燃やされたこと   マンチェスター・バイ・ザ・シー

2020-02-27 | 映画

マンチェスター・バイ・ザ・シー/ケネス・ロナーガン監督

 気難しい男は、仕事は一応できるようだが、いい加減にしか人と付き合おうとせず、不機嫌に暮らしている。そういう中兄が病気で亡くなり、その息子の後見人として、故郷に戻って世話をすることになる。こどもはいるようだが、何か過去に問題があって離婚しているらしいことは示唆されている。そのような過去が、徐々に明らかにされていく展開である。
 預かっている甥っ子はアイスホッケー選手でもあり、バンドもやっており二人の女の子と掛け持ちで関係を持っている。父の残した船にも愛着があり、叔父が後見人としてボストンに連れ帰ることに反発している。以前に別れて暮らしている母親との関係も模索するが、何かしっくりするものが無い。
 気難しい男の謎は、中盤一気に明かされる。男は自分の不注意で、娘二人を亡くし、なおかつ妻との関係がずたずたになってしまっていたのだ。何に対しても暴力的にふるまい、トラブルばかり起こしている。彼は故郷であるマンチェスター・バイ・ザ・シーという町にいること自体で、自分自身の苦しみに耐えながら生きざるを得なかったのである。
 静かな演出と繰り返される暴力が治まらない様子が描かれる。説明は少ないが、その心情は理解できることだろう。しかしそうであっても、このような男の生き方そのものが、肯定できるかは疑問だ。悪かったのはこの男自身だが、そうしてそれは、取り返しのつかないことだが、再生に向けては、自分の心を開く以外になさそうだ。そのチャンスは何度もあるし、またそのために周りの人間は心を尽くすが、傷の深さに自分自身も戸惑うばかりという感じなのだった。まあ、仕方が無いことかもしれないし、情けないものかもしれない。下手に簡単に心が治ったというようなことになっても、それはそれで問題があるのかもしれない。
 静かで冷たく、しかし美しい北米の港町の風景が、何度も流れる。そういう自然に囲まれながら、人は営みを行っている。なかには深い悲しみとともに、風景になじまないものだっているのだろう。たとえそれが、自分の故郷であっても。
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